21.
ペンキを補充してから1時間が経ち、あと少しで完全下校時刻となるために片付けを始めた教室の中で、友達が私の名前を呼ぶ。
ハサミでも置き忘れていたかなと彼女のいる廊下に出ると、そこには思いもよらない人物が立っていた。
普段の私なら、彼女の少し高くなった呼び声で気づいていただろう。手に輪行用のカバンとスクールバッグを持ち、帰る準備を完璧に済ませたユキは申し訳なさげに小さく頭を下げた。
先に帰れよというクラスメイトの言葉に甘え、後片付けも程々にスカートを履いてからジャージを脱ぎ、帰り支度を済ませてユキの元へ走る。
着替えの様子を見ていたユキはいい顔をせず、何か言いたそうな顔をしながらも言葉を飲み込んでいるように見えた。
我慢しているのだろう。この後輩は前から、人を頼ることを知らなさすぎる。

「…すいません、来てしまって」
「いいよ別に。会いたかった」

正直な気持ちを口にすると、ユキは立ち止まって輪行袋を床に一度置くと逆の腕に掛かっていたスクールバッグをリュックのように背にかけて、それからまた輪行袋を持ち直す。
伸ばされた手を素直に掴むことができたのは間違いなく背の高い後輩のおかげだ。
久々に繋いだ手は暖かく、力強い。それから、前よりも荒れている気がする。
校内で話すことを禁じられているかのように、手をつないでから始終無言を貫いていたユキが口を開いたのは、校門を出て少し歩いてからのことだった。
まず出てきた謝罪の言葉を先に言わなければいけないのは自分だったのに、遮って何かを言おうとした私の口を大きい手で塞いだユキは、今までに見たことのない真剣な顔をしている。
その表情に騒ぎ出した心臓を抑え、ユキの言葉に耳を傾けた。

「オレ、内緒でちょくちょく、なまえさんの教室とか見に行ってて。それでクラスメイトと仲良くやってんの見て、すげー妬いて」
「久々に昨日会ったとき嬉しすぎて、周り見えてなくて。一応人前では控えるってことになってたのに、なまえさんのこと考えてなくて、すみませんでした」
「女子と帰れとか言われてめちゃくちゃ傷ついたんですけど、さっき葦木場と塔一郎に言われて気がついたんですよ。余裕なさすぎだな、って」
「なまえさんがちゃんとオレのこと好きだって分かってたら、そんな嫉妬することないんですよね。さっきもなまえさん男子と話してたけど、そう考えたらあんまし苦しくなくなって」
「だからその、オレのこと、もっと好きになって欲しいな、って思って」

ようやく口から手が離されて、その手が真っ直ぐ迷いなく私の肩を掴んだ。
反射的に瞑った瞼も、瞬間的に塞がれた唇も、全部全部ユキのためのものだった。

「ユキごめん、私もすごい嫉妬してた。年上だからもっと余裕な振りしなきゃいけないのに、ユキが他の子と楽しそうにしてるのすごいムカつくんだよね」
「…オレもですよ、ムカついてます」
「お互いさま?」
「そうですね」

再び繋がれた手は恋人繋ぎと呼ばれるそれで、ユキの長い指が私の指に絡まるのがひどく愛しく、もどかしい。
我慢の必要がないと言われたような気分だった。
ユキも本心やしたいことを私にぶつけて、私もユキに全てをぶつける。これでいいのではないだろうか、私たちの関係は。

店や街頭の明かりで照らされて伸びた影は私たちの身長差を顕著にし、一つ年下なのになあと私の心臓を擽る。
絡まった手を離し5歩前に進むと、影の中の私とユキの頭が同じ場所に揃う。
さらに2歩進むと私の方が大きくなったがそれはユキの大きな一歩で縮められ、また同じ高さに戻った。

「…これくらいだったらキスしやすいかもしれないですね」
「え?」

1、2、3歩で縮まり、ゼロになった距離を見て、コンパスの違いをありありと感じた。
今隣に車が通って行ったのを気にせず、歩道だというのに身を屈めたユキに身を預け、また一つキスをする。
甘いなあ、空気が。
再び絡められた指が私の手の甲をなぞり、妙な気持ちにさせられた。
…このままウチ来てくれないかな、なんて。

「あー…ダメです。オレ、早く帰りましょう」
「え?」
「このままじゃマジで抑え効かなくなるんで、あの」

耳まで赤くなったその姿に笑みがこぼれたのは仕方のないことだと思う。
恋人と同じ時間に同じことを考えているということに喜びを覚えない人間なんているはずがない。しかも、求めてくれているだなんて。
熱くなったユキの頬を繋いでいない少し冷えた手でぺちぺちと叩き、青に変わったばかりの横断歩道を白色だけを踏むようにして渡った。


140418






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