25.
ユキの目がとろんとしてきた頃を見計らって、唇を離した。
「なんで」と言いたそうな顔のユキにカレーを指差すと、気まずそうに頬を掻く。イチャイチャするのはいいけれど、今日の目的のほとんどはそれだけれど、とっととカレーを片付けてしまおう。その意思を汲み取ったのか、二人で席に着き、ただひたすら無言でカレーを口に運んだ。美味しいことには美味しいが、先ほどのような和やかな雰囲気はなく、ただただ気まずい。どうしてくれるんだ、これ。
もくもくと食べ進め、ようやく食べ終わったお皿をシンクに重ね、ユキにタオルを渡して先に風呂に入るよう言った。
ユキが風呂にはいっている間に洗い物を片付けようという算段だ。
お客様用のふかふかのタオルを持たせ、あっちだからとドアを指差したが、ユキはタオルと着替えを持ったまま棒立ちだ。
どうしたのか、何かあるのかと尋ねると、悩みに悩んだ末という風に「……一緒に入らないんですか」と、言いやがった。

「いや、私洗い物あるし」
「オレもするんで」
「お客様にはさせられないよ」
「やらせてください。んで、一緒に風呂入りましょう」

んで、じゃない。大きくため息をついて濡れた手をタオルで拭くと何を勘違いしたのか、ユキがぱあっと笑う。君が何を考えてるか知らないけど、そうじゃない。一緒に入る気なんてないから。
ぐいぐいと背中を押して脱衣所にユキを押し込んで、勢いよくドアを閉めた。なかなか建て付けの悪いドアが悲鳴を上げる。
その中から「なまえさん?!」と慌てた声が聞こえるが、知ったこっちゃない。ごゆっくりどうぞ、ととどめを指して、シンクの前へと戻る。
一緒に風呂?冗談じゃない。こちとら彼氏に処女を捨てる為に、風呂でたくさん準備をしなければならないというのに。これだから童貞は。私も処女だけど。
それに、ヤるまえから明るい風呂場で全裸を晒せるほど自分の身体に自信はない。二の腕も太ももも細いとは言えないし、胸だってまな板とは言わないが物足りない。
ユキはきっと「関係ないですよ」とか言うだろうけど、私には関係あるのだ。好きな人にいいように思われたいってのは、当たり前の発想で。
ユキは運動しているからTシャツの上からでもわかる位筋肉はついているし。……泉田くんには遠く及ばないけれど。きっと女の子ウケのいい細マッチョってやつなんだろう。確かにユキの腕は、女の子のフェチをくすぐりそうなかたちをしている。
……なにかんがえてんの、私。
一人になった家の中は、やけに静かだった。そのせいか、余計なことまで考えてしまう。
シャワーの音とシンクに流れる水の音が重なって、いつもより水音が大きく聞こえる。
食器を一通り洗い終えて自分の部屋に戻りパジャマを取ってリビングへ再び戻ると、水音が聞こえなくなっていた。どうやらユキが風呂から上がったらしい。
脱衣所に浮かぶぼんやりとしたシルエットが家族の誰とも違うことが、日常でないと私に伝えかけてくる。どきりした。
脱衣所のドアの前に立ちっぱなしだったせいで、突然開いたドアとその向こうの、肩にタオルをかけた少し髪の濡れたユキと目が合う。音もなくユキの髪に残った水気がタオルに一滴吸われた。

「風呂、ありがとうございました」
「はい……」

まあそこに座っててよ、と夕食を食べる前に座っていたソファを指差した。私の緊張が顔に表れていたせいか、それともユキも緊張していたのか、決まり悪そうに会釈をして私を通り過ぎたユキがリモコンを拾い上げ、テレビの電源を入れる。ゴールデンタイムらしいバラエティでリビングは一気に騒がしくなり、さっきまでの気まずさなどなにもなかったかのよう日常を演じさせる。
そうだ、ここは私のうちなんだ。私の、いつも寝てる家。ユキがいるからってそんな、うん。

「ユキ、私お風呂入ってくるから」
「……………はい」

何か言いたそうだけど。

「あの、なまえさん」
「何?」

会話を切り出したユキはつけたばかりのテレビには目もくれず、その視線は私の顔をまっすぐ射抜いた。
頬が赤いのは湯上りだからではなくて、室温が高いからというわけでもなくて、きっと今言おうとしていることはユキにとってこんなに照れてしまうようなことなのだろう。
だけどきっと大胆なことを言う。髪の毛拭いてもらえませんか、とか。

「なまえさんが風呂上がったら、髪濡らしたままで出てきてください。拭きたいんで」

逆だった。
予感が当たった、いや、掠めたことに妙な笑いがこみ上げる。
普段から私はドライヤーを使わない派で、タオルで水気を取って頭にタオルをかぶって乾くのを待つタイプだった。
ドライヤーが苦手とかではなく、単純にメンドクサイからだ。時々ご機嫌なお母さんにやってもらったりもするが、自分でやることなんて滅多にない。
明日は寝癖、酷くならないかもなあ。髪をきちんと乾かさないせいでひどい寝癖がついて、毎朝必死に直しているのはこのせいだ。
にこりと笑った私に、ユキの肩がびくっと揺れたのが遠目でもよくわかった。

「私、髪の量多いよ」
「いいですよ、超濡れたまま出てきてください」
「いや、床濡れるからちょっとは拭くよ」
「……」

さて、シンデレラの準備時間だ。






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