小説 long 6 | ナノ
3

「あー就活やめたいっ!!!」
「お疲れだな、ほらこれでも飲めよ」

2003年、晩夏。
本来であればもうとっくに大学を卒業して就職している名前は、留学していた事もあり1年遅れで就職活動に勤しんでいた。

「行き詰まってんのか?」
「うん…、ここら辺で探してるんだけど条件合わない所が多くて」
「都内なら他にもありそうだけどな」

そう言って、真一郎は心配そうに名前を見つめた。
疲れていたこともあり、名前は「実家から遠くなると会う時間減っちゃうじゃない」と、無意識に洩らしていた。
隣からゴトッという音がして真一郎の方を見ると、なぜか彼は椅子から転げ落ちていた。

「え、どうしたの真一郎。大丈夫?」
「や、その…名前がそんな事言うなんて珍しいなって思って」
「そんな事?」

私何か変な事言ったかな?と、名前が首を捻っていれば、真一郎は口元を手で隠しながら、「俺と会えないの、寂しいって思ってくれてんだな」と言った。
その瞬間、ぶわっと名前の顔に熱が集まった。

「え!いやこれは、そのっ」
「寂しかったんだなぁ名前ちゃん?」
「っ…!もう!そうだけど悪い?!」

確かにここ最近、就活やらバイトやらで忙しくて、真一郎と会う時間は減っていた。
就職して本格的に働き出すことになれば、忙しさは今の比じゃないことは簡単に予想ができた。だから名前は、少しでも真一郎と居られるようにと思っていたのに、こんな所で思わぬ形でバレてしまい、恥ずかしさで語尾が強くなってしまった。

「いや?お前も同じ気持ちなんだって思うと嬉しいよ。俺も会う時間減って寂しかった」
「真一郎」
「だけど、名前の受験の時も留学の時も俺達乗り越えられただろ?だから大丈夫だって!な?」

会えない期間が続いていても、真一郎はずっと名前を信じて待っていた。
あの時と同じ不安が今もない訳ではない。だが真一郎の言葉は、名前をどんなことより安心させた。

「そうだね…、でもやっぱり実家から通える所で探す!」
「そっか。まぁ確かにその方がいいな!これから一緒に暮らすことになるしよ」
「へ?」
「は?」

だが突然の真一郎の言葉に、名前の体が固まった。
今、真一郎なんて言った………?

「一緒に、暮らす?」
「???だって結婚したら一緒に住むじゃねぇか」
「結婚?!?」
「………ハッ!!!」

名前が“結婚“という言葉を繰り返せば、真一郎はいきなりハッと口を塞いだ。

「ち、違うんだ!!今のは聞かなかったことにしてくれ!いや、違くはないんだが今じゃなくて!その、お前が卒業したら言おうと思ってて!!!」
「ま、まって真一郎!落ち着いて、ね?」
「お、おう………」

真一郎はゆっくり深呼吸をすると、顔を俯かせてついには黙った。
名前はそんな真一郎をチラッと見ると、「結婚、考えてくれてたんだ…」と、小さな声で呟いた。

「名前」

真一郎は名前の言葉に顔を上げると、目をキリッとさせて言った。
その様子がまるで名前が告白した時と重なって見えて、名前はひどく懐かしさを感じた。

「もっと色々考えてたんだ。タイミングとかシチュエーションとか」
「うん」
「こんな時まで俺本当にかっこ悪いんだけどよ…。大学卒業したら、俺と結婚してくれないか?」

真一郎はそう言うと、引き出しから箱を取り出し静かに開けた。

「…これ」
「1ヶ月後の記念日に渡すつもりだったんだが、今貰って欲しい」

真一郎が差し出したのはピンキーリングだった。
ピンクゴールドに輝くそれが、真一郎によって名前の小指に嵌められた。

「俺と、これからもずっと一緒にいて欲しい」
「っ、真一郎!!!」
「おわっ!」

名前は堪らず真一郎に抱きついた。
細身だがしっかりと筋肉がついている真一郎は、名前をなんなく抱きとめた。
名前は真一郎をぎゅっと抱きしめると、「幸せに、してね?」と、涙ながらに呟いた。

「あぁ。必ず名前を幸せにする」

そう少し震えた声で呟いた真一郎に、「ふふ、あの時と同じだ」と、名前は小さく笑った。

「シンイチロー」
「おう、マンジロー」
「お、ここにいた。あれ名前どうしたの?」

棒付き飴をくわえたマイキーは、真一郎に抱きしめられて泣いている名前を見て、「シンイチロー泣かしたの?サイテーじゃん」と、冗談めかしく笑った。

「ちげぇよマンジロー。それで?何か用だったか?」
「いや家帰るついで。エマがご飯もうすぐ出来るって」
「そうか、ありがとな」

どこか照れている様子の真一郎に何かを感じ取ったのか、マイキーは続けて、「シンイチローに泣かされたら俺に言いなね?」と、名前に言った。

「ふふ、そうするね」
「えっ名前?」
「そうだ名前、今日家くるー?エマが会いたがってた」
「えー、じゃあ久しぶりに寄って行こうかなぁ。いい?真一郎」
「おう。帰りは送ってやるな」

名前がマイキーの冗談に思わず乗っかれば、続いて嬉しいお誘いを受けた。
マイキーとエマに会えるだけでなく、夜まで真一郎と一緒に居られることが嬉しかった。



「あー名前ねぇ!!待ってたよっ!おかえり!!」
「エマちゃん、ただいま!」
「おうエマ、兄ちゃん達におかえりはねぇのかよ」
「そうだそうだー」
「2人ともうるさっ!はいはい、にぃ達もおかえり」

佐野家に着き、エプロンを付けたエマが出迎えた。
「手伝うよ」と、当たり前のように置かれている名前専用のエプロンを身に付け、彼女の隣に立つ。

「ありがとー!じゃあこれお願い」
「了解!真一郎とマイキーくんは手洗ってきなよ」
「「はぁーい」」

さすが兄弟ということもあり、同じような仕草で洗面所に向かう2人に笑いが漏れる。
そんな名前を見て、エマも「なんかこういうのいいね」と笑った。

「うん、幸せだね」
「うん、エマ幸せ!」

その日、皆でこたつに入りながら囲んだ鍋は、本当にどこか幸せな味がしたと名前は思った。















でもそんな日常もあっけなく崩れ去った。

「は?………死んだ?」

8月14日、朝の5時。
ひっきりなしに鳴る携帯を取り、名前は寝ぼけた頭で電話に出た。
前日は大学の友人らと遅くまで飲んでいたこともあり、脳はまだまだ覚醒していなかった。
電話の相手はエマで、「っう…、ねぇ… 名前ね、ぇ…っうぇ………」と、なぜか泣いていた。

「ん…エマ、ちゃん?どうしたの、こんな朝早くに…。何かあった…?」

名前はどことなく嫌な予感がしたが、寝ぼけた頭では彼女がなぜ泣いているか分からなかった。

「うん、ゆっくりでいいから…」
「あ、あのね………っひぅ、にぃが」

名前はじっとエマの言葉を待った。

「真っにぃが、うぅ…死んじゃったぁ」
「は?………死んだ?」

その瞬間、名前の脳は覚醒したが、エマの言葉を理解するまでしばらく時間がかかった。
エマは名前に病院名を伝えると、「す、ぐに来てぇ」と、嗚咽を漏らしながら電話を切った。
突然の出来事にベットの上で呆然と携帯を握っていれば、駆け足で階段を登ってくる音と、「名前!!佐野くんが!!!」と、焦った顔をした母親が部屋に飛び込んできた。

「っ… 名前」
「………お、お母さん」
「名前っ!病院…、病院に行きましょう。お母さん車出すから、ね?」

名前の顔を見た母親は小さく息を呑み、動かない名前を支えて家を出た。
車の中では、互いに何一つ喋ることはなかった。





「っ、名前ねぇ…」
「…エマちゃん」

病院に着き、受付で真一郎の名前を言えば、「こちらでお待ちください」と、待合のような場所へ案内された。
そこにはマイキーとエマもいて、おじいさんは警察の人と話をしている様だった。

「名前ねぇ、っ真にぃ死んじゃったぁあああ」
「………っ」

エマは名前に気がつくと、目から涙を溢れさせ抱きついた。
マイキーは憔悴しきった顔で椅子に浅く座り、じっと天井を見上げていた。マイキーのハイライトのない黒い瞳は、どこかいつもより空虚さを孕んでいた。
この中では名前が1番大人であり、しっかりしなくちゃいけない存在でもあるのに、名前は何もしなかった。
「真にぃ」と、繰り返し呟くエマの肩を抱くことも、マイキーに何か言葉をかけることもしなかった。
名前は何も出来なかった。



「こちらへどうぞ」

しばらくして、おじいさんが戻ってきた後、看護師に案内され、名前達は真一郎の元へ通された。

「真一郎…、ワシより先に逝くとはな…」
「真にぃ…っ、うぅ、真にぃ………」
「………」
「真、一郎」

真一郎の顔は青白く、黒い瞳は閉じられ、その口は固く結ばれており、血が通っていない硬直した体は、真一郎がもう死んでいることを物語っていた。

「うそだ、…やだよっ、いやだ」

真一郎が死んだと理解するには、十分すぎる程だった。





「………一虎と場地がヤッたんだ」

あれからエマとおじいさんは部屋を出ていった。
部屋にはまだそこから動けずにいた名前と、何を考えているか分からないマイキーが残った。

「…あいつら、シンイチローの店に盗み入って見つかって、………一虎が殺した…」
「…盗み?」

一虎、場地。
名前はその名前に聞き覚えがあった。確かマイキーの不良仲間じゃなかっただろうか。
不良…、仲間。

その瞬間、名前は自分の中で何かが崩れる音がした。

「ねぇ名前…」

マイキーが何か言っているが、名前の耳には届かない。
名前は小指に輝くピンキーリングに触れた。

大学卒業したら、結婚するはずだったのに。
これからもずっと一緒にいようねって、おじいちゃんおばあちゃんになるまで一緒に笑ってようねって約束したのに。お前を幸せにするって言ってくれたのに。
なんで、なんでなんでなんで。
なんで真一郎なの。

「俺のこと、マンジローって呼んでよ」

やっぱり不良なんて、大嫌いだ。

名前はぐっと歯を食いしばり、部屋を後にした。
この時、マイキーがどんな気持ちであぁ言ったのか、あの時の名前には分かるはずも、考える余裕もなかった。


prevnext
back


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -