12. 肩書きが変わっただけで、彼との関係が劇的に変化するかといえばそんなことはなかった。 変わったことと言えば呼び方くらいで、私は黒田くんをユキと、黒田くんは私をなまえさんと呼ぶようになった。 会うのは時々廊下で、それから訪ねて来た時に。 周りは私が東堂くんにお熱だったことを知っているから、できるだけ内緒にして欲しい伝えた。 ユキは気にしないかもしれないけど、周りはそうもいかない。 私が東堂くんに振られたからユキに鞍替えしたとでも思われたら、私でなく東堂くんやユキに迷惑がかかるのだ。 すぐに夏休みに入ったこともあり、幸い私とユキの仲は誰にも噂されなかった。 知っているのは当事者の私たちと、泉田くんと葦木場くんだけ。 この二人にはいずれバレるだろうし、仲良くさせてもらっているし、口も軽そうなタイプには見えないから。 葦木場くん辺りが無自覚にふんわり言ってしまいそうな気もするが、そこはユキと泉田くんにしっかり言ってもらったので大丈夫だと信じたい。 そんなこんなで始まった私たちの交際は、順風満帆に進んでいた。 結局、インターハイにはいかなかった。 これはユキが出ないからというわけでも、東堂くんを見るのが辛いからというわけでもない。 父方の遠方に住む祖母が急に体調を崩したため、そちらへ向かう用事ができていけなくなってしまったからだ。 東堂くんのこともあり気乗りしないのは確かだったが、泉田くんもかわいい後輩の一人であるので彼の雄姿は見ておきたかった。 電話で報告された結果には、まともな返事をすることができなかった。 目の前で見ていないのに、雑誌や文面や動画や音声だけで激しい争いだったなんて言ってはいけない気がしたし、私が励ましたりできる領域ではなかったからだ。これは、ユキが一年生くんに負けた時と同じだった。 インターハイが終わるとしばしの休みがあったらしく、当然のことながら走っていたそうだが、ユキはことあるごとに私に電話をかけてきた。 箱根の天気や泉田くんの話、諸事情でインターハイに行くことすらできなかった葦木場くんの話。 私はそれに、祖父母のうちにいる猫の話や植えられた花の話を返した。 なんでもよかったのだと思う。会いにいけない距離にいる相手のことを少しでも多く知りたくて、ユキと私はたくさんのことを話した。 それこそお父さんに怒られるくらいで、怒声が聞こえるたび申し訳なさそうに謝るユキがかわいい。 最後に必ず「早く会いたいです」と言ってから切っていることにユキは気づいているのだろうか。 一時はどうなることかと思った祖母の体調は回復に向かっていて、もう2,3日様子を見て何事もなければ帰れそうとのことである。 なまえちゃんの彼氏くんのためにがんばるね、と病人とは思えない笑顔で言ってくれたおばあちゃんに、なんだか胸がかゆくなった。 おばあちゃんの体調も回復し、ようやく家に帰れることとなった。 帰りの電車の中でユキにその旨をメールすると“迎えに行ってもいいですか?”と尋ねられ、了承した。 添えた猫の絵文字は照れ隠しだ。 電車には母も父もいるのに、ユキに会ってしまって大丈夫だろうか。 母にそれとなく彼氏が来るからと告げると、父にはいいように取り計らってくれるらしい。 その代わりまた改めて紹介してくれ、と赤い唇をにっと歪めた母には逆らえなさそうだ。 両親とは別の改札、東出口から駅を出るとケータイを片手に立ったユキがすぐに見つかった。 向こうは気づいていないらしく、キョロキョロしている。 ただで会うのは勿体無い気がして、気づかれないよう恐る恐る背後に近寄った。 「誰だ!」 「っ、」 作戦成功である。後ろから目を隠すと、狼狽えたユキの声。 振り返った顔の赤さには満足いった。呆れたように呼ばれた名前はまだ聞きなれない。 「そういうことやめてもらえます?」 「怒った?」 「…超かわいいです」 自分で言ったくせに照れている。遠慮がちに大胆なことをする彼が、その度照れていると気づいたのは割と最近のことだ。 そこを付くとまた拗ねるのが、年下らしくてかわいいと思う。 私服だな。初めて見るその姿にドキドキしながら手を差し出すと、優しく包まれた。 大きくて骨張っている。皮が厚くて、自転車に乗っている手だった。 筋をなぞるとくすぐったいと避けられてしまう。男の人の手がイイなと思ったのはこれが初めてで、これが男の人の手なのかユキの手だからなのかはまだわからない。 夏の暑さと緊張からじっとりと手汗で濡れているはずなのに、不思議と心地よく感じたのは好きということなのだ。 140227 ←→ |