みょうじなまえは昔から男勝りだと言われ続けていた。
運動神経がよく、所属しているバスケ部では二年の頃からレギュラーとして活躍しているし、試合を見に来た女子からも「カッコいい」と言われることが多い。
友達は男女共に多いがそこから恋愛ごとに発展することはなく、男友達からも「なまえってなんか女子より男子って感じがして付き合いやすい」とも言われてしまう始末。別に友達とどうこうなりたいとは思わないし、特にそいつに特別な思いを抱いていたわけではないが、ショックを受けたのは事実だ。
そんななまえが新開隼人という男と初めて喋ったのは、三年生になったばかりの春だった。
クラス替えで初めて同じクラスになった新開のことを、なまえは少しだけ知っていた。
これはなまえが新開に興味があったとかそういう理由ではなく、ただ単に新開が箱根学園内でもそこそこの知名度を持つ人間だったからに他ならない。
日本一の自転車競技部に所属し、その中でも特に抜きん出た実力を持ち、それをひけらかすことのない飄々とした態度。それからついでに、このルックス。
女子の視線を当然のように集め、話題にもよく上がる。だから当時の新開へのなまえのイメージは、『自転車のスゴいイケメン』くらいのものだった。

「みょうじさん、だよね?バスケ部の」
「え、うん…そうだけど」

だから、そんな新開がなまえのことを知っているとは夢にも思わなかったのだ。
私のことを知っていてくれたなんて、とときめいたわけではない。ただ、なんで自分のことを、と思った。
いくらそこそこ部員数の多いバスケ部で二年生にしてレギュラーを勝ち取っていたといえど、自転車競技部ほど輝かしい結果を残しているわけではない。
県大会なんかに優勝すれば校内新聞なんかにそこそこ取り上げられるが、それでも自転車競技部の大会の大きな記事の脇の小さな記事だ。だから、まさか“あの”新開が自分のことを知っているとは、と驚いたわけである。
そんなファーストコンタクトから数週間が経ち、同じ友人が数人いることを知った新開となまえは日に日に親しくなっていった。
当然そこに恋愛感情といったものはなく、他の男子と同じく友人として、だ。
ノリというか、リズムというか。そういうものが合うらしく、新開との会話のテンポは気持ちがいい。騒がしくするのも好きだが、掴み所のない新開とふらりふらりと話すのはなんだか楽しかった。
共通の友人、クラスメイトを交えて賑やかに話すのも良いが、なまえは新開と二人で特に取り止めのない話をするのが好きだった。

そんな二人の間に、変化が起きたのは夏が近づき制服が冬服から夏服に変わりしばらくした日の昼休みだった。
その日も新開を含めた男友達数人と、なまえと特に親しくしている女友達二人と話に花を咲かせていたときだった。
話題は最近付き合い出したクラス内カップルのことで、その二人が食堂へ行っているこのをいいことに色々と話し込んでいた気がする。もちろんそこに悪意はなく、なんと告白したのだろうとかあの二人って結構前からお互いのこと意識してたよな、とかそんなことだ。
そこから発展し、今度はその場にいる人間の恋愛の話になった。
サッカー部の男子がなまえに女バスの2年の子紹介してくれよと声をかけ、あの子はいい子だが男バスのあいつといい感じだったようなと思いを巡らせ、明確な返事をせずにふらりと躱す。
新開は別の男子に「おまえ、そういえばあの文芸部の女子とはどうなんだよ」と尋ねられていた。
文芸部の女子とは、少し前に新開と噂になっていた控えめで女の子らしい女子生徒だ。見かけによらず読書好きな新開は図書館へよく行くため、そこで仲良くなったらしい。女子も男子とはあまり話すタイプではないから、余計にその話は盛り上がったのだろう。
新開はその返事を「さあね」だか「まあそういうこともあるな」と誤魔化し、はっきりした言及は避けていた。
新開の話がひと段落し、今度のターゲットはとなったとき、先ほどの後輩に気があるサッカー部の男子がなまえの名前を呼んだ。

「そういえばお前はさ、なんかないの?男バスのヤツとか」
「逆に聞くよ、あるとおもう?」
「ねえな!」

あはは、とその場が盛り上がる。よくある定番の流れだ。なまえに春が来るなんて、そんなはずはない。もともとそういうつもりで話を振ったサッカー部の男子は満足したように笑っている。
事実なまえにはそういう恋愛絡みで親しくしている男子はいなかったし、なまえもそれでいいと思っていた。特に傷つきはしない。嫌なことを言われるわけでもないし、恋愛経験がないのも本当のことだったから。お約束というか、そういうものだと思っていた。

「みょうじさん可愛いのに、意外だな」

だから、新開のその一言は一瞬で場を静かにさせた。

当たり前のように言った新開の言葉に、友人たちが顔を見合わせる。
え、まじで?新開?と囁き合う友人たちを前に、新開は「オレ何か変なこと言ったか?」と呑気にパワーバーをくわえていた。
新開にすれば、そんなのなんてことない冗談だったのだろう。だが、『可愛い』なんて言葉に耐性のないなまえの顔は、一人真っ赤になっていた。
ばれないように俯いた顔を上げられず、耳には『可愛い』という音が残り、リフレインしている。

(可愛い?誰が?私が?文芸部の子じゃなくて?なんで?)

新開はイケメンで、女子によくもてるから、これはただの社交辞令だ。言い慣れているのだ。そうわかっているのに、照れずにはいられない。
そのときは「新開は面白いなあ」とからかっているということになり、昼休みのチャイムを合図に無理矢理会話を切り上げた。
これがみょうじなまえの18年の人生で初めて、異性に女の子扱いされた瞬間だった。

それから新開は、ことあることになまえを可愛いと言うようになった。
茹だるような暑さから気を紛らわすために髪を上げて髪留めで結べば『可愛い』、筆箱を新調すれば『可愛い』、コンビニでおまけ付きのジュースを買えば『可愛い』。
新開の可愛い攻撃は容赦無くなまえの心臓を貫き、心拍数を上げさせる。
照れに照れて物を言えなくなったなまえを見かねた友人が「なまえは耐性ないんだからほどほどにしてやってよ」と言っても、「でも可愛いんだから仕方ないだろ」という。暖簾に腕押し柳に風だった。
そのまま慣れることもなく毎日可愛いと言われて過ごし、ついに夏休みを目の前に控えた7月中盤となった。

その日は進路に関する三者面談のために、午前授業のみだった。
バスケ部であるなまえは面談のある日以外は部活漬けで、授業が終わるや否や教室を飛び出し部活へ向かっていた。
そこで一刻も早く練習がしたいと焦りすぎていたのがいけなかったのかもしれない。近い大会に関するプリントをクリアファイルと共に机の中に入れたままだったのを忘れてしまっていた。
重要なものなのでと自慢の足を使って教師がいないのをいいことに階段を一気に駆け上がり、廊下を走り、自分の教室へと辿り着く。
ドアの磨りガラスからは明かりが漏れていて、中に人がいるのかもしれないと躊躇したが時計を見ればまだ面談は始まっていない時間だ。
まだ誰か残っているのだろうとドアに手を掛けたとき、その声は聞こえた。

「っていうかさあ、新開オマエどういうつもりなんだよ?」

聞こえたのは、サッカー部の男子の声だった。
話し方からして、いつものメンバーの男子が集まっているのだろう。
新開が放課後教室にいるなんて珍しいとは思ったが、そういえば今日が面談だと言っていた気がする。だから始まるまで時間を潰しているのだろう。
つい、悪気はなかったのだが、話に聞き耳を立てる。聞こえてきたのは、なまえの名だった。

「みょうじのことだよ!可愛い可愛いって言ってさー」
「本当なんだからいいだろ?」
「いや…そうじゃなくてさあ」

どきり、と胸が鳴る。
本人がいないところでもこんな話をするなんて、となまえは暴れ出す心臓を押さえつけ、物音を立てないようにドアに耳をつけた。
新開はいつもの調子で、サッカー部の男子が本に聞きたいと思っていることには答えようとしなかった。

「もしかして、みょうじのこと好きなの?」
「……どうだろうな?」
「はぐらかすなって!」

はぐらかしてくれてよかったと、なまえは心底安堵する。
こんなところで言われてしまったら、もう部活は手付かずになるし、新開とも目が合わせられなくなるかもしれない。
そういえば、クリアファイルもとりにいかなければ。当初の目的を思い出し、聞き耳を立てている場合ではないと立ち上がる。
今来たところだから話を聞いていないというていにすれば大丈夫だろう。
そして立ち上がり再びドアの窪みに手を伸ばしたとき、今度は新開の声が聞こえてきた。

「だってさ、イイだろ。反応が」

ガタンとドアが鳴った。
誰かいるのか?とサッカー部の男子がドア越しに声を投げかける。なまえはそのとき、もう自慢の足で駆け出していた。
新開がドアを開け、廊下を覗き込むとなまえの小さくなった背中が目に入った。

「みょうじさん、」
「うっそ!」
「マジ?聞こえてた?」
「やべ…」
「……追いかけて来るよ」
「お、おお」

駆け出した新開は速かった。運動全般が得意というわけではないが、足には自信がある。もちろん自転車に乗っている時が一番速いが、新開は今、今までで一番速く走っているように感じた。

「みょうじさん!」
「っ!」

なまえの背中を捉え、スピードをあげる。
一度振り返り減速したなまえだったが、すぐに姿勢を戻し駆け出した。男女の差はあれど自転車部とバスケ部、距離はあまり縮まらず、そのまま廊下を出てグラウンドへ上履きのまま走り出す。
すれ違った人間がその異様な速さに目を剥いていることに二人は気づかず、終わりのない鬼ごっこを続けていた。

鬼ごっこの終わりは、グラウンドと校舎の間にある段差が引き起こした。
走りづらい底の薄い上履きのせいで段差に足を取られたなまえが体制を崩し、上半身をぐらりと揺らす。
大きな声をあげたなまえのシャツに新開は手を伸ばし、重力にしたがい落ちて行くのと逆に引っ張り上げる。
ようやく足が追いついたとき、なまえの体は新開の胸に収まっていた。

「っ…セーフ…」
「あ、ありがと…」
「どういたしまして」

なまえが新開の顔を見上げると、予想以上に近くにある。
頬同士には5cmも隙間がなく、いやでもその整った顔を視界に入れさせられた。
背後から抱きしめられているような体制に気づいたなまえが離れようと腕をバタつかせるが、それは新開によって抑えられ、逃れることができない。
「ちょっと新開」と声をかけても、新開は腕を離そうとしなかった。

「みょうじさん、このままでいいから…聞いてくれないか」
「な、なにを…」

私はこのままじゃダメなんだけど!という主張は流され、新開はなまえの耳に顔を寄せる。
囁かれたのは愛の言葉なんかではなく、謝罪の言葉だった。

「…ごめん」
「な、な、に…て、いうか、みみで、しゃべ…」
「可愛いって言われるの、嫌だったか?」

嫌だったかと聞かれると、そんなはずはなかった。
小さく首を横に振ると、「そっか」と呟いて、なまえの肩を掴んでいた新開の腕がなまえの首に回る。
抱きしめられているような、ではなく、完全に抱きしめられている体制になり、より新開の身体がなまえの身体に蜜着した。なまえの身体はもう沸騰状態だった。

「可愛いって言われたときのさ、みょうじさんの反応がすっごく可愛くて」
「!」
「言われるの、嫌だったかと思ってたんだけど」

なまえは、新開が自分なんかに『可愛い』と言うのは反応が面白くて、バカにしているからだと思っていた。だからこそ無意識のうちに逃げるように駆け出していた。
だけど耳元で囁かれる真実はそれよりも甘く、どこまでもなまえの身体を震えさせる。

「アイツらの前では言わなかったけど…オレ、みょうじさん…いや、なまえのこと世界で一番かわいいと思ってるよ」
「な、なんで…」
「なんでって、前から知ってたからな」

なまえの肩がぴくりと跳ね、その反応に新開が満足そうに笑みを深める。
「ずっと前から見てたよ」と囁かれるだけで変になってしまいそうな自分の身体がなまえは憎くて仕方がなかった。
もう社交辞令とか、言い慣れているなんてことでは済まされないような、それこそ社交辞令や言い慣れていると言ってはまずいような言葉。どうして自分にこの言葉を囁くのだろうと、一つの核心からは逃げ続けながらも考えを巡らせた。

「…最後に同じクラスになれて嬉しかった」
「そ、そりゃどうも……」
「絶対、好きにさせてみせるから」

がくん、と姿勢が崩れた。おっと、とそれを抱える新開の腕には、結構な体重がかかってしまっているのかもしれない。なまえはそれが恥ずかしく、自分の力で立とうとしたがそれは叶わず、動こうとすればするほど腰は沈んでいく。
新開に脇を抱えてもらってようやく立てている。まさか、あのささやきで腰を抜かしてしまったとでもいうのだろうか。なまえは今、とてつもなく家に帰って自分の布団にこもりたくて仕方がなかった。

「…腰抜けちゃった?」
「新開がへんなこと、言うから…」
「変なことじゃないけどな」

本当に思ってることだから。
今度こそ意識を飛ばしてしまいそうだと、なまえは直射日光と新開隼人という男にくらりとさせられながら考えていた。



その日から、新開隼人の『可愛い攻撃』は『好き攻撃』に変わった。


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