※なにもえろいことはしていないけどセクハラ発言を連発される話です





食事はバランスを考えて、とはよく言うけれど、今からわたしが顔を見に行こうとしている先輩はまさに今偏食を極めているであろうことが想像に難しくない。
上司である土方さんに頼まれた雑用ついでだとサボりに差し入れでもしてあげようかなんて、その先輩が仮拠点としている古びたアパートへと辿り着いたところ──想像通りの生活をしているらしい形跡に溢れた光景が広がっていた。
なんとか座る場所をみつけて、山崎さんの隣からすこし間を開けて腰を降ろす。

「相変わらずですね……うわ、散らかりっぱなし」
「……邪魔しに来たんかよ」
「可哀相な先輩に差し入れでもって思ったのに随分手厚い歓迎ですね」

牛乳のパックとあんぱんの包装がそこらじゅうに転がっており、量的に一度も捨てに行っていないのだろう。掃除が行き届いている様子もなく、山崎さん自身もシャワーを浴びる時間すら惜しんでいるように見受けられる。さすがに今の山崎さんを、どう贔屓目に見ても「格好良い」とは言えない。差し入れのひとつである洗い流さないシャンプーを渡したところで、使ってもらえるのか不安になってきた。皮肉を吐き捨てる口調にも、いつも以上に覇気がない。だから油断していた。山崎さんが次に口を開くまでは。

「特に他意はないんだけどさ、今下着何色つけてる?」
「いやあなたテント張ってますが?」

窓の外を向いたままこちらをちらりとも見ずに爆弾発言をかましたわたしの先輩は、お召しになっている着流しのとある部分の布地がそれはもう立派に盛り上がっていた。
この会話をもしわたしが録音していて、彼とわたしの上司に対して騒ぎ立てしまえば間違いなくセクハラ問題へと発展しただろう。ただ、今の彼が正常な精神状態ではないことを考えると、ほんの1ミクロンほどの同情心がそうすることをよしとしなかった。

「……聞いてどうするんですか」
「いやだから他意はないって。ついでに最後にしたのいつかって聞いていい?」

むぐ、とあんぱんを食らう髭面を呆れながら見やる。
最後にしたの、とは恐らく性行為をいちばん最近だといつしたのかということだろう。
股間を膨らませている男性からの「他意はない」ほど信じられないものはない。確かに、仕事で長期間ひとりっきりで、それもいい環境とはとても言えないような狭い部屋で、とてもいいとは言えない食生活で──いや、食生活は山崎さんが勝手にそうしているだけだけど──と考えると、突飛な言動をされても同情の余地があると思ってしまえた。可哀相だな、仕方ないなって。彼の下半身を視界に入れてもなお。

「セクハラしてる自覚あります?」
「超ある」
「……だめだこりゃ」

すっとぼけたり取り繕う頭も使えないほど極限状態らしい。このまま可哀相な山崎さんのために下着の色を答えるべきか否か。こんなしょうもないことで悩むために真選組に入隊したんじゃないんだけどなあ。
例えば戯れに、それぞれ「そもそも着けてないです」「さっきしてきました」なんて嘘で答えたらどういうリアクションをしてくれるんだろう。さっきから視線すら合わない覇気のない髭面を、崩してくれるだろうか。

「見ます?」

もちろん見えない範囲で、ほんのわずかに着物の裾を摘みあげてみせる。本当に、すこしあげただけで山崎さんからはくるぶししか見えないであろう。仕事中の邪魔がしたいわけじゃないけど、ほんのちょっとした悪戯心だった。
が、そこでやっと何処を見てるのか解らないような視線がわたしの踝へ向いたのを確信した。

「……ありがとう、今夜捗るわ」
「わたしで変なことする気ですか?」
「ふん、めちゃくちゃにしてやるからな。妄想で」

頭のネジが2、3本はイカれているであろう宣言を聞きながら、その実わたしも相当イカれているのではと思い始めていた。この密室にふたりきりの状況で一生分のセクハラを浴びながら、妙な期待感に襲われているなんて。
きっとこの任務が終わって正気に戻ったら今わたしに言ったことなんて忘れているか、もし覚えていたとしても青ざめた顔で今度は一生分の謝罪を受けることになるだろう。
ただ、なんであれこれだけ異性として見ているといった発言を繰り返されてはこの後わたしが彼を意識せずにいられるだろうかといった心配が胸を覆った。

「早めに帰った方が身のためだよ」
「そうですね。でも帰ったら仕事しなきゃいけないので」
「仕事しなきゃいけないのと、俺に口説かれ続けるのとどっちがイヤ?」
「口説いてたんですか? それなら……うーん」
「コラ、迷うな」
「ミリで仕事のがイヤですね」
「なんだそれ、調子乗るだろうが」

言いながら山崎さんは開いてた距離を詰め、畳におろしていたわたしの手に自らの手を重ねた。顔を上げて山崎さんを見ると、予想した以上に近いところにウン週間ものの髭面がある。ミリで、と言ったのに。別に山崎さんに口説かれるほうが「いい」なんて言ったわけじゃないのに。

「……これ以上なにかされたくなきゃ帰ろうな」

この状況を見た関係者各位からは恐らく、双方に「仕事しろ」という野次が飛ぶんだろう。帰りたくないわたしと、帰れない山崎さん。

「いま目、離したらまずいんじゃないですか」
「みょうじが帰れば解決」

手を握られていては離れられない。いや、わたしが離れたがっていないから動けないのかもしれない。──と思い始めた時、狭い和室に似つかわしくない電子音が響き渡った。そこで初めて山崎さんは眉を心底嫌そうに歪ませると手が離れ、懐から携帯電話──わたし含め隊士全員が持たされている、黒地に金縁で隊服を思わせるデザインが施されたもの──を取り出す。誰がそれを鳴らしたのかを確認すると不快そうに舌を鳴らした。

「副長のせいで萎えた」

山崎さんはそうぼやくとため息をひとつ漏らし、着信音を止めるとその電話に応対し始めた。本当に萎えているのか気になってはいたが、視線をそこに移すのはなんとなくやめた。

「……副長? どうかされました?」

山崎さんが応答すると、電話の向こうの声が微かに聞こえる。
断片的に認識できた単語を組み合わせると、どうやらもう引き上げてよいという連絡らしいことがわかる。ささやかながら用意した差し入れ、無駄になっちゃったな。

「……はい。それじゃ失礼します」

相変わらずテンションは低いが確実に受け答えは済ませ、通話が終了したらしく懐へ携帯電話がしまわれた。
ここにきてから山崎さんが表情を分かりやすく変えたのは、今のところ電話がきた瞬間のみだ。

「俺もう帰っていいんだってさ。あとみょうじはそこに居るなら帰ってこいって」
「げ、バレてる」
「おまえも真選組ならもっと上手くやれよな。……さ、帰ろ」

密偵のための仮住まいを軽く片付け、ふたりで揃って屯所までを歩く。
どうしてそんなに普通でいられるんだろう。幾ら萎えたからってそんな冷静でいられるもの? ──と、先程よりいくらか晴れやかな横顔を盗み見ながら。
もしかしてわたしがしらないだけで、山崎さんが実はものすごく鳥頭でさっきの会話全部忘れたとか? 中途半端に口説くだけ口説いておいて? 一般的にそう表現していいか甚だ疑問だが、本人が口説いてたと言うならそうなのだろう。だとすると、わたしはなにか返事をしなければいけないのではないか? そう逡巡していたのを見破るみたいに、山崎さんは隣を歩きながらこちらを見て口をひらいた。

「で、みょうじは俺に口説かれてくれんの?」

そうやってこちらが応えるための機を設けてくれるあたり、やっぱり山崎さんのほうが上手うわてだったと思いしった。こちらを見るその顔はやっぱり髭面だったけれど、一層清々しい顔をしていやが……いらっしゃる。
一連のアレを口説き文句だとするなら──と考える。こちらも負けじと見つめ返しながら、無駄になってしまった差し入れの袋を突きつけて答えた。

「もっとがんばりましょう」

そういうことのお返事にしてはまるで課題の添削をする教師のようで我ながら生意気且つ可愛さのカケラもない答えだったけれど、何故か満足そうな顔で山崎さんは「手厳しいな」とはにかむだけだった。可愛いとでも思っているかのように。



20220823


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