「両方開ける?」
本日2度目の、山崎先輩の部屋。まさか今日、ここから学校へ行って更にここへ帰ってくることになるとは予想だにしていなかった。
適当に座って、と言われてその通りにしたところ先輩が引き出しをガサガサと漁りながら、そう問われたのだった。
わたしは聞かれてから、山崎先輩の右耳だにけピアスホールがあったことを思い出していた。
「右だけ、でいいです」
「……じゃあ、ピアッサー1個で良いか」
とん、と引き出しを閉める音が響くと、そのまま山崎先輩が飲み物お茶でいい? と言うのでそのまま頷いた。
さほど待つことなくコップふたつ分のお茶を持った先輩が戻ってきて、テーブル上にそれが置かれた。今朝や昨晩とは違った緊張で、胸がいっぱいになる。わたしの右側に先輩が座ることで更に。
「痛くならんようにするから、そんな怖がらないで」
少し怖いなって思い始めていることが伝わってしまったらしく、先輩が安心させようと思ってか穏やかに笑う。痛いのは当たり前だってわかってるのにな。
「……っ、でも」
「はい、お茶飲んで」
なんでそんなに山崎先輩、楽しそうなんだろうね? ──と思いつつ、勧められるままにお茶を飲む。冷たい感覚が喉をするりと通り過ぎ、体全体までつめたさが広がるような錯覚を覚える。
「深呼吸ー」
ひとくち飲んだところですー、はー、と山崎先輩が言うので、律儀にその声に合わせて深呼吸をしてしまう。
「大丈夫?」
肩に手が置かれ、目と目が合う。その大丈夫? は勿論、本日ここへきた目的のそれを始めていいかという問に間違いなかった。
「……お願いします」
観念するみたいに小さくわたしも答えた。その返事を合図に、慣れた様子で山崎先輩はまず自分の手に消毒液を馴染ませつつ準備を始めるので、病院のような匂いが鼻を刺すように漂う。
消毒液に綿棒、ピアッサーがテーブルの上に広げられる。先輩は最初に消毒液を綿棒につけ、わたしの右耳朶にそれを触れさせる。少しひやりとした感覚に身震いし声を上げてしまいそうになるが、これが大事なことなのも分かるし我慢するしかない。
「このへんに、開けるからね」
綿棒でそのままちょん、と開けようとしてる場所を示すように触れる。はい、とまた小さく答えると、何が面白いのか山崎先輩が笑う。耳元で笑うなんてそんなの、聞いてない。ここまでなにも色っぽい事情はないのに、していることが妙にいやらしく感じてしまう。今のわたしはまるで思春期の男子中学生のようだ。
「……っ、ひ、う」
「怖くないからね、楽にしててね」
注射を怖がる子供を宥めるみたいに山崎先輩が言うから、ピアッシングして貰う=なんかエロいとか考えてた自分が恥ずかしい。
それでも恐怖心は相変わらずあって、既に痛がる準備だけをするように縮こまる想いだった。ピアッサーのパッケージを破る音を聞きながら。
やがて直ぐにピアッサーがわたしの耳朶に構えられる。
「それじゃいくよー、力抜いて」
「ひ、っ、待って、3! みっつ! 数えて、くださいっ」
「エェェ……わかったよ、仕方ないな」
怖気付いてぎゅっと目を閉じてそう懇願すると、呆れた声でありながらも承諾してくれた。神様かな。そう思ったその時。
「いーち!」
ばちん! ──2と3が数えられるより前にそんな音が耳元でして、一瞬の痛みとともに終わった(たぶん)。いたっ、と一瞬声が上がってしまった。神様なんていなかった。なんということだろう。
「2と3は!?」
「ごめん、つい……」
「ついって!!」
少し批難するような声をあげてみせても、つい、でお願いしたタイミングを破ってしまう山崎先輩を恨む気にはなれなかった。
「でもほら、もう終わったからさ」
見てみ、と差し出された鏡を手に右耳を確認すると、そこには少し赤くなった耳朶にシルバーのファーストピアスが嵌っていた。
針を貫通したという名残なのか、そこまで痛い訳ではないものの右だけ耳朶がチリチリと焼けるかのよう。ただ、その様子が鏡にうつると改めて満足したように口角があがり、それも鏡に映る。
「ありがとうございます……」
「いーえっ」
山崎先輩も、同じように笑う。もっと前から既に今のわたしと同じように開いていたピアスホールに目がいった。
「なんか、お揃いみたいだねぇ」
そんなふうに何気なく先輩が言うから照れくさくて、わたしって先輩とお揃いにしたかったのかなって思って勝手に恥ずかしくなる。そんなわたしとは正反対なくらい、なんてことないみたいに言うから余計に。
「俺と同じようになんて開けて、みょうじちゃん余計他のヤツらに勘違いされんかな?」
勘違い、とは──などときょとんとするほどわたしは何も解らないわけではない。だからこそ、そうやってわざわざ言われることで耳の辺りがまた焼けるみたいに熱い。それは、針を刺したせいだけではないって、分かりきってしまっている。どんな顔をしていたらいいのか全然わからない。笑ったらいいのか怒ったらいいのかも。
「開けちゃった後で言います? それ」
むっとしたような声色で言ったものの、思ったよりそんなに怒ってるふうにはならなかった。
「それもそうか。……でもさ、嫌にならん?」
自信なさそうな目が、わたしを覗き込む。なにかを守ろうとしているみたいに。
「嫌なら断れって言ったの、山崎先輩じゃないですか」
「……そっか。そうだね、じゃあ」
わたしが山崎先輩を見上げれば、先輩の顔が近づく。さっきとは違ってわたしの心の奥まで見透かそうとするような目。ピアッシングして貰うだけのことで邪なことを考えたことだってバレてしまってそうな。
初めてこれぐらい近付いたときは、こんなにまじまじと目を見ることはできなかった。
「俺は期待しててもいいってことかな?」
期待。そう言われて考えた意味が、わたしの自意識過剰とかじゃないなら。
「言ったろ、勘違いされるよって」
今朝先輩にここで言われたこと。先輩もわたしに勘違いしたりするのかなって考えた、それ。想像した通りの意味で間違いないのなら、まるで山崎先輩がわたしのことを好きみたいじゃない?
20191027