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一日にこんなにたくさん電話をかけたのは初めてだった。 とにかく心当たりのある、連絡先の知っている人間に片っ端から声をかけた。なまえの行方を知っているかと聞けばみんな首を横に振ったが、二口目には「サプライズが」だの「誕生日が」だのと口にする。 その度になまえがどれだけオレのことを考えてあのパーティーを計画してくれていたのかを知り、胸がきりきりと痛む。どうしてあんなことを言ってしまったのが、今でも悔やみ切れない。
昨晩居酒屋を飛び出したオレは、今までこんなに速く走ったことないというくらいのスピードで繁華街を駆け回り、電車に飛び乗った。 居酒屋に行くのにサーヴェロに乗ってくるはずもなく、地面を蹴って走るのがこんなに遅いのかとイラつく。今ここにサーヴェロがあれば、もっと速く、なまえのところへ行けるのに。 鈍い普通電車に乗ってなまえの最寄り駅へ着いて、さらに走る。大学生の多く住まうアパートの二階、大学に入学するときに入学祝いとして貰ったボロボロのキーケースから合鍵を取り出して、ガチャリと嵌めた。ひねるだけのそのその動作すらもどかしく、鍵を抜かないまま部屋に飛び込む。
「なまえ!」
しん、と静まり返った部屋にオレの焦った声が響いた。誰も返事をしない。電気も着いておらず、あたりは真っ暗だ。 当然エアコンも着いておらず、走ってきたせいもあってだらりと重い汗が背筋を滑る。大きく息を吐いて、リビングへずんずん進み途中照明の電源をパチンと入れながら真ん中に置いてある二人がけのソファに遠慮なく腰掛けた。
「…!」
呼吸を整えるために俯き、顔を上げてはっとした。 テーブルの上に静かに一輪咲くバラの花。 花屋の前を通っても普段見向きもしないなまえが自分のために部屋に花を飾るなんて考えられない。 泉田の怒りと悲しみに震えた声が頭の中でリフレインする。オレの誕生花、泉田に相談して、飾って。
「なまえ…」
この間までなかったテーブルクロス、壁に子供っぽく貼られた紙製の輪っか。 幼稚園児の誕生日パーティーじゃないんだぜ。オレもう、ハタチ越えてるのに。 だけど、オレのことを思ってこんな賑やかな飾り付けをして、嬉しくないはずがない。滲んだ視界をシャットアウトするように目を瞑りゴシゴシと擦った。 奮発して買ったテレビの横に隠されるように置かれたそれ。ラッピングの包みからして、革製品のメンズブランドだ。横に添えられた白い封筒には『隼人へ』と丁寧な字で書かれている。そういえばオレ、最初なまえのことが気になったの、字がすごい綺麗だったからなんだよな。遠い昔のことを思い出し、また目頭が熱くなった。 ベージュのつやつやしたリボンで結ばれたそれを手に取るが、それを解くことはできなかった。オレにそんな権利はない。これは、なまえが『恋人の隼人』のために心を込めて選んだ物で、今のオレが受け取れるようなものじゃない。 元あった場所に隠すように置き戻すと、オレはなまえの部屋を出た。夜風が靡いて、顔に髪が貼りつく。まぶたのあたりと、汗をかいた身体がひんやりと冷たく、背筋を震わせた。
「もしもし、靖友?」 「アァ?!またオメーかよ…」
なまえのアパートを出て、自宅に戻った後、思いつく限りのなまえの知り合いに電話をかけた。 12時に寿一に二度目の電話をかけると、「もう迷惑だから明日にしろ」と怒られたので、今日こうしてまた電話をかけている。 三度目になる靖友への電話に、相手はもう察していたのか一言目から怒鳴り声が聞こえた。時間的に大学に行っているのか、周りからはざわざわとした声が聞こえる。
「お前、大学は行けヨ」 「今日は午後からなんだよ、それより」 「アーだから知らねっつってンだろうが!つかなんで静岡までみょうじチャンが来ると思うワケェ?」 「だって、なまえ靖友に結構なついてただろ…」 「カレシとケンカしてカレシの友達んとこ泣きつきにくるかフツー」 「……それもそうか」
オレがあからさまに声のトーンを落とすと、靖友は少し驚いたのか少しうろたえた声を上げた。 なんだかんたで靖友は優しいから、こうしてオレのこともなまえのことも心配してくれている。ふとしたときにオレやなまえが不安になればフォローを入れてくれたし、付き合うことになったと報告したときもノロケんなと殴られたが、何かあれば無駄に二人きりにしようと変な気を回してくるのだ。さすがにそのせいでなまえが「荒北くん、私のこと嫌いかな?」なんて言い出したときは笑ってしまったけど。
「オイ新開、聞いてるか?」 「ん?っあぁ、ごめん…ちょっと考え事」 「ったく、どいつもこいつも世話のかかる…」
薄い笑いを返すと、靖友は「笑ってんじゃねーよ」とまた怒鳴った。 ケータイを耳から外して画面を見ると、通話時間が結構なものになっている。 そろそろ切らないとまずいか、と切り上げようと電話の向こうの相手の名前を呼ぶと、また別の声が聞こえた。低くて落ち着いた声。寿一とはまた違う感じの…。
「真護くん?」 「アァ?ンだヨ金城」 「もしかして電話の相手は新開か?」 「そォだけど」
変わる?いやいい、と離れた場所から聞こえる。真護くんか、そういえば何回か機会があってなまえとも会ったことがあったなあ、と数か月前のことを思い出す。 たしか、最初は先輩だと勘違いして萎縮していたんだったか。確かに初対面で同期って見抜くにしては落ち着きすぎてるし大人っぽいけどさ、真護くん、結構ショック受けてたっぽいよなあ。インハイに出てた総北の、って教えたのに。 ところで、どうしてオレが電話の相手だと気づいたんだろう。別に靖友がオレの名前を呼んでいたわけでもないのに。 汗で滑ってきたケータイを掴みなおし、耳に当てた。
「ところで荒北、もしかして新開はみょうじを探しているんじゃないのか?」 「…!」
思わず、ケータイ電話を握る手に力が入った。 まさか出るとは思っていなかった名前だ。靖友が真護くんに話していたならわかるけど、そういうそぶりもなかったのに。ということは、個人的になまえが連絡を取っていたということなんだろうか。 そうなると例のサプライズの相談か?いや、真護くんはオレのことをあまり知らないはずだ。もしもなまえが知らないオレのことをよく知っている人間が総北にいるならそれは迅くんだし(彼にも相談はしていたらしいけど)、ここで真護くんが出てくるとは思えない。 確かにあの二人は知り合いではあるけれど、こんなときに頼るほど親しいとは思えない。 妙なモヤモヤを抱えながら、できるだけ冷静な声を装って「どういうことだ?」と尋ねる。真護くんは電話越しにふっと笑うと、「みょうじはいま静岡にいる」と言った。 しずおか、静岡に、いる。
「………静岡?」
「あァ?どういうことだ金城ォ」 「それは……内緒だ。だが夕方まではこっちにいるんじゃないのか?」 「ハァ?!なんっ……ったく、オイ新開!聞こえたか?」 「ああ、もちろん」 「いますぐ来い、夕方までいるっつってんだから、急ぎで来りゃァ間に合うだろ」 「……!」 「みょうじチャンとマジで別れる気ィなら別だけどな!オレはもう面倒見ねェぞ!分かったらいますぐ電話切れボケナス!」 「靖友…」 「ア?!」 「……ありがとう、恩に着る。真護くんも」 「ッセ!礼とかキメーんだよバァカ!じゃーな!」
切れと言ったくせに自分から切ってきた靖友との通話終了画面を眺めながら、すぐに財布とケータイだけを持って家を出た。 窓口に駆け込み一番近い時間の新幹線のチケットを取り、それに飛び乗る。待ち時間ですら煩わしくて、腕時計と電光掲示板をチラチラ見ながらホームを歩き回るオレはあからさまに怪しくて、周りの人間からは変な目で見られていたかもしれない。 新幹線の中、メールで金城くんに連絡を入れ直すと、真護くんのうちの近くにいろんな店が入っているショッピングモールがあるらしく、なまえは帰りの新幹線の時間までそこにいると言っていたそうだ。 静岡に来たのが昨日だと言うこと、真護くんに相談しに来たことを知ったのもそのときで、昨日ってことは泊まったのかとか、なんで真護くんなんだとか、いろんな疑問が浮かんだが今はそんなことよりも大切なことがあるとそれを振り払い、一時間半ちょっとの間新幹線に揺られた。
新幹線を出ると、教えられた真護くんの駅へと普通電車に乗り換え向かう。窓の向こうを流れる静かな風景が、妙にオレの心を落ち着かせ、なんだか普段のデートの待ち合わせ前のような気分になった。 当然、待ち合わせなんてしていないし、そもそも会えないかもしれない。もし会えたとしても、二度とデートなんてできないかもしれないのに。 降り立った駅は、風が強かった。7月といえど曇っていたせいか日差しは鋭くなく、Tシャツは乾いている。 両手が空いていて、マジで手ぶらで来ちまったんだなと笑いながら出口を探していると、ぎゅるると腹の虫が大きく鳴いた。そこで朝から何も口にしていなかったことを思い出し、普段から考えるとありえないなとため息を吐く。腹のことなんて気にならないくらい、頭の中がなまえのことでいっぱいだった。きっと、この話をしたら笑われる。手に口を当てて、けらけらと軽い声で。今でも思い出すことのできる笑い声を手放す気なんて早々なくて、そのためにオレは足を動かす。だけど気づいてしまった空腹はごまかせない。駅を出て目の前にあるコンビニに入り、4つ目についたパンを買った。コンビニを出てすぐに袋を開け、それを口に運びながらショッピングモールまでの道を歩く。 人通りは少なく、時々車とすれ違う程度。空気も綺麗で、いまは曇っているが空も広い。晴れていれば、きっと気持ちいいだろう。靖友たちはここをいつも走っているのか、いいコースだ。また機会があれば、寿一や尽八のことも呼んで走りたいなあ。 そのあとは帰って、なまえの下手くそな飯を食べるんだよ。最近がんばってるって言ってたから、焦がすこともなくなってきたよな。カレーですら満足に作れなかったのに。 そういえば、尽八に電話したときに隼人のために料理を教わりに来たって言ってたなあ。前に会ったとき、指に変な柄の絆創膏貼ってて笑ったけど、それ、もしかして練習しててできた傷だったのか?恥ずかしそうに隠してて、またドジやったんだなあって思ってたけど、もしかして、それもオレのために。
気がつけば、そうやってまたなまえのことばかり考えていた。どんよりとした重い雲の奥に、少し青空と日光が見える。これから晴れるのかもしれない。 いつの間にこんなに歩いていたのか、周りは静かな場所から人通りの多い賑やかな場所に変わっていて、あちらこちらに飲食店や雑貨屋が立ち並んでいた。 ふと目についた雑貨屋に、既視感を覚える。なまえが好んで通っている店の、静岡店舗かもしれない。こんなことをしている暇なんてなかったのに、ふらっと誘われるようにそのドアを開ける。アンティーク系で纏められた店内にはふわっといい香りが漂い、そういえば紅茶も扱ってるんだったっけな、と高級そうな箱の並ぶコーナーに目を向けた。
「あ………………」 「…はや、と?」
目があった瞬間、何かが弾けるのを感じた。一瞬で乾いた口内が、声を出すのを拒んでいるようだった。 何度瞬きしても目の前にいるのはなまえで、見間違えなんじゃないかと、なんども自分に問いただしたが、オレの目はしっかりと彼女を捉えていた。
「ひ、さしぶり、だな」
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