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花を部屋に飾ったのなんて、初めてだった。 机の上で一輪咲き誇っているのは桃色のバラで、ちょっと可愛らしすぎたかなと思いながらも、花瓶の上で揺れる花びらを見るとどうしても笑みが零れてしまう。 なんてったって、初めてなのだ。一番大切な人のために、ひとつき前から内緒で準備を進めて、大切な人が生まれた日を祝うのは。 料理なんて自分で食べられる程度しかできないのに、人に教えてもらって何度も練習した。 ケーキだって、甘いのが大好きな隼人のために二人分にしてはちょっと大きすぎるくらいのを用意して、プレゼントも隼人のことをよく知る人たちにたくさん相談した。 机のバラも、植物に詳しい隼人の後輩に相談して飾ることにしたのだ。誕生花なんです、って言って、一番綺麗に咲いているのを選んでくれた。 色んな人に相談して、隼人が今までで一番幸せだった、って思えるような、そんな誕生日にしたくて。
携帯電話を操作して、隼人の番号を呼び出す。 ここのところ毎日準備で忙しくて、あまり連絡できていなかったせいだろうか。なんだか電話をかけるのが久しぶりなように感じて、どこか緊張を覚える。 そういえば、もう1週間くらいは会ってないなぁ。今日、そのさみしさを埋められたらいいんだけど。 震える指先で通話ボタンを押すと、コール音は直ぐに途切れた。 珍しいな、と思いながらケータイを持ち直す。普段なら最低でも3コールはかかるのに。 驚きと同時に、もしかして待ってくれていたのかな、なんて考えてにやけてしまう私は、完全に浮かれていた。 時間は午後4時、夏のまだ明るい空が写る窓を眺めながら、愛しい彼の名前を、普段より少し高い声で呼ぶ。
「もしもし隼人?あのね、今からうちに来れないかな」
このときの私は、まだ気づいていなかったのだ。電話に出た隼人の声が普段よりも低かったこと。落ち着いた声色には怒りや苛立ちが含まれていたこと。 何度も言おう。このときの私は浮かれていた。
「……いや、行けない」
だから、そのとき私は何と言われたのか、一瞬理解できなかった。
大切な、一番愛しい彼の誕生日。 一生懸命準備して、喜んでもらえるようにとたくさん考えて、色んな人に相談して。 だから絶対、嬉しいよって、笑って言ってくれると思っていたのに。
「ど、どうして?いそがしい?」 「忙しくはないかな」 「じゃあなんで…」
声が震えているのは、きっと隼人にも伝わっていた。 驚愕と動揺から目に膜が貼るように浮いた涙がこぼれないように必死に目を見開くと、つんとした痛みが鼻を差す。 目の前のバラの花が揺らいで、滲む。美しさは何一つ変わっていないのに、なんだかとても色あせて見える。
「あのさ、オレたち…もう別れようぜ」
ごとん、と机に携帯電話が落ち、全身の力がガクンと抜ける。 だらんと下ろされた手が取りこぼした携帯電話の画面は、伏せられていてこちらからは見えない。 はっと意識を取り戻すまで数十秒もなかったはずだが、その時は永遠のように思えた。 急いで拾った携帯電話の画面には通話終了とだけ表示されていて、落ちた衝撃で切れてしまったのか、隼人が切ったのかは分からない。 ガクンと膝から崩れ落ちるようにして、夏用に変えたばかりのカーペットに座り込んだ。 大切な日だから、一番綺麗な姿でいたいと普段より時間をかけて施したメイクが崩れ、どこか濁った涙がぽたぽたと落ちて染みになっていく。
ずびずびと醜い音の鳴る鼻をティッシュでどうにかして、顔を洗い流すように洗面台に立つと、それはそれは酷い顔をしていた。 先ほどまで浮かれに浮かれて、鼻歌さえ歌いそうなくらいだったのに。 天国から地獄とはまさにこのことで、だけど先ほど告げられた言葉を確認する勇気なんて出なかった。 もう一度別れようなんて言われたら、それこそどうにかなってしまいそうだったから。 隼人がどうしてそうしようと考えたのか、思い当たる節なんて一つもない。尋ねたい。尋ねられるわけもない。本当に『いらない』と言われてしまったとき、人間はどうなるのだろう。
「………っ」
タオルで顔を拭い、キッチンへとつま先を向かわせる。 テーブルに並んだ料理にラップをかけ、冷蔵庫へと詰め込みながら、「意外と冷静なものだな」と自嘲した。
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