─続いてはイケメンセッター、及川徹さんです。



テレビから流れた音声に散らかった部屋を片付けていた手が止まる。
パッと画面に映し出されたのは、試合中の…私がカッコいいと思っていたあの顔。とにかく奴が集中しているときと言ったら、声を掛けても頭を叩いても無反応だった。

イケメンセッター、か。
まぁ確かにイケメンなのは事実で、世間でもスポーツマンとしては少々珍しい騒がれ方をしていた。だからと言って、バレーのセンスだってもちろんあった。天才ではないけれど、奴は努力家で、頑張っていたし、周りもそれをちゃんと認めてた。
画面が変わり、スタジオの映像が流れる。用意された椅子に座り、カメラ目線で手を振っていた。なぁにチャラチャラしてんだよ、ボケ。と思いながらも、私は床に座る。


─突然引退の発表をされたのはなぜですか?


昨日のスポーツ新聞にトップで大きく取り上げられていたものだ。突然の報道で、日本全国民が驚いた記事だ。私は驚くこともなく、ただそれを見て頷いた。涙をぽたぽたと垂らして。

『やっと見つけた幸せを手放したくないんです。今じゃなきゃダメだって思ったんです。今まで貰ってきたものを返したい』

画面を真っ直ぐ見て、一つ一つ言葉をはっきりと話す。何のことだかまるで分かっていないインタビュアは何とも間抜けな顔をしていた。これ、生放送だよな、と笑いながらまた涙が落ちた。

『ファンの皆様には申し訳ないし、こんな理由で、とか思われるかもしれない。けれど、俺には…俺たちには、今しかないんです』


少しだけ膨らんだ腹に手を当てる。新しい命。私は生まれつき、子供が出来にくい身体だった。もう諦めていた。最初は辛くて悲しくて、泣いていた。だけど、信じられない奇跡が起こったのだ。
小さな命の種が芽吹いた。大切な大切な小さな命。私の、私たちの希望の光。

私は妊娠したと知ったとき、あいつに告げるかどうかとても迷った。あいつに言ったらすぐにでも血の滲むような努力で入った日本代表も諦めてしまうと思ったのだ。あいつの目標だった代表入り。私はそれを奪うわけにはいかなかった。
及川は私が隠し事をしていることにはすぐに気づいた。まぁ当然と言えば当然だろう。長い間伊達に幼なじみをやっているわけではないのだから。

おずおずと報告すると、なぜ早く言わないのだと怒られた。大事なことなのだから当たり前だ。でも、理由を言うと納得した。及川は案の定代表を諦めると言った。
及川にとっては何よりも私が大事なのだと言った。それも妊娠中、万が一のことがあったらと考えると代表なんて惜しくないらしい。私はもちろん、それを拒んだ。そんなことされるくらいなら一人で育てる、と。でも奴は譲らなかった。私だって譲れなかった、及川の可能性を潰したくなかった。
仕方なく条件を出した。次にある大きな大会までは成し遂げろ、と。

『引退後、式を挙げるつもりです』

特集も終わり、また部屋の片付けに戻った。ここは及川のマンションだ。中々帰ってくることはないみたいだが。スポーツ雑誌が山のように積まれ、衣服は脱ぎっぱなし。
雑誌をまとめるために仕分けをしていると、子育ての本が何冊も出てきた。「すてきなパパになるには」なんてタイトルには笑ってしまった。中を開くと、付箋がたくさん貼られていたり、何度も読んだのか、もうヨレヨレなページも多かった。忙しいのに、空いた時間に見ていたのだと思うと胸が締まり、目頭が熱くなる。涙が溢れそうになり、慌てて袖で拭った。
自分でも、最近思う。泣きすぎなんじゃないかと。こんなに泣いて大丈夫なのかと思うくらいだ。今までに泣いたことと言えば、中学最後の大会で負けたときと、春校で及川たちが負けたときくらいか。


「もう。ママが泣いてちゃダメでしょ」

背後から心地好いテノールが聞こえ、振り返った。先ほどまでテレビの画面で観ていたのに、今目の前にいる。先ほど、と言っても片付けに熱中していたようで大分時間が経っていた。

「大事な身体なんだから、そんなに無茶しないで」
「無茶なんて、してねえ」
「お腹の赤ちゃんに悪いからさ」

そうやって言われると、逆らえなくなる。お腹の子。もう、私だけの身体ではないのだ。大事な命を抱えている。

「おいかわ」
「なに」
「…式、挙げるって。聞いてない」
「だって子供が出来たんだよ?俺たちはもうただの恋人じゃないんだ。それとも、岩ちゃんは嫌…?」

違う。ただ、実感がなくて、今までずっと諦めていたものが、いくつも、いくつも、同時に叶うなんてことが、信じられない、だけ。
及川と夫婦になるなんてあり得ないことだと思っていた。及川にはきっといつか、特別綺麗な人と関係ができて、私みたいな、平凡な人間なんて捨てられてしまうんだって。言い聞かせてきた。及川がいつでも別れを告げてきても辛くないように、私は遊び相手の一人にしかすぎないのだと。

「ほら、ママなんだから泣かないの」
「っ、だって、だって、ずっと…ずっと」

諦めてきたことだったから。私は一生、及川を好きなままで、誰かと結婚することもなく、子供もできず、一人で寂しく生きていくんだって思ってたから。及川が付き合ってくれているのは、遊びだからで、可哀想に思っているだけだから、って。
なのに、なのに。

「岩ちゃんは俺のお嫁さんになるんだよ。他の男とくっついたりしたら許さないからね」

及川は私を抱き締めて、キスの雨を降らせた。考えてみると、学生の身分を卒業してからは、及川と時間を共有することがほとんどなかった。付き合っているとは言っても肩書きとしてだけのような気がしてた。

「っ、う、おいかわ…っ」

子供のように、泣いた。大泣きする赤子のように泣いた。涙が止まらなかった。及川は優しく私を抱き締めたままだった。
あったかい。
こんな幸せなこと、人生でもう二度とないだろう。大好きな人と、大好きな人との子供と。私は一緒に生きていく。もう、一人ぼっちだと涙を流すことはないだろう。


夢に見た純白のドレス。一生着ることはないと思っていたのに。

「ゆめ、みたいだ」
「サイズ、ピッタリでしたね。流石、旦那様ですね」

及川が私に内緒で用意した小さな結婚式。親類は親くらいで、あとは懐かしい、高校時代の仲間。こんなプレゼント、嬉しくないわけがない。
ドレスも及川が用意していたらしい。私のために、一着作ってもらったのだと言う。
真っ白な衣装に身を包んで父親に連れられ新郎のもとへ。タキシードを着た及川に思わず笑みがこぼれた。及川は柔らかい笑顔で私の腕を引いた。

そういえばもう、及川なんて呼べないんだな。下の名前で呼ぶなんて、いつぶりだろうか。懐かしい。


「徹」




大きな鐘の音が響いた。





title by たとえば僕が




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