くだらなくて俗世にまみれたこの思考を棄て去ることが出来たら僕は飛べるだろうか。


 夕方のカフェの喧騒のなか窓際の席に座り空をふと見上げた。周りは高いビルばかりが並んでいて、狭くて窮屈そうだった。これじゃ飛べないな、なんてくだらないことを思いながら湯気の立つカフェラテに口を付ける。なんだか馬鹿馬鹿しくて、ふ、と声が漏れた。

「なに笑ってんの」
「ううん、なんでもないよ」

 彼女は腑に落ちないような表情を浮かべていたが、それを無視して僕は荷物を置いていた席を彼女に譲った。あまいココアの匂いがする。

「そういえばこの間の合コンだけど」

 そう言って彼女はにっこり笑顔をつくり、どうだったのと言葉を続けた。僕は彼女を心底怨めしく思った。何もかも本当は知っているくせに、彼女は、自分の、優越感のために、僕に聞くのだ。そしていつものように僕は言葉を返す。

「どうもしないよ」
「そう」

 僕のいつもの返事に満足した彼女は、目尻の皺をさらに深めてマグカップに手を伸ばした。僕はそんな彼女を横目にちらりと見て、視線を窓の外の狭い空へと戻した。
 彼女は僕にとってひらひらと舞う雪のように儚げで美しい人だった。色白でマシマロのような頬に垂れる長い漆黒の髪が扇情的で、僕は幾度となく欲求に負けてしまっていたこともあった。しかしそれは彼女を汚してしまっているようで僕には罪悪感があった。そんな僕の後ろめたさを彼女は敏感に感じ取っていたようで、僕が何も言えないことを良いことに彼女は僕を使って優越を確認していた。そう、僕には何も言えなかった。

「外、寒そうだね」

 ガタン、と窓を風が叩く。春だと謂うのに外の人たちはコートをたぐり寄せ、身体を縮こませて足早に歩いている。いつの間にか空も暗くなり吸い込まれそうな闇が顔を出していた。
 僕はビルに挟まれ狭い闇を見上げてこの思考を棄て去ることは不可能なんだと知らされた気分だった。もし思考を棄て去って飛ぶことが可能になったとしても僕は闇ではなく青い空を飛びたいと思うし、何より隣の彼女の存在に対して僕の心が動かないなんてことはあり得ない。

「帰ろっか」

 退屈そうに窓の外を見ている彼女をちらりと横目で見て、僕は冷めたカフェラテに視線を落とした。


(最初からわかりきっていたことだった)






 
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