![](//img.mobilerz.net/sozai/1494_w.gif)
浮いた気持ちがしゅんと風船のようにしぼみ、やけに冷えた思考で隼人に電話をかけた。 無機質な声、「電源を切っているか…」と聞こえた時点で通話を切り、項垂れてソファに座り込む。 料理は冷蔵庫の中に片付けたけれど内装はそのままで、バラはどこか寂しげに咲いているままだった。
「…………」
壁に貼り付けた花飾りも、新調したランチョンマットも、今日のためのものだったのに。 楽しく準備していたはずのそれがにくくてたまらない。それらすべてが一人舞い上がっていた私をあざ笑っているように見えて、胸が苦しい。私が一ヶ月間してきたことは、迷惑だったのかもしれないって、この部屋すべてが私に訴えかけてくるような気すらして。
とにかく、ここに居たくない。
微動だにしない携帯電話を操作して、どこにかけるべきかと数秒悩んだ。 女友達にはおおむね隼人のことを相談しているから、この状況では話しづらい。隼人と仲のいい人もそうだ。根掘り葉掘り聞かれても泣き出すことくらいしかできないし、自分でもこの状況をまだ理解し切れていないのに、全部を伝えてしまうのはなんだか苦しかった。 できれば、遠くに住んでいる人がいい。それで、私たちのことを知っていて、私からも隼人からもちかすぎない、中立的な立場の人――。
「迷惑かもしれないけど…」
大学に入る前と後、数度だけ会ったことのあるあの人。あの人なら、話を聞いてくれるかもしれない。 落ち着いていて、大人で、優しい人だった。親しいわけでもない私にこんなことを言われて、突然なんなんだと思われるだろうけど、他に良案があるとは思えない。少なくとも、私の頭からは出てこない。あそこなら、新幹線で一時間半もあれば着くだろう。 2コールほどして、もしもし、と心地のよい低音が耳に届く。安心感、とでもいうのだろうか。それだけで、昨日とは違う種類の涙が出そうになった。
「着いた……」
意外と早く着くものだ、と駅に降り立ちながら辺りを見渡す。 富士山が全面にプッシュされた広告を流し見しながら、電車を乗り継いで指定された駅へと向かった。 不安はあったが、ケータイのナビとあらかじめ迷い易いところを教えてくれていたおかげであまり迷わずにたどり着く。約束の時間を少し過ぎてしまっていたが、彼は緩く笑って私を迎えてくれた。
「ごめんね、いきなり連絡して……」 「構わないさ。それより、疲れてるだろう。どこかへ入るか」 「いや…へいき」 「そうか?じゃあ狭いがうちでどうだ?あまり遠くはないが……その方がゆっくり話せるだろう。大丈夫か?」 「うん、ありがとう」
大丈夫かと尋ねられた意図を噛み砕きながらも小さく頷く。恐らく、隼人くんのことを言っているのだろう。少し遠慮がちだったのは、電話で一部を話したからかもしれない。 綺麗な坊主頭が逆光に浮かぶ。相変わらずしっかりとしていて、とても同い年とは思えない貫禄がある。 福富くんも結構老け……ええと、大人っぽく見えたが、彼、金城くんも中々だ。 初めて会ったときにうっかり敬語で話しかけてしまったこともあったっけ。笑って流してくれたが、アレは少しはずかしかったなぁ。 そう考えていたら、「今日は敬語じゃないんだな」と笑いながら言われて、もしか彼はエスパーなのではと一瞬疑った。が、そうじゃない。完全に、遊んでいる。意外とお茶目な人らしい。 むっとして、「なんですか金城先輩」と敢えて敬語で返すと、苦笑いで背中を叩かれた。その仕草がやっぱり少し年上っぽくて、人生何週目だよと疑いながらその背中について歩いていった。
連れて来られた金城くんの家は、大学生の一人暮らしらしく広いとはいえないもののすっきりとしてセンスのいい家具でまとまっていた。 男の人の部屋だからシンプルでどこか生活感があるが、散らかってはいない。物は分かりやすく収納されているし、自転車の雑誌や道具は一番手前に並んでいた。それから、黄色いゼッケンが額に入って飾られている。あの夏の、初日のものだ。色違いのものが隼人の部屋にも置いてある。
「好きなところに座っててくれ。茶でも淹れてこよう」
お言葉に甘えてネイビーのクッションに腰掛けた。ローテーブルは磨かれていて、液体のしみ一つない。 性格が出るなぁ。隼人以外の男の人の部屋をまじまじと見る機会なんて今までなかったから、とても新鮮だ。やっぱり違う人間なんだなと、当たり前のことを思い知らされる。匂いや私物の趣味、飾られた写真とか、カーテンの色とか。全然違う。
「そんなに見ても何も面白いものはないと思うが」
笑いながら、グラスに入った麦茶を出してくれた金城くんを見上げると、薄く笑っていた。向かい側に座った金城くんと冷えた麦茶が妙にマッチしている。笑いを誤魔化すようにグラスを傾けると、唇に氷が張り付いた。 どっしりとクッションの上で胡坐をかいた金城くんが、グラスをローテーブルに置いた。ぶつかる音が小さく部屋に響いて、消える。 話したいことがあるなら言えと言われているようだった。折り曲げた膝の上で握り締めたこぶしに力が入る。妙にじっとりとかいた手汗が気持ち悪かった。
「あのね、金城くん」
ゆっくりと、何度も詰まりながら、ことの顛末を話していった。 サプライズのこと、いろんな人に相談しながら、考えながら準備していったこと。 それなのにどうして別れを告げられたのか、わからなかったこと。 別れを告げられた理由を知りたい、だけど、勇気も出ない。もしかしたら、今日じゃなくて以前から私が嫌われるようなことをしていたのかもしれない。でも、それすら思い当たらないこと。 全てを話し終わるまで、金城くんは口を挟まずにただ無言で頷いていてくれた。 聞き上手とはこういう人をいうのかもしれない。 少しの沈黙ののち話し終わりました、と合図を投げかければ、金城くんは一つ息を吸って眉を下げた。
「まずオレが考える、新開がみょうじに別れを告げた理由だが」 「はい」
どくり、と心臓が音を立てた。握りしめた拳のなかはじっとりしていて、爪が肌に食い込む。 緊張を解くように姿勢を崩した金城くんが口を開く。
「……サプライズに夢中になって、本当に大切なものを見逃していたんじゃないか?」
目が覚める思いだった。まさにハッとしたのだ。その言葉はすっと胸に入っていって、私の心を明るく照らした。 言葉をなくした私に、金城くんは続ける。
「みょうじは毎年、新開を祝うのがワンパターンで申し訳ないと言ったが、新開はそれを喜んでいたんじゃないか?態々変わったことをしなくても、みょうじがいるだけでいいと、そう思っていたのかもしれない」
「新開を想うみょうじの気持ちもよくわかるが、それよりも大切なものがあったんじゃないか?たとえば……一緒に居る時間だな」
「勿論、みょうじが新開を喜ばせようとしてやったというのもわかっているさ。新開も話せばきっと素直に喜んでくれる。お互いの求めているものが少しずれていた、そういうことじゃないのか?」
気がつけば、ぽろぽろと涙を零していた。いつの間に滲んだのかも気がつかないほどに急なことだった。それか、ずっと気づかなかったのかもしれない。 昨晩散々泣いたはずなのに、それでも足りなかったらしい瞳のボトルは底無しのようだった。間抜けな泣き顔を晒す私に、金城くんは綺麗な白いハンカチを差し出す。なんの変哲もない、少し柔らかい生地のハンカチだ。遠慮なくそれを掴み広げると、ぴぴぴと何かが金城くんの手から伸びて出てきた。
「…旗?」 「まだ伸びるぞ」
ハンカチを金城くんの手から離すように引っ張るたび、いろんな国の旗が飛び出してくる。ずるずると延びるそれは数十センチになるとぴたりと止まった。 手を離すとしゅるしゅると金城くんの手に戻り、金城くんが逆の手をかざすと、旗は消え、引っ張っても何も出てこなくなる。 ひっくり返したり、広げてぱたぱた仰いだりしても旗は出てこない。種も仕掛けもない、とはいうが、何もなさすぎじゃないのか、それとも金城くんの手になにか…。 凝視すると、また「何もありません」と言わんばかりに軽く裏表と手をひっくり返して見せた。
「ハンドパワー?」 「そんなところだ。楽しんでもらえたか?」 「……とても!」
そう言うと、金城くんはとても満足げに笑みを深めた。 よし、とポケットからピン球を取り出すと、それにハンカチをかける。色がくるくると変わる様子を眺めながら、両手を何度も叩いた。
「みょうじ、人を楽しませることは簡単じゃない。だが、その人を想う気持ちがあればそう難しくはないだろう」 「金城くん」 「みょうじも新開を楽しませようとしてしたんだろう。その気持ちを忘れないことだ。そうすれば、大丈夫だ」 「うん」 「頑張れよ」 「……ありがとう」
見たくないと思って家を出たのに、どうしてだろう。
今とてつもなく、あの桃色のバラが恋しい。
140721 静岡東京についてはネットで調べただけで静岡には行ったことがないので、ふわっとした感じで読み流してください。
▼ ◎
|