…泣いてねえよ。
ただ、本当に眠かっただけで。






ノートの端っこにいつの間にか書かれた字はアイツらしくもねえ、小さな小さな文字。

そこを指でなぞったってどうにもならないのにアイツのぬくもりを感じるなんてどうかしてる。
呼び出されれば、柄にもなく喜んでいたのはもう過去の話。

今はもう、チラつく花の香りにアイツへと会いに行く足取りが重かった。


「お、来たか」
「…なんすか」
「いや、用はねえんだけどよ」
「は?…それって…職権乱用」
「はは、まぁそうだな」


丸付けかなんかでペンを走らせるそいつが小さく笑った。

"職員室って息苦しい"

前にそう言ったらそんなとこに呼ばねえから安心しろ、なんて言ったくせに。
こうやって呼ばれんのは何度目だろう。
そのたびにオレはこのすぐ届く距離に歯がゆさを感じるんだ。

触れたくてもさわれない。
すぐ近くに居るのに。

…まぁ、今となってはこの場所だけじゃねえけど。



「で?もう帰っていんすか?」
「んー?」

はぐらかすように目を合わせない。
まるで生き地獄だというのにここに留まらせておくこいつに苛立ちを感じる。
…感じるくせに、そこを動こうともしない自分もいる。
そんなオレの心情をきっと気付いているだろう。

情けなくて、恥ずかしい。
だけどそれでも…。



「あの時お前がさ、」


…それでも、


「一瞬泣いてんのかと思ってよ」


そばに居たくて。


「…そんなわけねぇのになあ」







キュッと鳴るペンの音が遠くに聞こえて、そのかわりにアスマの声だけが鼓膜に響く。
危うく伸ばしたくなる手はぐっとこらえて。


なんなんだよ、それ。
なんでそんなに…アンタが泣きそうな顔してんだよ。

訪ねたいのに声も出ず。
当然、手だって伸ばせないまま。


めんどくせえ。
なんでこんなに息が詰まって苦しいんだ。


(泣いてねえよ。
ただ、眠かっただけで。)

(寝てしまえば、あんな話…聞かなくて済むと思ったから)







「ハイこれ、お前のクラスのノート」


時間が止まったかのようにアスマの声以外、何も聞こえなくなった空間に、突然ぽっと入ってきた間の抜けた声音。
頭の方から降ってきたその方向を見上げると、さらりと銀色の髪が揺れた。

「おう、わりーな」
「お詫びに明日のお昼奢りね」
「そんな無駄な金ねえよ」
「無駄って、お前ね…」


あーだこーだとどうでもいい話を繰り出していてなんだか脱力した。
アスマは何もなかったみたいにやっぱりペンを走らせている。


「じゃ、帰っていいすか」
「おー、悪ィな」


やっと、やっとあの息苦しさから開放される。
喜ばしいことなのに、今度はなぜか体の左側がスースーとすきま風が吹くように寒くて仕方がない。

"離れがたい"

なんて、そんな言葉が思い浮かんでついに嫌気が差してきた。


「シカマル、」


だけどオレの名ひとつ呼ぶその声が、あの自己嫌悪感を一瞬にして包み込んでくれる。


「俺の授業で寝るんじゃねえぞ」


"…寂しいだろうが。"


そう聞こえてしまうなんて都合のいいことを考えて。


「…ばーか」


また、いつも通り笑える自分が困ったことに嫌いじゃねえんだ。


めんどくせえけど、嫌いじゃねえんだ。




end.







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