09

彼女と山崎さんは結婚こそしてなくとも、恋人という深いつながりがあっただけにあれ以上この件に関わらせる訳にいかなくなったというのが真相だったようだ。
そこでまた、矛盾点が生じる。彼女はたしか、犯人の男を好いていたために手を貸すなどしていたという話だったはずだ。

「みょうじの言いたいこと、なんとなくわかるよ」
「いや、あの……」

悟られまいとできるだけ表情に出さないよう努めたつもりだったけど、相手が山崎さんでは敵わない。酒も入ってるっていうのに、軽口を叩くことすらできなかった。

「……俺は騙されてたってワケ」

山崎さんは言いながら自嘲気味に眉を下げ、片方の口端を上げる。笑っているというには哀しみに満ちていて、思わずわたしが目頭を抑えた。
そのことに気づけなかった自分が悪いのだと言い出しかねないくらいに、山崎さんの表情からは誰への愛も憎しみも読み取れない。

「変だなって思ったことがない訳じゃねェけど、考えないでいたかったんだ」

山崎さんの手の中で、氷とグラスがぶつかって音を立てる。いくら飲んでも酔っ払った気になれなくて、湿った夜の重たい空気がますますそうさせているように思えた。
もっと近くに寄り添いたかった。わたしがほんの少し手を伸ばせば背中に手をそえるくらいは出来る距離なのに、腕が鉛になったように動かない。そうしていいのはわたしじゃないとどこかで思っているのが現れているのだと自分でもわかる。
「わたしじゃ代わりになれませんか」って口で言うのは簡単だけど、山崎さんがそれを望んじゃいないのを想像するのはそれよりもっと簡単だった。
聞いてるだけのわたしがこんなに苦しくなるような話をしている張本人が、泣くこともしないというのはそういうことなのだと思う。山崎さんが感情をむき出しにできるのは、少なくともわたしの前ではない。

「悪いね、こんな話。……忘れて。今度なんか奢るからさ」

わたしだけが泣くようではいけないと思えば思うほど、鼻の奥が痛い。着ていた寝間着の足許に今しがた出来た、小さな染みを照らす月を憎んだ。




俯いたみょうじは返事をしなかった。かわりに着流しの足許が染みをつくって、ちいさく薄い肩がふるえる。

「みょうじ?」
「……ごめ、っ、なさい」

自らの手で乱暴に目元を拭うみょうじをただみているしか出来ない。グラスを置いて手を伸ばすものの、そこからどうするべきなのか判断もつかずでその手を引っ込めた。
抱きしめることも、頭を撫でることも、宥める為にと思い浮かぶことがすべて間違っている気がして。

「どうして、みょうじが泣くの」

口からふわりと漏れた問いに、みょうじは足許の身頃をぎゅっとつかんだ。

「……山崎さん、あんなに彼女のこと……。っ幸せ、そうに」

言いながらこれ以上泣くまい、と口元を引き結ぶみょうじにはそう見えていたらしい。事実、俺は幸せに思いながら彼女のいろいろをみょうじに話した。そうやって聞いていただけのみょうじが泣くのに、俺ときたらどうだ。涙のひとつも出てきやしない。
彼女とはきっとこのままなにも話すこともできずに終わるのだと思うけれど、それが実感として伴っていないからなのか、それとも俺が元から薄情もんだったのかな──ここまで感情を表に出せるみょうじを羨みながら思う。みょうじ自身は、泣きたくなんかなかったんだろうけどさ。


「どうだろ。俺、本当に彼女のこと愛してたんかねェ」
「っ、少なくとも……わたしには、そう見えました。入る隙もないなって」
「っはは、そっか」

そうか──とまた繰り返して、残りのウィスキーを飲み切る。全く、酔えやしねえ。

「とにかく、俺は大丈夫。元気だとはいかねェけど」

どうにか泣き止んでほしくて、これ以上心配かけたくなくて言った。女の人に泣かれるとどうしていいか分からんのだけど、俺のために泣いてくれていると思うと悪い気がしなくて困った。騙されたばかりの癖に懲りないって笑われるだろうか。

「泣くもんじゃないよ、俺なんかのために」

ほら飲んだ飲んだ、と言いながらみょうじのタンプラーと借りてる切子のロックグラスに知多ウイスキーを注ぎ足して、再びグラスを互いに合わせた。
その涙はほかに幸せにしてくれる男のためにとっとくもんだよ。人のために泣いてくれるくらいやさしいみょうじには少なくとも、どうか俺みたいにならんでほしい──としゃべりもしない月へ勝手に願った。



20210823


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