浴びるように酒を飲んで、目覚めたのは昼過ぎだった。
辺りには空の酒缶が転がっていて、中身が少し零れている。酔いすぎだろ、と後悔するが、それほどに忘れてしまいたかったのだ。
お陰で昨晩ほど暗い気持ちはなく、寧ろ清清しい。体調はいいとは言えないが、鬱蒼とした感情は随分和らいでいた。

(三年付き合った彼女と別れても一晩飲めば立ち直れるなんて、オレってそんな冷たい男だったのか)

心にぽっかり穴が空いたようだとはよく見る表現だが、まさにその通りだと思う。
他に埋めようのない虚無感が、じわりと心身を蝕んでいる。誰かと話したい、ふとそう思った。

「あ…あー、あ…いけるか」

声は少し枯れていたが、水を飲めばなんとかなるだろう。
ケータイを開くと、2つ着信が入っていた。その両方が彼女――元カノからで、見なかったことにして表示を削除する。
そうだ、アイツがいい。アイツの番号が履歴の上から4つめにあることは分かっていたが、どうしてもその上に並ぶ文字を見たくなくてわざわざ電話帳を開いた。
名前順に並んでいれば割と上のほうに来るから、探す手間もない。電話をかけると、すぐに繋がった。時間的に大学の講義中かと思ったが、どうやらそうではなかったらしく一先ず安心する。
オレから電話をかけただけで嬉しそうに声を上げる後輩を、素直にかわいいと思う。急に掛けたことに文句も言わず、大丈夫ですよと人ごみから離れる気配がした。

「なぁ泉田、今晩メシ行かないか?」




キャンパスはあまり近くないが、都内の大学に進学した泉田と会うことは多かった。
予定が合えば走りに行くし、寿一と黒田も誘ってメシに行くことも多い。
翌日に予定があると酒はあまり飲まないが、うんうんと頷いて素直に話を聞いてくれる泉田の存在はオレにとって助かるものだった。こういうときなら、なおさら。
適当に目についたチェーンの居酒屋に入り、注文を済ませる。軽い近状報告や、今のハコガクのこと。弟はどうだとか、そういう話をした。

「それにしても、新開さんから誘ってくれるだなんて珍しいですね、何かありました?」
「ん?そうか?オレだってたまにはかわいい後輩とゆっくり話したくなるもんだぜ。それともなんだ、迷惑だったか?」
「そんな!とても嬉しいですよ!でも……」

最初に届いた枝豆の皮を剥きながら泉田を見ると、困ったような、照れたような、そんな妙な表情をしていた。
何か言いにくそうにしている。素直に言えよと人差し指を向けると、泉田は気持ちもじもじしながら口を開いた。

「昨日、誕生日だったじゃないですか。新開さん」
「………ああ、そうだな。覚えててくれたのか?」
「と、当然です!それで……その、なまえさんと、今日は一日過ごすのかなと思っていたので……」

ニコニコと無邪気に笑う泉田に、なんと言うべきなのか困惑した。
あまり聞きたくなかった名前、もちろん泉田にそんな他意はないことはわかっている。オレとなまえが別れた、というより、オレが一方的に別れを告げたことを知っているのはなまえだけだから。
ケンカもしていなかったから、泉田は当たり前に今も付き合っていると思っているんだろう。そんなコイツを責めることなんてできないし、そんなつもりも毛頭ない。
だけど、どうしても体はピクリと反応してしまう。答えあぐね、無言になったオレを不審に思った泉田が顔を覗き込み、不安げに名前を呼んだ。


「別れたよ、なまえとは」


泉田の長い睫毛で縁取られた目が大きく見開かれる。
そりゃ、驚きもするよなぁ。高校のときからずっと見てて、泉田もなまえに懐いてたし。
卒業したあとも度々ノロケを聞かせちまってたっけ。荒北にはシバかれるけど、泉田は素直に聞いてくれるんだよな。
ありえない、そんな表情をした泉田に、なぜか穏やかな笑みがこぼれた。自分の事のはずなのに、どうしてここまで客観視できるのか。自分で自分が不思議でしかたがない。
酒の力に助けられたとはいえ、切り替えが早すぎるんじゃないか、そうは思ったが、妙に思考は冷えていた。

「どうして、ですか?」
「さぁなあ、オレがこういう男だから、なまえも飽きちまったのかもしれない」
「そんなはずないです、だって、なまえさんは」
「そうは言っても、仕方ないんだよ」

オレだって、本当は聞きたかった。
オレに飽きちまったのか、オレ以外の男を好きになったのかって。
だけどそれすらする勇気もなく、結局したのは考えを放棄して、真実と選択から逃げることだけ。
返事も聞かず、一方的に。夜中にあった着信には一切反応を返していない。それ以来追撃もないから、なまえも諦めたのかもしれない。それか、もう………。

「オレよりさ、いい男は一杯いるよ。なまえはいい子だからな」
「どういうことですか、それ……」
「……多分だけどさ、なまえ、浮気してるんじゃないかって。それでオレがかっとなってさ」
「え…?」
「……………まあ、言っちゃった、よなあ」

言葉を紡ぐたび、涙が出そうになる。
誤魔化すように前髪をかきあげると、驚愕を顔に貼り付けた泉田の顔がよく見えた。
それは「驚いた」というよりは、「そんなはずがない」と言った表情で、何故だが申し訳なさがこみ上げてくる。
泉田はオレとなまえのことをよく慕っていた。だから「なまえさんが浮気するわけない」「新開さんが振るわけない」と思い込んでいるのだろう。

「なまえさんが浮気って、そんなわけないでしょう……」
「オレだってそう思いたいさ」
「ちゃんと確認……したんですか」
「…………」

何も返事が出来なかった。
確証がないのに浮気だと決め付けて、言い逃げて。
確かに男と歩いているのは見かけたが、それだって一瞬のことだ。もしかしたら知らない人間なのかもしれないし、友達でもなんでもないのかもしれない。
だけど、だけど……。

「ほんとうに、本当になまえさんが?だって、有り得ない…」
「泉田?」

泉田の目には、驚愕や疑い以外に、怒りの色が浮かんでいた。いつの間にかこぶしをギュっと握っていて、それがふるふると震えている。
どういうことだ、と尋ねるのに、少し時間が掛かった。泉田がそこまで言う理由がわからないのだ。今のオレは何を信じればいいのかわからない。
泉田が唇を咬む理由も、苦しそうにしている理由も、到底理解できないだろうと。そう思っていた。

その言葉を聞くまでは。



140719


 




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