23.
家に帰り夕食を食べ、洗い物をするといういつも通りの夜を過ごしていると、ソファで暢気にテレビを見ていた母が私の名前を呼ぶ。
濡れた手のまま振り返ることもせず、お皿を拭きながら返事をすると、なんでもないことのように爆弾のような発言が投下された。

「そういえば明日ママとパパでかけて泊まるから、お留守番よろしくね」
「はあ?!」

そういえばで片付けられるようなものではない。泊まり?そんなの、今はじめて聞いた。

「仕事の都合なんだから仕方ないでしょ、友達呼んで泊まってもいいから」
「それならもっと早く言ってよ…。明日なんて誰も来てくれないよ」
「あら、彼氏はどうなの?」

思わず持った白くて丸い、パン祭のお皿を取り落としそうになった。

「お母さん!」
「冗談だって、まぁ、彼氏がくるならお父さんにはナイショにしとくのよ」

けらけらと笑う母の目線は依然お笑い番組に注がれている。
年頃の娘が留守番のときに二人きりで家に彼氏と泊まらせるなんてどういう神経をしているんだ、と小一時間ほど問い詰めたい。普通は「友達ならいいけど彼氏はダメだからね」なんて言うところのはずじゃないか。
しかもお父さんにも内緒にって、結局それってお父さんには許されていないということなのではないか。
18歳、黙って母親の言うことを素直に全て聞き入れるような年ではなかったけれど、ここまで放任されると寧ろその方が不安になる。
彼氏と泊まりなんて、一般的にはすることはたった一つじゃないのか。近所のレンタルビデオ屋でDVDを借りてきてふたりで見て別々の布団で寝るだけなんてことはありえないって、人生も40年目をすぎたら当たり前にわかることだろう。

「お、お母さん…いいの?意味わかってる?」
「意味ってなによ?あ、そうだ。あそこの戸棚の奥にさぁ、コンドーム入ってるから。ちゃんと避妊はしなさいよ」
「っ…わ、わかってるってば!」

洗い終わったお皿をカゴに入れ、近くにかけられたタオルで手を拭きながら母から顔を背けた。
なぜ私がここまで恥ずかしい思いをしなければいけないのだろう。我が家にある避妊具の場所なんて正直知りたくなかったし、私はまだそういう経験がないから使ったことはないけれど、うちにあるということはその…両親がいまも使っているということではないのか。
それはそれで複雑な心境だ。仲良きことはよきかなだけれど、40と50手前の両親が…なんて、あまり想像したくない。
だけど、おかげでこうしてユキとお泊まり会ができそうなのだ。まだ大丈夫かは聞いていないけれど、私はすっかりもうお泊まり会をする気になっていた。
練習で忙しかったらどうしよう。明後日は休日だが、また朝早くから練習があるのかもしれない。
部屋に戻り自分のベッドに寝転がりながら、明日の夜暇?とシンプルなメールを送ると、相手もケータイを見ていたところだったのだろうか、返事はすぐに返ってきた。

「暇ですよ、どうしました?…うーん」

誘いをかけていいものだろうか。きっとユキは今頃、明日電話でもするのかと考えているだろう。まさか泊まりにこないかと誘われるなんて思ってもみないはずだ。
ここに来て羞恥が湧き上がり、身体がもぞもぞとくすぐったくなってきた。メール画面を閉じ、深呼吸をしてからアドレス帳を開く。黒田雪成、その下に並ぶ11文字のナンバーを押すのは何度目だろう。電話をかけるのは私からよりもユキからの方が多かった。

「…も、もしもし?」
「もしも…あ、すいません、ちょっと…イテッ彼女、彼女です!はい、…もしもし?」

スピーカーからユキの声に混ざりどこかで聞いたことのあるような声がする。あの乱暴な話し方は………誰だっけ?まぁいいや、自転車部なんてキャラの濃い人間の集まりだときくし、東堂くんのおっかけをしていた頃に声を聞いた事のある人なのだろう。
少しずつ遠ざかる周りの声がなくなると同時にバタンと扉を閉めるような音がした。部屋を出たのだろうか、先ほどとは打って変わって声は聞き取りやすく、周りは静かだ。

「えーと…まだ学校なの?」
「ああいや、先輩たちが久々に部活来てくれて、シゴかれて休憩してました」
「なるほど」

形式上は夏で引退した今年のインターハイメンバーを含めた3年が、部活に顔出しをしにきていたらしい。泉田くんも葦木場くんも、もちろんユキも先輩にえらくなついていたようだし、さぞかし盛り上がったのだろう。この時間まで残っていて大丈夫なのかと思ったが、そこは新旧部長がどうにかしたそうだ。
それで?と電話をかけた理由、本題を尋ねられ、思わず吃ってしまった。ごまかすように母音を伸ばす私に、電話の向こうのユキは無言のままきっと首を傾げていることだろうと思う。
彼氏に泊まりの誘いをかけるなんて、あからさまにその…『やりませんか』と言っているようなものだ。付き合って一ヶ月足らずなら露知らず、もう交際歴も4ヶ月近くになる。きっとユキは意識するだろう。
黙り込んだ私を不思議に思ったのか、心配そうに名前が呼ばれた。何かあったんですかと少し落とした声のトーン。余計な心配をかけるわけにはいかないとあのね、と切り出した声は高くはなかっただろうか。

「す、ストレートに言ってもいい?」
「…どうぞ?」
「う…うちに、泊りに…こない?明日」

カシャン、ガチャガチャ、ツー、ツー

思わず携帯電話から耳を離してしまうような激しい騒音。それから、通話が終了したことを示す無機質な音が残る。
なにがあったんだろう。音からして、携帯電話を落としたのだろうけど。
やっぱり、私たちには早かったのだろうか。それともユキはそういうことをする気がなかったのでは…と思ったが、例の勉強会では散々触れてきたわけだし興味がないわけではないはずだ。
かけ直そうと携帯電話を操作しようとした瞬間、けたたましい音で着信が知らされる。もちろんユキからだったが、驚きのあまり今度は私がケータイを取り落としてしまった。ふかふかのベッドに跳ねることなく着地した携帯電話を慌てて手に取り通話に出ると、電話の向こうの様子も慌ただしい。

「っなまえ、なまえさん?!」
「は、はいもしもし…」
「あの、さっきの!」

どういうことですか、という声は尻窄みに小さくなっていく。どういうもこういうも、そういうことだというのに。
二回目になると、羞恥心は感じなかった。寧ろ、ユキが慌て過ぎていてこちらが冷静になってきたというのもあるのかもしれない。
一言一言、ゆっくりと確かめるように、「明日、うちに泊りにきませんか?」と伝えた。急な誘いではあるが、乗ってもらえるだろうか。
今度は騒がしい音もしないし、通話も切れなかった。
無言の時間が続き、さっきユキがしたように私も名前を読んで返事を促そうとすれば、それをする前にユキは答える。

「いい、んですか」
「急なことで申し訳ないんだけどね、どうかなって」
「…明日は夕方まで普通に練習あるんですけど、明後日は午後練なんです」

控えめに告げられた「…期待、しちゃっていいですか?」の問いの返事は上手く伝わらない。こくこくと、真っ赤な顔で携帯電話を片手に頷くしかなかったから。


140422






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