「おはよーなまえ、朝帰り?」
「へっ!?」

1限の授業が始まる前、講義室について早々剣道サークルにわたしを誘った張本人がそう声をかけるので素っ頓狂な声をあげる。

「な、なんでそんな……」
「昨日2次会来なかったし、よく見たらミントン先輩もいなかったし、昨日と同じ服着てるし?」

あ、相手まで割れてるのか……じゃなくて。多分これ、なにか重大な勘違いをされている気がする。
透けるような赤いリップを塗った彼女の艶々したくちびるが愉しげに弧を描く。

「で、抱かれたの?」
「……なわけ、ないじゃん」
「なんだ、つまんな」

人のことをそう面白がらないで頂きたい。想像どおりのことは起こらなかったけど、寸前までいったせいでわたしは大して寝られなかったのだ。目を瞑るだけで朝になってしまったのである。

「わかった。挿れてないけど舐めた?」
「舐めっ……!?」

どちらかっていうと、舐められた……? とそこまで思い出して頭がパンクしそうになった。きっと漫画なら、軽く爆発音がわたしの頭から鳴ったことだろう。あんなキス、朝から思い出すもんじゃない。破廉恥が過ぎる。あれだけで全身溶けそうだった。

「うわ、顔真っ赤」
「えっ」

思わず両頬を手で抑える。なんかすごく誤解を招いてしまったような。

「いやぁ、見かけによらず手が早いねえあの先輩」
「だからなんもないって……ほんとに、ちょっと泊めて貰っただけ」
「えーもったいな、私なら絶対襲うのに」

襲われるところまでいった、とはさすがに言えなかった。それにしたって、と彼女は続ける。

「多分あの場にいた半分くらいは気づいてるし、気づいた人たちみんななまえたちがデキてるって思ってるよ」
「……沖田先輩にも言われた」
「なんて」
「ザキの女、って」
「それは笑う」

彼女が他人事のように笑うのを尻目に、疑問が沸く。どうして、わたしだったんだろう。あの場に新入生も、なんなら女の人もたくさんいた。ちょうどいい具合に困ってる様子で、助けることが出来たからいけると思った? それとも、一目惚れとか? ──いや、これは恐らくいちばんありえない。そもそもわたしのことが好きだからああいうことをしたのか、確証がない。言葉が、ないから。

「まあでもなんか、1回泊まったって結構特別じゃん?」
「それは、そうかもしれないけど……」
「色んな女にそうしてるって感じの人でもなさそうだし」

彼女が言うなら多分それは間違いない気がする。少なくともわたしよりは男性を見る目がありそうだしっていうのは単なるイメージだけど。
特別。そう言われるとなんでこう、ちょっと嬉しくなってるんだろうね?
こうして話していればいつの間にやら先生が教壇に立っており、講義の開始を告げていた。


『連絡先聞いた? 先輩の』

隣でノートの端に書かかれたそれを見せられる。私語を許さない厳しい先生なのを知っているからか、まだわたしの昨夜の出来事について興味津々な彼女は筆談に切り替えてきた。
わたしが黙って首を横に振ると、彼女の長いまつ毛に縁取られた目が見開かれて先程のメッセージの下にシャーペンを走らせる。俯きながら左手がサイドの髪を耳にかけると、耳朶から少し長く垂れ下がったピアスのハートモチーフが揺れる。

『もったいない!』

本日2度目の『もったいない』である。そもそも本当にわたしが沖田先輩が言ったとおりの、ザキの女とかいう存在になるなんて決まった訳でもないのに。先輩にだって、選ぶ権利というものがある。わたしだって、自分の気持ちすらわからないのに。彼女からしたら焦れったいのだろうけど。
そもそも入学早々にいろんなことがあり過ぎてついて行けてない……救いがあるとすれば、ああいうことになったのが山崎先輩で良かったということだろうか。

恋にしてもなんにしても、新しくなにかを始めたいなら自分が何かしらを変えるところからだろうとは思う。アルバイトや趣味のことなんかは自分次第ですぐにでもできるけど、前者は相手の要ることだから。急にたくさんは無理でも、少しずつ。
わたしは返事を書き加えるでもなく答えるでもなく、揺らぐハートを見つめる。
まずはピアスを開ける──とか? 直接は関係ないけど、咄嗟にそう思いついた。






「なまえにお客さんきてるよ」

2限の講義途中辺りから腹の虫が鳴き出したせいでずっと待ち遠しかった昼休みの訪れと共に、その時の教室の扉近くに座っていた学友から知らされた。
扉のほうを見やれば、今朝見たばかりの顔──山崎先輩がこちらを伺い控えめに手を振る。

「わかった、ありがとう」

相変わらず隣に座っていた友人兼サークルメイトはもうどういうことなのか聞きたくてたまらないような顔をで笑いながら、「行ってらっしゃい、ご飯先に食べてるよー」とだけ言ってくれた。それなのにも関わらず、後で何があったか教えろと言われているかのように感じられた。



20190925

招くのは猫だけでいい



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