11

恋人がしょっぴかれた。

正式に別れを告げたわけではないけど、これでは当然交際を続けることは不可能だ。なにせ俺は警察組織で働いているのだから。

それに、彼女から俺への想いや言葉は嘘だったと解ってしまってはこれ以上傍にいようと思えるほど太い神経はしていない。彼女はもうひとりの男のために俺を利用しようとしたらしいけど、大した利はなかったようだ。そこだけは不幸中の幸いである。職場での守秘義務を女のために破るほど、俺は馬鹿ではないつもりだ。

ただあの日から、実感はなかった。全部が悪い夢だったのかもしれないと思いたかったのかもしれない。その証拠に、勤務を終えると携帯電話になにかしらの連絡が来ていないかをチェックすることが習慣になっていて苦笑した。
そんなもん来るはずがない。塀の向こうでそういった端末の持ち込みはご法度だろうし、俺から連絡していい理由もない。彼女とコンタクトをとるにはもう、面会を申し込む以外に方法がないのである。

そこまでする踏ん切りもつかない癖に、碌に何も話せないままだったことが心にしこりとして残っている。それでも連絡先を消去する気にはなれず、それが俺の精神を蝕んでゆく心地がした。
後輩にもカッコ悪いところを見せてしまうし、女々しくて自分がいやになる。



「今日もお疲れ様」

いつだったかの夜と同じように、グラスとタンプラーをぶつけ合う。みょうじはこういうとき、必ずタンプラーを俺のグラスより下へあててくれる。
あの事件から外されていたところで別に仕事自体は相変わらず忙しくしているし、働いている間はなにも考えなくて済んでいたが、ひとりでいては余計なことを考えてしまうので誰かと一緒にいたかった。すると、弱味を1度見られているみょうじがいちばん抵抗なくこうしていられる。
いい先輩を装って、あれ以来物憂げに見えるみょうじに「なんかあった?」なんて声はかけてみたものの、その実救われているのは俺の方だと思う。

「今日も付き合って下さってありがとうございます」
「ううん、俺も誰かと飲みたい気分だったから……」

付き合って欲しいと言ったのはみょうじだ。それは確かだけど、俺にはどうにも彼女が「そう在ろうとしてくれている」ように見えて仕方がなかった。なにがあったかざっくりでもしってしまった以上、みょうじのような性格なら俺のことを心配してしまうのではと。俺の杞憂だったらそれがいちばんいいのだけど。

「んん……特になにが、と言う訳ではないんですが」
「まあ、飲まなきゃやってられん時もあるよね」

俺にとって今がそのやってられん時だということは意図的に伏せたけど、彼女にはわかってしまっただろうか。




山崎さんの恋人だった女と少しだけ話したということを、まさか本人に話すわけにもいかず、大事な時間を貰っておきながら煮え切らない態度になってしまった。
あんな胸くそ悪い会話を思い出すのもイヤで、吐き出すにしてもそうしていい相手が思いつかなくて、一刻もはやく忘れてしまいたいということすら誰にも言えない。今のわたしは、山崎さんをこうして誘うべきではなかったと後悔して、慣れないロックのウイスキーをあおった。せめて今回こそは酔いたい。

「忙しい?」
「……もうだいぶ、落ち着きました」

捕まえた男はあれ以降燃え尽きたようにおとなしく、聞かれたことには淡々と答えるのみだった。反省しているかというとそれはまた別の話だけれど、任務を遂行することに差し支えはなかった。
男がそうだと、相方の女も彼がそうならそれでいいといった具合で、わたしたちのやることが大変ということもない。ただ、山崎さんのことを問うた彼女に対するこの黒い感情を葬り去ることができないわたしが勝手にくすぶり続けているだけの話。
それにきっと、彼女は少なくとも山崎さんの前では「可愛い恋人」でいたはずだ。それを壊すようなことはわたしに出来るはずもない。

「なんか話したいことでもあったんじゃない?」

こんな状況のなか山崎さんに気を遣わせてしまっていることに自己嫌悪でいっぱいになった。
すべてを思い起こすとわたしまで苦しくなるほどだけれど、わたしなんかよりずっと山崎さんのほうが苦しいはずだ。あんなに幸せそうだったのに。彼女のことを大好きで愛していた山崎さんのことが眩しくて、それでも好きだと思った。わたしが正直こんなことを言ったところで簡単に靡いたりしそうにないところが好ましかった。今思えば、あのとき恋人の存在を明かされた時に気持ちが沈んだのも本当だけれど、それと同時にもっと好きになったというのも確かなのだ。

皮肉なことに、彼が元恋人とあんなことにならなければ山崎さんとふたりだけでこうして盃を酌み交わすことも発生しようがなかったのである。

「ねえ、みょうじさえよければだけど」
「……なんでしょう」

唐突に、さきほどの問いに対するわたしの答えを待たずに山崎さんは言った。乾杯したとき以降合わせていなかった目線がやっとここでかち合う。

「今度は外に飲み行かない? いつもいいお酒貰っちゃってるし……お礼がてら」

思いがけない誘いに目を白黒させ、なんて返事をしたらいいか逡巡した結果、数秒のあいだ黙り込んでしまう。早くなにか言わないと、困ってるなんて思われたら──

「ほんとに、みょうじさえよければの話で──」
「い、いきます」

山崎さんが気を遣って付け足したのに対して吃りながらなんとか食い気味に返事をした。

「……いきたい、です」

身を乗り出すような勢いで言ってしまったことに恥じながら、俯いてそう言い直す。先輩の誘いだからと断れなくて言ってる、なんて解釈されたら困るという思いからだった。先輩であるというその前に想い人からの誘いだ。断る理由なんてない。むしろ、恐らくわたしのことを気遣ってお誘いしていただいてるというのに、わたしのほうは下心でいっぱいなことがより恥ずかしいくらいである。

「よかった。じゃあみょうじの予定に合わせるよ。非番の前日の方がいい?」

こんな状況でもお誘いひとつで頭の中がふわふわして、その後の話を聞き逃すまいと姿勢を正すのに少々力が要った。だらしのない笑みを浮かべそうになってきゅっと唇を結んだけれど、気を抜くと嬉しくてたまらないような顔をしてしまいそうだ。元はと言えばわたしが浮かない様子だったのを見かねて声をかけてくれているのに、これでは本末転倒だ。



20220312


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