初めてのキスというものを、こんなふうに経験することになるとは思わなかった。出会ったばかりの人と飲み会の帰りになんて、少し前のレディコミみたいだ、とどこか冷静に思った。

「……ぅ、んっ……」
「は、ぁ……ふ」

ぐっと押しても全然びくともしない。
状況的には今日知り合ったばかりの男性に襲われているという、だいぶ非常事態だというのに。それでもどうしてかそれほど嫌悪感がないことに驚いている。唇が塞がれているために呼吸はどんどん浅くなって、意外にも柔らかくすこし熱い唇と仄かなアルコールの匂いに頭はくらくらしてくる。呼吸をしようとすればするほど自分でも聞いたことのないような吐息が漏れる。判断力だって鈍っているのかもしれない。キスの更にその先への興味と、目の前の先輩への少しの感情と。お酒を飲んでいないはずのわたしも、酔ったと思ってしまうには充分な条件だった。
何がいけないのか説明はつかないものの、良くないことのような気がする。それに、もしこれで朝チュンとやらを迎えて酔いが覚めた先輩が後悔するなんて未来、あってはならない。

「先輩っ、 酔ってる! ……っ、か、彼女さんに怒られますって!」

なんとなく恋人のひとりくらい居るだろうと思い、正気になってもらおうと少し唇が離れた隙にそう声をあげる。果たしてそれは、無駄な抵抗だった。

「んー……いないよそんなの」

気怠げにそう答えると今度は首筋に唇が寄せられる。短く答える声にさえ艶を孕んでるかのよう。ざらついた舌や吸い付かれる感触がくすぐったいような逃げてしまいたくなるみたいな、変な感じがしてまた声が漏れる。

「やっ、あの……、っあ……ぅ」
「……こわい?」

ぴたり、と先輩の動きが止まる。

「こわい、です……」

そう答えてから、腕や脚が震えてることに気がついた。そっか、わたし怖かったんだ。
先輩自身に対する恐怖心とは違う。経験したことのない未知なる行為への、恐怖。想像つかないけど、多分未経験とかじゃなかったらきっとわたし、流されてた。正直自分がそういうことをされたってことよりも、そう考えてしまっていることに心底驚いた。

「……ごめん」

わたしを抱き締めて山崎先輩が、頭のうえで手を数度軽く弾ませる。まるで子供をあやすみたいに。

「わかった、もうしない……から」

ゆっくり、先程とは違って子守唄みたいにやさしく山崎先輩の言葉が耳に落ちる。

「今夜は、ここにいて欲しいな」

あんなことをされたあとで「もうしない」なんて言葉を信じるのはバカなのかもしれない、でもわたしはそのお願いには頷いてしまった。本当に本当の一瞬だけど、先輩が辛そうな顔をしたように見えたから。なんか一緒にいてあげなきゃいけないと思ってしまうような。
なんだか妙なことになってしまったと思いながら、両腕を緩く遠慮がちに背中へとまわす。まだ冷える春先の夜、人の体温と自分とは違う匂いが心地いい。

「それじゃ、あの……顔、洗わせて貰っても?」
「ああ……そこの、洗面所……」

もう眠いらしい先輩は、それだけ答えて力なく洗面所らしき方向を指さした。多分顔洗って戻ってきたら寝てるんだろうな。これ、多分わたしが拒んだりしなくてもわたしの上で寝てた可能性あるな。
洗面所自体はすぐに見つかった。そして洗顔料も。これだけで今日のメイクが落ちるかは解らないが、しないよりマシだろう。ばしゃばしゃと水が音を立て、顔を洗い流していく。腕から肘へと流れ落ちて、床を汚してしまわないかと心配しつつ注意深く縮こまりながら流す。少し洋服が濡れたが、構いはしない。持っていたハンカチで水気を取り除きながらベッドに戻ると、案の定というか山崎先輩は寝息を立てていた。
わたしがここにひと晩いる意味ないのでは、とは思ったもののもう遅い時間である今から帰るのも少し面倒でもあった。なにより、さっきの表情でどうしても放っておけない気もした。

ただ、この状況は──寝られる気がしない。どうやっても緊張してしまうし、眠気が訪れない。疲れているはずなのに。
かろうじて充電を保っていたスマホを手に取ると、わたしは画像データを漁った。多分まだ、残っているはずだ。随分昔に憧れた例の彼と撮った画像が。

「あった」

見た目からして少しヤンチャな学ラン姿の彼と、緊張で表情の固いセーラー服姿のわたしが絶妙な距離感で並んで写っている。
今思うと古いタイプの不良だなーと思うけど、あの頃のわたしにはとってもカッコよかった。少ししか話したことがないから、性格とか詳しい人柄は解らないけど、見た目に反して意外と優しくして貰えたことは覚えてる。
別にこのひとに未練があるとかじゃないけど、初めてわたしが男の人に対して勇気を振り絞った勲章のようなもので、この画像は消せずにいる。

わたし、また頑張れるのかな。今度はもっと早くに、好きになった人が誰かのものになる前に。相手が誰になるのかはまだ、分からないけど。



20190823

初めて誰かと過ごす夜



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