君は覚えていないかもしれないけれど。
「あ、あの……すみません」
初めて会ったのは、今年彼女が入学してきたとき――ではなかった。
あの時最初のひと声が同じだったから、すぐにわかった。見た目だってそれほど変わっていない。あれから数年しか経っていないのだから当然といえば当然か。
なまえちゃんが覚えていないのは仕方がないことである。今と昔とじゃ、俺は外見が違いすぎるのだから。
高校生の頃まで時は遡る。俺が3年で、きみは1年。今と同じだ。授業が始まるからと教室に戻っていたところだったかな。時間的にギリギリだったけど。
あの頃は悪ぶって、それがカッコいいと思っていた俺はそんなに深く考えずに不良は時々授業をサボるものと考えていて、とはいえ1度だってそれを実行に移せずいた。やはり根は真面目なもので。
彼女が冒頭のように俺に声をかけてきてくれたのはそんな時だった。
俺の見た目のせいか、その目は怯えの表情を含んでおり、それは声色にも現れていた。同じセリフでも、今と当時じゃ大きな違いである。
なんせ緑髪のモヒカンに、片耳だけとはいえピアスだ。今なら俺だってそんな男、きっと関わりたくないと思っただろう。
「あん?」
いつもの癖で更に怖がらせるような返事をしてしまい、当時の俺でも少し焦った。顔を見て率直に、可愛い子だと思ったのだけど。
「視聴覚室って、場所……わかり、ますか」
段々と小さくなっていく声。その怯えようが可哀想に思えてしまって、俺はその視聴覚室に連れて行ってあげることにしたのだ。
その初々しさから1年生であろうことはすぐに解ったし、ちょうど春先だった。普通授業では滅多に使わんような視聴覚室なんて、ひとりでは迷ってしまうだろう。
「あの、先輩は……授業とか、いいんですか」
「あん? サボるからいーんだよ」
サボったこともないくせに言った。初対面のなまえちゃん相手に、こうも怖がられてしまってはそう答えたほうが自然な気がして。
ただ、ちゃっかり胸元の名札はチェックしていて、「なまえさんって言うんだ……」とか考えていたのである。それが、いちばん始めに交わした会話だった。
その後やはり遅刻して自分の授業には出たものの、考えるのはなまえちゃんのことばかり。
それから朝とか帰りとか、彼女が近くを歩いていないか見回したりすることが日課になってしまった。この時は恋かどうかはよく解らず、ただ少し気になるという程度だった。
いたらいたで声をかけるとか、そういうことは出来なかった。目が合うことはあっても、そらしてしまっていたし。向こうからも話しかけられることもなかった。卒業するその日まで。
*
「それが、なまえちゃん。君だよ」
「え、山崎先輩……」
わたしと出会った時のことらしい詳細を聞かされて、まさかと思った。わたしの記憶の中ではその先輩こそが、卒業されるときに写真に一緒に写ることをお願いした彼そのものだったからだ。覚えていないはずがない。でも、流石にその彼と山崎先輩とじゃ、ビジュアルが違いすぎる。だからこそ、今の今までサークルへ入会した時が初めての会話だと信じ込んでいたのだ。
今目の前にいる先輩は、あの先輩みたいに髪が緑色ではないし、モヒカンでもない。共通していることといえば、ピアスが右耳についていることくらい。……あ。言われてよく見れば少し、目元は似ているかもしれない。いや、同じなんだ。
「ほんとに、同じ人なんですか? あの先輩と……」
「……やっぱり気づいてなかったか」
小さく、山崎先輩が困ったように笑う。
「見学に来てくれたのに気がついたときはもう、運命だと思ったね」
そんな。それじゃあ、本当に。
「好きだよ、なまえちゃんのこと。前からずっと」
夢のようだと思った。けれど、それと同時にひとつ疑問が降って湧く。わたしのことを当時から好きだったというのなら、その。わたしが諦めようとしてしまった原因についてが頭をよぎる。
「で、でも。それじゃ先輩、あの時の彼女さんは?」
「え? 彼女さん?」
全く覚えがないというふうにきょと、とこちらを見る山崎先輩。あれ、これわたしの思いすごしだった感じ? でもふたりが一緒にいるところを見て、別に手を繋いでたとかそういうことではないのに確信してしまったくらいなのだ。気にならないはずがない。
「黒髪で、先輩より背が高くて……ポニーテールの、クールビューティーな」
「……ポニーテール?」
そこから先輩はしばらく黙り込んでから、やがてこみ上げるように笑い出したのである。
「……ふ、ふは、っくく……ほんと、っ笑わせんでよ、無理」
「んえっ、なんで……っ! わたしすっごいショックだったんですからね!?」
静かな教室に山崎先輩の笑い声が響く。やがて少しおさまると、ごめんごめん、と謝罪を口にしながら続ける。
「その人、なまえちゃんも知ってる人だよ」
「えっ」
「髪型違うけど」
「わかんない……」
さすがに今のサークルの面々からはポニーテールの女性というとあのコ以外も何人かいるし、髪型がもう今と違うとなれば昔のことだからうろ覚えなせいで具体的な名前を挙げることは困難だった。山崎先輩みたいに髪色まで染めてしまっていては、いよいよ分からない。
観念したわたしを見て山崎先輩が口を開く。また、今にも笑い出しそうな顔で。
「副将……土方さんだよ」
あ、と声をあげる。すっかり女性だとばかり思い込んでいて、それ以上考えることをしていなかった。
──「お前……みょうじだっけか」
──「え? はい」
──「どっかで……いや、なんでもねェ」
つい先程道場で土方さんと交わした会話が思い起こされた。土方さんもきっと、わたしのことを大学入学より前に見たことがあるということだったのだ。
「ずっとお似合いだと思って諦めてました……」
「……勘弁してくれよ」
言いながら、山崎先輩がスマートフォンに指を滑らせる。そうしてすぐに見せられた画面上には、わたしがずっと大事にしていた写真と同じ画像が収まっていた。今とはまるで違う髪色とモヒカンヘアーで肩を怒らせる先輩と、少し離れた距離で縮こまるセーラー服姿のわたしが。
20191227