同年代は既婚者が多いくらいの歳になり、なかには子供が生まれている者もいる。だからといって焦っていたわけではないし、ましてや自分にそんな相手ができるなんて20歳やそこらの頃は予想もしていなかった。
いま俺が居心地悪い気分のままジュエリーショップにて例の品を物色しているのは、そんな相手ができたからこその結果なのだけれど。

これから買おうとしている目的の品物を贈る相手のサイズは当然把握している。仕事柄、本人が気付かぬうちに少し測るくらい容易い。
それに、うんざりするほど並ぶ似たような商品の数々をざっと見ただけで彼女の気に入るであろうものが数点見いだせるくらいに付き合いは長い。その長い付き合いの中で何度も心配をかけ続けてきたというのにその据わった肝で俺の帰りを待っていてくれた。もし行く先が人生の墓場と言われていようが、伴って向かうのが彼女であるなら悪くはないと思えたからこその決意だ。
本当なら今日、彼女から会わないかと誘いがあったものの次の記念日までに入手しようとすると今日しか機会はなく、適当な予定をでっちあげて断るしかなかった。


「それではお会計こちらです」

髪をきっちり纏めた女性店員がこちらに見せて寄越した電卓が示す数字に若干後ずさりしたいような気持ちになりながら、薄く小さなカードを店員に引き渡す。金額の大小に関わらず、4桁の番号を入力するだけであっさりと決済が済んでしまうのだ。恐ろしいことに。
指先が震えるのを悟られないよう、ゆっくりと決済端末を操作して会計を済ませた。どうもこのブランドは先日20周年を迎えたとかで、会計が一定の金額を超えると専用のジュエリーボックスに入れて梱包されるらしく中身に対して随分と大きな袋へと詰め込まれた。記念のジュエリーボックスがガラス製なこともありそれはずっしりと重く、それは俺のこれからの覚悟もこうあるべきだと示しているようで背筋が伸びた。

「ありがとうございました」

頭を垂れる女性店員を尻目に店を後にする。振り向かない限りわからないが、きっと俺の姿が見えなくなるまで頭を上げないのだろう。
ものは手に入れた。あとはどう渡すかだ。ベタに夜景の見えるレストランでも予約すべきか、気取らずに普段通りのデート中にでもさり気なくキメるか、と想像しながら近くの長椅子へ腰を降ろそうとしたところだった。

「さがる?」

俺の名を呼ぶ、よく聞き慣れた声によってその想像は打ち切られた。声の主が俺の考えたとおりの人物なら、タイミングが悪すぎる。想像したプランがすべて無駄になる、と流石に焦りを感じながら振り返る。


「……なまえ」

そのまさかだった。俺が名前を呼んだ彼女こそが、今右手から提げている袋の中身を贈ろうと決意した相手である。愛する恋人と偶然逢えたというのにこんなに嬉しくないことある?

「こんなとこで何してんの? ……買い物?」
「まあ、そんなとこ」

努めて冷静に、この状況を誤魔化そうと頭をフル回転させるが全くもって正解が見いだせない。こんな、ジュエリーショップから出てきておいて自分用の買い物とは到底思えないだろう、なまえだってそこまでバカではないはずだ。
今日お誘いがあったということは、彼女も休みでこのあたりをうろついているであろうことは想像がついただろうに、こんな近場で済ませてしまった俺の落ち度だ。

「用事ってこれだったの?」
「……ええと……」

会話の主導権を彼女に握られてしまっては話を別の方向へ誘導することもできない。彼女の誘いを断った手前、やむを得なかったとは言え気まずい。そしてなにより、恥ずかしくてたまらない。
彼女の視線が俺の背後に集中する。店頭にでかでかと表記されたブランドロゴの下方には、はっきりと「bridal」なんて刻まれているはずだ。俺が手から提げている袋にだってそうだろう。もう、終いである。どうあってもこれ以上繕うことはできない。
ここは夜景の見えるレストランでもなければ、俺たちふたりだけの空間でもない。けれど、これもなにかのお告げなのかもしれない。どうせいつかするつもりなら、今ここでやってしまえと。

「なまえさん」
「なに、改まって……」

名前に敬称をつけたのは何年ぶりだろう、といったくらいに久しぶりなので彼女もなにかを察したのだろう。おずおずと居住まいを正している。
小さな箱をぱかりと開けてみせる、なんてことはとても出来るサイズでなく、せめて袋から出して中身にしてはでっかい箱を彼女に差し出す。

「君に渡したかったんだ。……本当はもっと、その」
「うん、そっか……なんかごめんね」

なまえはなんにも悪くないというのに眉を下げて謝罪を口にする。俺の、どうしてか運の悪い体質を理解しているからこその態度だった。
本当なら、「ここで!?」と文句のひとつくらい言われても仕方がないと思う。なまえにだって、理想のシチュエーションぐらいあったはずだ。それでもわかってくれる彼女だから、なまえだから。きっとこれだって何年か先、笑い話にしてくれることを確信しているのだ。

「俺の妻になってください」

覚悟を決めてそれだけ告げると、なまえは微笑む。そう言われることが解っていた彼女にとって、驚きは薄いだろう。それでもなまえは恭しく箱を受け取り、頷く。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

人通りはあるものの、俺たちが交わした誓いなど雑踏の中に紛れて誰も気には留めない。そんな中でもほんの少し赤らむ彼女の頬は、まだ明るい空の下では夕陽のせいにもならなかった。
そんな表情を隠すようになまえは、先程俺が座ろうとした長椅子に座ると「退が嵌めてよ」と言った。
言われるがまま、一度なまえに渡したはずの箱を自ら震える手で開梱していく。緩衝材に包まれたガラスケースを開いて指輪を取り出すと、箱をそっと彼女の横に置いて跪いた。

もう何度も触れて握った、よくしっている感触をしたなまえの手を──勿論左手をとると薬指目掛けて指輪を納める。ぴったりと嵌ったそれは元から彼女のものだったかのように薬指を彩っていた。そこだけはうまくいったようで何よりだと心の底から肩の荷が降りる思いがした。
そんな俺の気もしらないで、いやしっているからこそなのか、彼女は堪えきれないと言わんばかりに笑い出した。

「笑うなって」
「無理。こんなの面白すぎる」
「……うるさいな」

あーあ、一生、骨の髄までこの話をネタにされ続けるんだろうな。死ぬほど不本意なんだけど。……悪くねェなとか思ってることもさ。



20220621


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