春も盛りになったころだろうか。戦争も終わり数年が経った頃、この日本という国は随分と平和な国になり、戦争で親や家族を亡くした人間や、それを生業としのし上がっていった裕福な人間との差が激しくなり、どうやらさまざまな意味で戦争から抜け出し垢ぬけしたような、そんな世界になっていた。
そんななか、この帝都、王子市四天宝寺横丁の一角にある白石古書店という場所で私は働いている。
戦争が終わった当時、唯一の兄を亡くした私は兄の友人である白石蔵ノ介という人物に引き取られ、ともに生活をしている。私としては働き口とともに住む場所もでき、そして兄を弔うこともでき、万々歳と言ったところでこの生活に十分に満足をしている。世の中には住む家がなくて死ぬ人もいるのだからそんな人から見たらわたしはなんて天国なのだろうか。いや、まだ生きてはいるので天国も地獄もないのだ。結局のところ私はただ生きていることに感謝しながらこうやって生きているのだから何の不便もないのだ。人間命あっての物種とはよく言ったものだ。まったくもってそうだといえる。

先の文章で記した白石蔵ノ介という人物は随分と奇特な人物だ。趣味は古書集めと毒草集め。趣味の大半を埋め尽くしてるであろう古書店の本棚はほとんどが毒草や医学書、あとは怪奇ものやらもっぱらわけのわからない。女学院を一応は卒業している私はそれの内容こそは理解しているつもりだが、使い方は理解に至らないものだ。そう彼に伝えれば彼は「知らなくてええこともたくさんあるし、知ってて損はないよ」となんとも夏のようにさわやかな笑みを浮かべて私の頭を撫でるのだ。頭を撫でられることに関しての行為は嫌ではない自分に少し嫌気がさしてしまうが、馬鹿にされているような気がしてしまうのはこの年頃の女性にはしょうのないことだと自らに言い聞かせ「そうですね」と答えるのが常なのだ。

「蔵ノ介さん、蔵ノ介さん。」
「はいはい、なんでっしゃろか」

そういって店先の軒から水をまき終わった彼が戸から顔をのぞかせるのを見、私はお盆にのせた羊羹を指差すと「甘味、いただきましたので食べましょう」と声をかけた。世間一般では春ということで山に花見に向かいやれ酒だ、甘味だ、食だとのたまう方々もいらっしゃるのでしょうが、私としては人ごみが苦手なので、こうやって屋内でゆっくりと甘味をこの店主と食べているほうがよほど楽しいと思うので十二分に満足をしている。

「世の中は花見やと煩いんに、名前ちゃんはええんか?桜がもう見頃やで?」
「私はいいんですよ。人ごみきらいだし。酔っ払いに絡まれてあれよあれよと二日酔いが目にみえます」
「なんなん、それは俺らのことを指してるん?」
「ご自分の胸に手を当てて考えてください。おのずと答えは出てきます。」

手厳しいわ。と彼はそれだけいうと、入れたばかりの熱いお茶をずずずと飲んだ。私はいただいた羊羹、たしか栗羊羹だ。を一口で食べれる大きさに楊枝で切り、自らの口へ放り込んだ。

「しっかし、春にしてはほんま熱いなあ。真夏日っちゅうやつかな」
「そうですね、今日は気温があがるそうですよ。ラヂオで言っていました。」
「そうか、ほなとりあえず風通しいいように家の戸開けていかなあかんなあ。」

そういって彼は立ち上がるとそそくさと奥の風通しのいい部屋へと向かって行った。私は一人残され、机上にある読みかけの文学をぺらぺらと羊羹片手にめくっていった。

「失礼する。」

まるですんなりと自らに入れ込むような声が戸の向こう側から聞こえたので顔をあげればそこにいたのは随分と痩躯で切れ長の目を伏せた青年だった。私は「ご用でしょうか、どうぞおはいりくださいな」と声をかけ、読みかけの文学をぱたりと閉じた。

「白石はいるだろうか、頼んでいたものがあるのだが、」
「ちょっと、名前ちゃん奥の部屋掃除してってたのんだやんかー」
「蔵ノ介さん、お客さんいらっしゃってますよ。」

そういって暖簾をくぐって蔵ノ介さんが顔を出せば随分と素っ頓狂な声をあげて「柳やないか、」と一言つぶやいた。(この青年は柳さんというのか)私は仕事の話なのだろうとおもい羊羹ののった皿を片手に奥の間へ行こうとしたが蔵ノ介さんが居てもいいというので、あきらめてまた机上に羊羹の乗った皿を置いた。

「白石、この間頼んだものは来たか?」
「せやせや、きとるで!珍しいなあ。博識な柳がこんな幼げなもん読むとは」
「いや、これは今床に臥せっている友人へのちょっとした贈り物でな。」
「ああ、幸村か。」
「そうだ。退屈しのぎにはなるだろう。」

そう言ってまるで優雅に微笑む柳さんんを私はただ静かに見つめていれば気が付いたかのように私のほうを見て「これが苗字の妹さんか?」と蔵ノ介さんに問うた。私は蔵ノ介さんが答える前に「苗字せつの妹の名前です。」と答えると彼はそうか、君が。と言って私の頭を撫でた。

「女性の頭をなでるというのは失礼なのは存じているが、せつの妹さんは最初にあったらこうしようと思っていたんだ。許してくれないか。」

彼がそういうのでぐぅの音もでるはずもなく、私は力なく「はい、」と答えると彼は小さく微笑んだ。

「兄とは旧知で?」
「ああ、士官学校が同じで仲が良かったんだ」
「なるほど」
「今はまあ立海横丁の片隅にある洋館で住んでいるんだ。もし足を向けたらうちにきたらいい。甘いものが好きそうだからな。ついこの間いただいたけいくというの食べさせてあげよう。」
「あら、流通のお仕事を?」
「外交官やねん、柳は」
「あら、お偉いさんなんですね。」

そんなことはない、と彼は謙遜するように首を振る。ああ、なんだかかわいい人だと思いながら私は蔵ノ介さんの顔を見た。

「蔵ノ介さん、そういえば頼まれものは?」
「ああ、せやったな。名前ちゃん。俺の部屋にある包みを持ってきてくれへんか?」
「わかりました。」

そういって私は彼に言われるがまま、奥の間を過ぎた戸の先にある蔵ノ介さんの部屋へ一歩踏み入れた。
彼の部屋は随分ほんの匂いがして心地がよく、しかし、本のために日陰のスペースとなっていてなかなか風通しがよく、寒い。私は寒いと一人ぼやきながら卓上にある大きな包みの中にある本を一冊取り出した。

「てふてふ図鑑…虫さんですか。」

それを小脇に抱えて私はまた暖簾をくぐった。

「お待たせしました。」
「ああ、ありがとう。」

そういって柳さんに図鑑をわたせば彼はぱらぱらと中身を確認するように一度それを見て「うん、頼んだものだ」と一言いい、蔵ノ介さんにもう一冊これを頼む、と一枚の紙を差し出して店先を出た。

「いつも贔屓にありがとう。」
「今度も頼む」
「ありがとうございました」











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