24.
「まぁ、寛いでてよ」
「…はい」

緊張しているのか、練習終わりにうちに来たユキの動きはぎこちなかった。
恋人の家にお泊り、そんな甘い響きに何も意識せずにいられるほどユキはクソ真面目な人間ではないことは明白で、こうなることもだいたいの予想のうちだ。第一、私だって緊張してしまっている。
だけど、それにしたってあからさますぎやしないだろうか。部活終わりにウチの近くに迎えにいってから目もあわせてくれない。お土産にと持ってきてくれたお菓子やらジュースやらの袋を持とうとすれば指先が触れただけで肩をビクッと跳ねさせるし(結局それは持たせてくれなかった)、こうしてソファに身を沈めている今でもテレビをつけているというのにちらちらと視線を彷徨わせている。
……正直、ここまで意識されるとめんどくさい。めんどくさいとは言い方が悪いが、「なにそこまで意識してんの?」と思ってしまうのだ。もちろん私だってユキを迎えにいくまではどうしようとそわそわしていたし、無駄に髪の毛を整えてみたり、爪にやすりをかけたりなんかしていた。殆ど家にいるのにだ。だけど、こんなに落ち着きのないユキをみていると、こっちが落ち着かなくてはという気持ちになってくるのか、不思議とさっきまでの焦りはなくなり私の頭はいやに冷静だった。
そうだ、私は年上なんだ。こう見えても、だ。だから、ユキをリードしなくてはならない。反応からみてユキは童貞だし、あまり手際よくやれるタイプにも見えなかった。その…避妊具はちゃんと戸棚から出してベッドの横の引き出しにいれてあるし、タオルも念のため待機させてある。我ながら準備万端具合に恥ずかしくなるが、こういう恥はヤってしまえば全部かわいいものに思える…んだと、思う。多分。
お母さんが作り置きしてくれたカレーを温めながら、ユキの様子を窺う。さっきよりは落ち着いたのか、今は優雅にテレビを見ていた。カレーが焦げ付かないようにぐるぐると回しながら、壁にかかった白い時計をぼんやりと眺める。7時過ぎ、夕食にはちょうどいいか少し早いくらいだろうか。温まったのを確認してから火を止めて、食器棚から二つお皿を出した。ドーナッツのチェーン店でポイントを溜めてもらったやつだ。真ん中には男の子の絵と女の子の絵がそれぞれ描かれている。

「ユキ、ごはんどれくらいいる?」
「できたんですか?」

立ち上がったユキがキッチンに入ると、後ろから私の手元を覗き込んできた。自分で入れますというのでお皿としゃもじを渡すと、食べ盛りの男子高校生らしい量を盛る。ルゥを入れてからスプーンそこに入ってるからと食器棚を指さすと、ユキはそこからカレー用の大きいスプーンを二つ取り出した。
自分の分も盛ってからリビングへと戻り、テーブルにお皿を置いた。湯気の立ったカレーは食欲をそそり、さっきまであまりおなかが空いていなかったというのになんだかお腹が鳴りそうだ。向かい合わせになって座り両手を合わせていただきますと言うと、ユキは私のお皿を指差して「少ないですね」と言う。昼食を何度も共にしているから私の食べる量というのはわかっていたと思っていたが、同じものをこうして並んで食べる機会はあまりなかったためにそう感じたんだろう。私からすれば、ユキのが多いというものだ。

「そんなにいっぱいどこに入るの」
「自転車乗ってるとお腹空くんですよ」
「へえー」

ダイエットになるかな。だけど、あの自転車は私には乗りこなせなさそうだ。部活の話とか、学校の話とか、普段してるのとあまりかわらない話題で食卓は盛り上がる。インターハイメンバーの名前と葦木場くんの名前がよくユキの口から出たが、東堂くんの名前は出ることがなかった。気をつかっているのだろうか、いっちょまえに。同じクライマーだから、一番多く出てもおかしくないはずなのに。
「東堂くんは元気?」と言ったとき、ユキのスプーンを握る手がとまった。少し見開かれた目と視線が絡まり、ユキは気まずそうに白い皿に視線を落とす。あんなにたくさんあったカレーは全部ユキの胃の中へ消えてゆき、底の男の子の絵が殆ど見えていた。食べるのはやいな、私の女の子は頭がちょっと見えたくらいだと言うのに。

「元気ですよ、相変わらず……よく口の回る、すごい人です」
「あはは、登れる上にトークが切れるんだよね」

東堂くんのことはもう何も思ってないよと言うつもりだった。苦しそうな顔をするユキに笑いかけてもそれは緩まらず、スプーンを握る手に力が篭りシワが増える。

「なまえさん」
「ん?」
「…………東堂さんと、オレ、その…どっちが、好きですか?」

コチコチと、壁掛け時計の音だけがやけに大きく聞こえた。瞬いた先のユキは泣きそうにも見え、そのスプーンは曲がってしまいそうなくらいだ。一拍置いて、小さな謝罪の声。有り得ないはずなのに、秒針の音のほうが大きく感じる。消え入るようなそんな声が、ユキの姿を小さく見せる。

「ユキ」

椅子から立ちあがり、手でユキも立つように示した。苦しそうな顔の中に疑問を抱えて立ち上がったユキの頬を撫でると、ユキの頬が赤く染まる。なんだか懐かしい気がする。そのまま触れるだけの口付けをして、鼻がぶつかるようなお互いしか見えないような距離のまま小声で囁く。

「そんなこと聞かなくてもさ、もう私の中はユキでいっぱいだよ」

こんな照れくさい言葉、今まで言ったことがない。数年前の私も、こういうことを言うような人間になると思って居なかっただろう。ユキの瞳が震え、睫毛がまたたいた。目を閉じるのと同時に、もう一度唇を擦り合わせる。まだカレー、残ってるのに。次第に深くなっていく口付けに溺れながら、もやがかった思考のなかでそんなことを考える。時計の音は、もう聞こえない。






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