▼2
「さあ、乗ってください。心配いりませんよ。きちんと人間界で運転免許を取得しましたからね。」
「えっと、失礼します。」

『運転免許』という言葉は聞いたことがないが、人間界では乗り物を操縦するための資格のようなものが必要だと聞いたのできっとそれだろう。

矢部さんが開けてくれた扉から入ろうとすると頭をぶつけそうになった。『助手席』というらしいその席は座り心地はいいのだがとにかく狭い。人間は何故こんなにも窮屈な内装にしたのか理解しかねる。

「では発車しますよ。吐きそうになったらそこの袋にお願いします。」

矢部さんが澄ました顔でガチャリと音をさせると、ブォンと音がして車が震え始めた。人間界の乗り物はどういう原理で動いているのかさっぱり分からない。だが動き出した瞬間そんなことはどうでもよくなる。とにかく気持ち悪い。袋を掴んで口に当てるが吐きそうで吐けない。

「大丈夫ですか?もう着きましたよ。」

グターッとしているといつの間にか目的地に着いたらしい。私は矢部さんが開けてくれた扉から出た途端に吐いた。恥ずかしいが、地べたに吐かずに済んでほっとした。袋万歳!

10分くらい矢部さんに背中を撫でられながら蹲っているとようやく落ち着いた。もうくるまなんてのらない。

「とりあえず部屋に行きましょう。部屋は2階にある203号室です。」

『やべアパートメント』と書かれた建物の階段を上がり、203号室に入った。乗り物どころか部屋も狭いのかと落ち込んだが、矢部さんが言うには一人暮らしの物件の中ではそこまで狭いわけではないらしい。

「20m²で1DK、家賃は月4万円です。ただ、お風呂はないので近くの銭湯をご利用くださいね。高円寺駅へは徒歩4分で行けますよ。」
「駅…、確か列車というものに乗り降りする場所でしたっけ?」
「はい。まあ分からないことはお隣202号室の佐々木さんに聞いてください。悪魔ですが地下世界人には優しい人ですよ。あ、お隣さんへ挨拶に行く時は菓子折りを持っていくのがこの国のルールです。」
「そうなんですか、分かりました。」
「さて、名前は決めましたか?」
「あ、忘れていました。」
「そうだろうと思いましてこちらで候補を挙げておきました。橋本芽依(はしもとめい)というのは如何でしょうか?メフィさんというお名前でしたので『め』から始まる名前にしてみました。」
「めいって言いやすくていいですね。じゃあそれでお願いします。」

「かしこまりました。」と矢部さんが言った途端、ボンッという音と白い煙と共に今度は紙やカードなどが何枚か現れた。

「このカードが健康保険証です。身分を証明できるものを見せてくださいと言われたらこれを出してください。あと病院に行った時にも必要です。そして、この赤い冊子が『日本で暮らすあなたに必要な常識ガイドブック』です。一通り目を通してくださいね。最後にこの書類にサインと血印をお願い致します。」

なんて優しいんだ、流石天使!と思いながら健康保険証と言われたカードをしげしげと眺めると、書類を手に取った。部屋を借りる契約書のようだ。特に気になることは書いていなかったため、渡された羽ペンでさらっとサインし、右手の親指をかじって血印を押した。

「はい、有難う御座います。お部屋について分からないことがあればこちらにご連絡ください。天界の携帯電話からお願いしますね。」

最後に名刺を渡すと矢部さんはボンッという音と白い煙と共に消えた。頼むからそれやる時は前もって何か言ってほしい。心臓に悪い。

とにかく、これで日本で暮らすことができる!疲れたからひとまず今日のところは寝よう。そう思って部屋を見渡すとベッドがない。焦って部屋中を探してみると押し入れに布団があった。ガイドブックを読んでみると畳の上に敷く寝具と書いてあった。

いろいろとカルチャーショックだ。私は敷いた布団の上にバタンと倒れた。
prev | next

Attention, please!
× 再配布・自作発言はご遠慮ください。
改変はご自由にどうぞ。
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -