授業中=スマートフォンと睨めっこする時間になっている生徒というのは少なくはない。
かく言うわたしもそのひとり。とはいえ現在授業というよりは所謂学級活動の時間であるわけだけど。

「休んでるやつにはリレーやらすとして……んじゃ、テメェらでやりたい競技の下に名前書いてけー」

長谷川くんご愁傷さま、と密かに今日お休みしている人へ行使される銀八先生の独断専行に同情を寄せながら、わたしはなんとなく黒板の「借り物競争」と書かれたところへ白いチョークでみょうじ、と記した。
席へ戻る際にわたしの隣の席で、まさに先程のわたしのようにスマートフォンを握りしめる姿があった。我がクラスのツッコミ担当、新八くんである。
これは非常に珍しい。本来真面目な彼が学活とはいえ授業中に私物を取り出すところはほとんど見たことがない。

「何見てるの? エロサイト?」
「う、うわぁ!! なまえちゃんか……びっくりしたぁ」

む、エロサイトにツッコミが入らないぞ。さっきツッコミ担当って紹介しちゃったじゃん。

「いや、あの……もうすぐお通ちゃんのコンサートチケット、当落通知がくるんだ」

通りでそわそわと落ち着かない様子な訳である。画面に視線がいってるようなのに、その実映し出されているものは頭に入って行ってないかのような。

「ご用意されるといいね」

わたしだって気持ちが解らないではない。どうしても行きたくて名義が3桁は欲しいと思いながら、高校生では主に経済的理由で1口分しか応募できなくて、結局メール1通で無慈悲にも「厳正な抽選の結果、チケットがご用意できませんでした」と書かれた1行に絶望する気持ち。

「ありがとう」

目じりを下げて礼を言う新八くんの顔はやっぱりどこか不安が滲んでいた。
早く書かないとリレー選手第2号にされてしまうよと告げてやれば慌てた様子で席を立つ。玉入れと書かれたその下に綺麗な字で、志村(弟)と書き足されたのを見届けた。

そろそろ学活の時間が終わろうという頃、隣の席から快哉を叫ぶ声がした。クラスメイトの怪訝な視線を新八くんが集める中わたしは全てを察し、いちばんに祝辞を述べた。本日2度目の感謝を口にする彼は、今度は照れくさそうに笑う。守りたい、とか一瞬思ってしまったのを馬鹿正直に言ったら、困らせてしまうかな。



昼休み。いつも通りの面々と机を突き合わせてお弁当にありつく。さっちゃんの納豆ご飯の匂いには慣れた。なんならわたしも時々なら真似しようかと思っているが、実行に移したことはない。

「なまえちゃんは借り物競争だったかしら?」
「うん、なんか身体能力関係なさそーだから」
「たしかに、運要素の方が強いような気がするな」

お妙ちゃん聞かれるまま答えると、九ちゃんが同調するように相槌を打つ。するとさっちゃんが大きな目を見開くと妖しげに口角を上げた。

「どうすんのよ、お約束の好きな人とか当てたら。私なら問答無用で銀さん探すけど」
「え、困るな。付き合ってた人とは去年別れたし……今そういう人いないよ」
「そういう問題アルか?」

呆れたように神楽ちゃんがツッコみながらバカでっかいおにぎりを頬張っている。さっちゃんが「好きな人」を引き当てたとわかったらその瞬間銀八先生は逃げ出しそうだな、と想像しておかしくなった。
例年通りなら恐らく当日は、自分が出る競技の時間以外はなにをしていようが窘められることはないはずの1日だ。応援席を離れて教室で漫画を読んで終わったなんて他クラスの子からきいたこともある。それは流石に、高校生活最後の体育祭でやろうとは思わないけど。


そして当日である。体操服に着替えてみんな一様に赤のハチマキをして3年Z組は、ごく一部を除いてほとんど集合していた。
担任の銀八先生は一応いつもの白衣ではなくジャージを身に纏い、椅子を二脚使って脚を伸ばしながらジャンプを読むという、場所と格好が変わっただけですることは同じであった。教師が出る競技が始まらない限りはずっとこんな感じだろう。
そんな担任に似たのか、クラスメイトたちも各々自由なものである。それでも応援する所はして、声をかけあっているのでわたしもそれにならう。
うちのクラスは強い。勉強はとんとダメだが、身体能力は高いのでこういう日がいちばん活躍できるのである。

「神楽ちゃん頑張ってー!!!」

応援せずともパンを秒で勝ち取る神楽ちゃんを見守りながら、それぞれに声を上げる。

「手足の自由奪われたまま目の前にぶら下がったモンを咥えようと飛び跳ねる女どもが滑稽でさァ」
「お前どんな見方してんのォォ!?」

沖田くんが後ろで違う楽しみ方をしている気がするのはこの際黙っておこう。土方くんが気持ちを代弁してくれたことだし。
そうしていよいよわたしの出番が迫ってきたので、入場門へと移動をしていく。頑張ってね、なんて級友にそれぞれ言ってもらいながら若干の緊張を胸に。

「──続きまして、借り物競争です。選手の方は入場してください」

軽妙なBGMに乗せてアナウンスが流れる。誘導に従いながら所定の位置へと移動しつつ、3Zのみんなは一際声がでかいことを、席を離れたことで初めて実感する。そんな応援を聞きながら、1位は無理でもとりあえずビリだけは免れたいと決意を新たにしたのである。

わたしの走順は3番目だ。走るまで待つ間が長いのは勘弁して欲しいと思っていたから助かる。
どうやらお題が入った封筒が地面に散らばっているので適当に拾って、その中のお題通りのものを借りるという寸法のようだ。



「位置について、用意……スタート!」

合図と同時に乾いた火薬の音が響き渡る。
足を必死に動かし、目に付いた封筒を拾うと中身を確認した。中身は、というと。

「かわいい、人……?」

──はい??

思わず一瞬思考が停止する。かわいい人。
好きな人、が出たら困るなぁと思っていたらさらに難しいお題である。それぞれ他の選手が走り出す中焦りを感じ、わたしは何も考えずに我がクラスの応援席を目指した。
あまり速くはない脚で自分なりに全力で駆け抜けていくと、視界に入る見慣れたクラスメイトたち。その中で一際わたしの目が行ったのは──何を隠そう、新八くんである。出る競技をきめた学活の際、わたしに向けられた笑った顔。もう彼しかないって思うより先に行動に移してしまっていたのである。

「新八くん、きて!」

手を新八くんの眼前へ伸ばすと、ややあってから彼が戸惑い気味にわたしの手を握って立ち上がる。
周りから冷やかすような声が複数上がったが、知るものか。できるだけ速くゴールを目指すべく、握った手に汗を滲ませながらがむしゃらに走った。

並走してくうちに、やっぱり少し新八くんのほうが速いらしくわたしが引っ張られていくかたちになる。華奢なように見えて広い背中は、やっぱり男の子のそれだ。可愛い人というお題でこの人を連れていくことに、一抹の不安を感じながら精一杯着いていく。繋がれた手も、厚い胸板も、可愛いと言うには些か男らしすぎる。

『白組、早いです。 紅組、頑張ってください』

体育祭でありがちなアナウンスを聞き流しながら、走る新八くんに必死でついて行く。鼓動が早くなって、首元を汗が流れてゆく。ゴールがもうすぐそこだ。
風をきって脚を動かし、ようやくゴールラインを飛び越えるようにしてとうとう、完走。

「こっちでお題確認しまーす」

ゴールのその先で役員を担っているらしい生徒の元へ誘導され、引き当てた紙を渡す。

「お願いします」

役員が、わたしから渡された紙に目を落とす。なんでこんなに恥ずかしいものを見せるみたいに言い訳を探そうとしてしまうのか。

「そうだ、お題はなんだったの?」

後ろから新八くんがわたしの手元を覗き込む。いやこれ最悪のタイミングではないだろうかと先程から流れ続けていた汗が冷や汗へと変わる。

「お疲れ様でした。『かわいい人』ですね、OKですー」

消えたいような、死刑宣告を聞くような気持ちでお題を読み上げる役員の声をきいた。新八くんとふたりして笑い合うなかわたしは上手く反応出来なくて困ってしまう。
お題と違うということにはならなかったらしく、反則によるビリは免れたようでひと安心だが顔の熱がおさまらない。さっきからずっとなんて説明しようか考えているのに、うまい言い方がみつからない。どうせ同じ応援席に戻るからと種目が終わって退場後も、隣を歩きながらぐるぐると考え込んでしまう。

「特に咎められなかったみたいだけど……僕ってかわいい、のかな?」
「……えっと」

かわいい人、というお題を見て真っ先に顔が浮かんだのは確かだった。それと同時に、わたしって新八くんのこと、可愛いって思ってたんだと自覚したら急に羞恥で頭がいっぱい。鼓動が走り続けているのは、運動した直後だからと言い訳するには時間が経ちすぎている。汗だってもうとっくに引いているのに。
眼鏡越しに一点の曇りもない瞳が、こちらを見詰める。それがより一層わたしを恥ずかしくさせた。それに、かわいい人として選んで連れて行っておきながらわたしの目や心は今、新八くんを初めて男性として捉えていた。

「なんにしても、なまえちゃんに選んで貰えたのは嬉しかったな」
「そう?」
「あのお題なら、ウチのクラスから誰か女の子連れてってもよかっただろうし」

たしかに新八くんの言う通りだ。かわいい人、なんて普通はビジュアルの事だと思うだろうし、それなら充分に当てはまる人材はウチのクラスにたくさんいたはずである。それでもわたしは、新八くんを真っ先に呼び出した。

「お題が、『好きな人』とかじゃないの……ちょっと残念だけど」

頬に朱が差す新八くんの目が、不意に逸らされた。
トドメを刺されたような音がする。わたしの心臓が痛いくらいに跳ねて、それとほとんど同時に次の種目のスターターピストルが爆ぜた。



20200908


×