高杉は着流しの袂から煙管を取り出し、煙草盆の炭火に雁首を近づけて火を点けた。ふうっと紫煙を燻らせる横顔…包帯で覆われた左目は、過去の記憶を映すのだろうか。

「昔…ある思想家の男がいた。男は港町から離れた小さな村でガキ相手に私塾を開いていた……まだ攘夷戦争が火蓋を切って間もない頃、国のあちこちで戦があった頃の話だ…」

かたらは黙って耳を傾けた。

「…ある日、男は死に絶えた戦場でひとりのガキを見つけた。そのガキは戦の遺児、食いモン欲しさに死体をあさり、彷徨い歩いていたそうだ。男はそのガキを連れて帰り養子に取った。…そのガキの名は銀時という…」
「!」
「男と銀時は父と子であり、師と弟子でもあった。俺と桂は名門とは名ばかりの講武館に身を置いていたが、その男と銀時に出会い…まァ色々あって男の門下に入り、揃って男を師と仰いだワケだ」

銀時と桂、高杉が同門の出だということは知っている。そこに自分が加わるだろうことも分かっている。ただ、どのような経緯で出会ったのかをかたらは知らなかった。

「それから数年経った頃…男は道端に行き倒れてたガキを見つけた。港町の身売りから逃げてきた女のガキだった。男は手厚く介抱し、そのガキを養女に取った…それがかたら、お前だ」
「!……」
「お前にとって男は父親も同然…そして、銀時は兄だった。血なんぞ繋がってなくてもお前はその男の子であり、銀時の妹だった…お前らは家族だった」
「っ………」

それが真実…なのだろうか。

『…一応、お前の兄貴みたいなモンだったからな…俺は…』

そう言っていた銀時の台詞から、かたらはずっと同門としての兄貴分、妹分という関係だと思っていた。それが本当は義理の父と兄…銀時と、一つ屋根の下で暮らしていたことになる。

「その男の名は吉田松陽という…寛政の大獄の折に捕縛され、後に斬罪された……俺たちが攘夷に参戦した理由は唯一つ、師を殺されたからだ」

高杉はかたらの短刀を手に取ると、白鞘から引き抜いて刃をじっと眺めた。

「こいつは吉田松陽がお前に残した遺品…嫁入り道具の懐刀だと、お前は大事に持っていた」

攘夷時代、かたらに見せてもらったときと比べれば白鞘も刀身も若干傷んではいるが、しっかり手入れされていた。高杉は鞘を戻し卓に置く。ひとつ思い出したことがあった。この短刀を包む刀袋の模様は確か…

「刀袋はお前の髪と同じ夕日色をしていた……夕霧に霞み浮かぶ山に…赤のもみじ葉…」
「!…そのとおりです。今日は…置いてきてしまいましたが…」

またひとつ思い出した。遺品を見せたかたらはこう言っていた。

「この刀の名は夕霧…松陽先生が付けた名前だと、お前は言っていた」
「夕霧、ですか?…この刀はわたしの叔母の名前と…同じだったんですね」

名が同じであることはおそらく…否、確実に偶然ではないだろう。松陽先生は何も言わず何の素振りも見せなかったが、裏でかたらの本来の身分を調べていたに違いない。かたらの一族が屠られた事実を知り、一族の生き残りを探していたかもしれない。そして吉原に身を落とされたかたらの叔母、夕霧をその目にしたのかもしれない…そんな憶測が高杉の脳裏を駆け巡っていく。

「…いいか、かたら……お前の一族を罪に陥れ、皆殺しを命じた奴と…俺たちの師、お前と銀時の親代わりでもあった吉田松陽の処刑を命じた奴は同じ…どちらも先代将軍徳川定々の命に因るものだ」
「!…先代…将軍が……」
「所詮、今のお前が知ったところで何の復讐心もねェだろうな……でもまァ安心しろ。近々、天導衆の傀儡は始末する」
「!?…まさか…暗殺を…?」

動揺を見せるかたらの声に高杉の口角が吊り上った。

「さあな…もしそうだとしても、お前にとやかく言われる筋合いはねェはずだ。記憶を無くし、過去を忘れたお前には…」
「っ……」
「お前は死んだ……記憶がなければ屍も同然、生きる死人…それとも只の亡霊か……もはやここに存在すらしねェ、俺の左目に映るまぼろしだったのかもしれねェ…」
「一体何が…言いたいんですか…?」

雰囲気が一変していた。高杉を取り巻く空気が冷たく凍りつき、尖った刃を向けるように鋭い眼光がかたらに突き刺さる。

「存在を忘れろと、そう言ったのはお前だ…なら望み通りにしてやる。俺は…俺を忘れたお前を否定する」
「!!」
「亡霊は大人しく死に逝け…次に相見えるときは二度死ぬ覚悟を持つことだ…お前を殺し、せめてもの手向けに蝶を添えてやる」

その台詞、その声音にかたらは思わず震えた。高杉の右目、その奥に闇を見てしまった…まるで水底に淀んだ泥のように、そしてそれは底が見えない故に恐怖を生み出す。この深遠なる闇に沈んでしまえば、もう二度と空を見ることはできない…かたらは高杉から視線を逸らして俯いた。
さっきまでの鋭くも熱く、やさしい眼差しは過去の自分に向けたもの…今の高杉は冷酷な笑みを浮かべ、きっと自分を見下しているだろう。

「あいにく俺ァぬるま湯に浸かって留まってるバカどもとは違う…後ろなんざ振り返る暇があったら前に進む。俺ァこの腐った世界を壊すまで、前に進み続けるだけだ…行く手に立ちはだかる奴が誰であろうと切り伏せてやらァ」

スッと高杉の指先がかたらの頬に触れ、再び垂れ下がった横髪をすくい耳にかけた。その行動の意図をそこはかとなく感じて、かたらの目から雫が一筋流れ落ちる。
たとえ、かつての仲間であっても切り捨てる…一度愛した者でさえ、己の手で殺す覚悟があるということだろう。

コン、と煙管の灰を落とすと高杉は静かに立ち上がった。襖の手前まで歩き、かたらに告げる。

「肝心なことを言い忘れたが、そのお守り袋……銀時も同じモンを持っていた」
「…え……?」
「お前と銀時は恋仲だった」
「!!……そんな…そんな、こと……」
「クク、哀れだな…お前も、銀時も…いつまで狐と狸の化かし合いを続けるつもりなんだろうな……まァ精々時間を無駄にするこった…何の道、俺は先に行く」

そう言って高杉は座敷を後にした。茫然とするかたらを残し、未練未酌は無いという風に襖はパタリと音を立て、ふたりを隔てた。



「どうでござった?」

料亭屋敷の裏口を出れば案の定、万斉が待ち伏せていた。

「…興醒めした。今更何の興味も価値もねェ」
「また心にもないことを言う…晋助、お前の顔は…」
「うるせェ、黙れ…仕切り直しだ、俺ァ独りで飲んでくらァ」

石段を降りたところで再び万斉が訊く。

「晋助、迦陵頻伽を知っているでござるか?」
「…極楽浄土に住み、美しい声で鳴く鳥か…それがどうした」
「例えるならば、その歌声は迦陵頻伽の如く美々しいものなり…されど、歌う曲目は哀唄ばかりで気が滅入る」
「クク、なら口を塞いだらどうだ」
「それは…慰めるという意味合いか?」
「誰が誰を慰めるだと?…嘆きたい奴は死ぬまで嘆かせておけばいい」
「…そうか…すまぬ晋助、拙者はどうやらいらぬことを訊いてしまったようだ」

高杉は振り向きもせず飛石を踏みながら言い残した。

「万斉、耳障りなら答えは簡単だ。喉を潰すか…殺してしまえばいい」



やはり心にもないことを言う…物騒な台詞を悪意を込めた口調で言うならともかく、穏やかな声でさらりと言って退ける。昔馴染みの想い人との逢瀬はまずまずと言ったところかと、万斉はフッと安堵の溜息を漏らした。
晋助ならば想い人を一目見るだけでも満足するのではないかと思っていた。死んだ筈の想い人が生きていた、その事実に喜ばない訳がないと…だから、また子の計画に乗ってみたのだ。しかし夜叉姫はどうだろう…職業上、敵である鬼兵隊の総督が過去では共に戦った仲間だ。記憶喪失の頭で何を感じ、何を思っただろうか。ただならぬ仲だったと噂には聞いているが、晋助は夜叉姫にどう接しただろうか…

万斉は「失礼する」と声をかけ座敷の襖を開けた。中には夜叉姫かたらが座っていて…その横顔がゆっくりとこちらを向いた。

「!……無音…歌声が消えたでござる」

あれだけ助けを求めるように歌い聞こえていた哀唄が止んでいて、万斉は驚いた。一体、彼女の身に何があったのかと思わずにはいられない。

「夜叉姫、迎えに来た……大丈夫でござるか?」
「…はい、大丈夫です…」

全然まったく大丈夫に見えなかった。かたらは傍らに置いた三味線を取って立ち上がる。

「これ、お返ししますね…弦が傷んでいたらごめんなさい…」

まさに心ここに有らずといった様子で、万斉は会話をあきらめて帰りの案内に徹することにした。予定通りに行きとは違うルートを進み、かたらを元の待ち合わせ場所まで連れていく。辺りに刺客の待ち伏せがないことを確認して、万斉は車からかたらを降ろした。

「む?…雨の匂いか……これは一雨きそうでござるな」

肌に湿気がまとわりつき、見上げた夜空はすでに雨雲に侵食されている。万斉はかたらの目隠しを外し、その身を解放した。

「…無事に帰してくれたこと感謝いたします……それでは…」

かたらは頭を下げると静かにその場を去っていった。その背中を見送って万斉はフムと息をつく。

晋助…お前は夜叉姫に何をした?一体何を言ったのだ…?


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