巻島裕介にはファンがいる。
それこそ神奈川のライバルほどの数ではないが熱烈な、しかも女子ファンだ。
だが本人は箱根の山神の女子ファンに比べると随分と控えめ、引っ込み思案な性格らしく、巻島の前に直接姿を現すことは滅多にない。
そもそもファンですと告げられたのもチームメイトの金城伝いに渡された手紙でだったし、時々贈られる差し入れも金城や田所からで、ときたま顧問のピエールや後輩の手嶋や青八木からということもある。そのせいもあり巻島裕介の唯一の女子ファン、みょうじなまえの存在は総北高校自転車競技部内では広く知れ渡っており、差し入れがあるとまず「みょうじさんからか」と尋ねられるのであった。

巻島裕介は、みょうじなまえと話したことはない。
それどころか半径5m以内に立ったこともないし、正直言えば顔すらまともに見たことはないのだ。
金城伝いにいつものように差し入れを渡されたとき、後者の影から覗いている女子の姿が見えてそいつかと視線を向けてみればその瞬間隠れるし、その時確認できたのはチェックのスカートの裾くらいだ。遠くから練習を眺めていることもあるが辛うじてうちの女子生徒かと認識できるような距離だし、なんとなくのシルエットは分かるがどんな女子かはわからない。そんな状態だった。

一度手嶋に「巻島さんってこういうのすごい嫌がりそうだと思ったんですけど、そうでもないんですね」と言われたことがある。
確かに見知らぬ人間、しかも女子からの差し入れとなれば普通なら少しは警戒心を抱くものだ。しかし、巻島にはそれができなかった。
顔もしらない、名前は手紙に綴られたものが本物だとすれば知っているが、偽名の可能性だってある。とりあえずうちの生徒で、敬語だから後輩なのだろうが、クラスだってわからない。
そんな怪しい人間からの差し入れを素直に受け取り続けている理由、それは、差し入れを受け渡すチームメイトの瞳がものすごく優しいことと、手紙の内容から、どうしてもみょうじなまえという人間が恨めないことだった。
巻島への差し入れとは言えど数はチーム全員分を用意してくれているし、物も迷惑なものではない。むしろありがたい、粉末タイプのスポーツドリンクや、自転車競技には欠かせない補給食などなど。ロードレースをよく知っている人間なのだろうか。それすらもわからないが、助かることには変わりない。見返りを求められたらと考えたこともあるが、向こうは頑なにこちらとの接触を断ち続けているのだ。それもないだろう。

そんなわけで、巻島裕介は唯一の女子ファン、みょうじなまえをそれなりに好意的に思っていた。
もちろん恋愛感情なんかは皆無で、人間としてだ。いくら変わっていると周りに言われようが、巻島も年相応の男子高校生なのだから、女子に純粋に応援されたら嬉しくないことはない。
コワイキモいと言われ続けたこのスタイルを、かっこいいと、美しいと、手紙で綴ってくれる人間がいる。かっこ良くなりたくてロードバイクに乗っているわけではもちろんないが、それなりに嬉しい。差し入れの箱の奥に貼り付けられている手紙を楽しみにするようになったのはいつからだろうか。巻島のロッカーの中にあるお菓子の箱には、同じ封筒に包まれた手紙が数十枚重ねられていた。




「巻島、差し入れだ」
「ああ…サンキュ、金城……ショ?」
「どうかしたか?」

いつものように金城伝いに差し入れを渡される。が、箱を一目見て、いつもとは違うことにすぐに気がついた。
普段は大きいスポーツショップで箱買いできるようなありがちな補給食だったが、今日の箱にはいつもと違うロゴがプリントされていた。自転車雑誌で見たことのある、プロレーサーのために調合された割りと値の張る補給食。カロリーも摂れてかなり美味いと評判らしく田所が注目していたものだ。部費で買うには高価すぎるということでそれを購入することはなかったが、巻島も金城も、それなりに気になってはいた。とにかく美味いと書かれているのだ。補給食は味に特化しているかといえばそうではなく、どちらかというと実用性に特化している。その時点で色々と察して欲しい。美味い補給食、レース中に味わっている暇はないが、どんなものなのだろう。そう思っていたそのブツが、目の前にある。値段のだけあって数は普段の差し入れよりは少ないが、それでも十分すぎる量だ。そこそこしただろうに。金城にそう言うと、「それは、今日だからだろうな」と深く頷いた。巻島は一瞬、頭にはてなを浮かばせるが、すぐに思い当たる。そういえば、今日は自分の誕生日なのだ。

「…なんで知ってんショ」
「ついな」
「教えたのか……」
「いけなかったか?」
「そうとは言ってないっショ」

ため息をつくと、金城はやけに嬉しそうに笑った。なに企んでんだか、この男。そんな視線を向けると、ふと後ろの木に、気になるものを見つける。正式には、木の後ろに隠れているものだ。木の端からはみ出したイエローチェックは総北の制服だ。まさか、あいつ。巻島がそこを凝視していると、スカートがひらりと揺れて木の奥へ隠れる。だが、そこから離れてはいないらしい。

「金城ォ、今紙とか持ってるか」
「……?監督からの伝言をメモするために持ってきていたメモ用紙ならあるが?」
「それ、貸してくれ。あとペンも…」
「構わないが……」

金城から受け取ったペンを細い指で掴み、薄水色の無地のメモ用紙に癖のある字を連ねて行く。
これを見て、みょうじなまえはどんな反応をするだろう。無意識に上がっていく口角を隠すこともしないまま、巻島はそれをもらったばかりの箱の隙間に差し込み、字が見えるようはみ出させると、木の少し手前にあるベンチの上へと起き、そこから立ち去った。木の後ろにいる女子からは、プレゼントを拒否されたとも見えるだろう。ばれないよう長髪でカバーしながら視線だけ振り返ると、ベンチに駆け寄った女子がメモを両手で掴み読んでいるのが見えた。さて、どんな反応をしてくれるだろうか。はっと顔を上げた女子の視線と、巻島の視線が髪越しに絡まる。これだけ遠くから見てもよくわかる。女子の顔は真っ赤だ。

「さァ、練習っショ!」

初夏の日差しを浴びてきらきらと輝く愛車に手をかけ、空を仰ぐ。空は快晴とは言い難いが、巻島の心は青く澄み渡っていた。



『誕生日プレゼントは、直接渡すモンだろ』






補給食のくだりはでたらめなので、突っ込まないでください。
140707

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