「…あの、わたしに何かご用でしょうか?」

真選組、鬼の副長と呼ばれる土方から離れたところで夜叉姫かたらが訊いてきた。また子は自分の目配せを汲み取ってもらえたことに安堵し、改めてかたらに真剣な眼差しを向ける。

「先程の無礼をお許しください、夜叉姫…」

密かに憧れていた存在、夜叉姫が目の前にいる…それだけでまた子の涙腺が緩んだ。夜叉姫は想像していたよりも美しく、純真無垢な印象を受けた。

「夜叉姫?それは…わたしのことですか?」
「そうっス、私ら仲間内……鬼兵隊じゃアナタのことを夜叉姫って愛称で呼んでるっス」
「…鬼兵隊……」

回りくどい言い方はせずストレートに組織の名を明かすと、かたらは口元に手を当てて何やら考えはじめた。また子は内心ヒヤリとしながら続ける。

「夜叉姫、アナタに会わせたい人が…会ってもらいたい人がいるんスよ」
「…その人がわたしに会いたいと言っているんですか?」
「おそらく…きっと、多分…口では何も言わないけど…会いたいと思ってるに違いないっス…だって、死に別れたはずのアナタが生きてたんスよ?だから絶対…会いたいと…そう思っているはず…」

こんな勝手に相手の心中を推量しただけの言い草では受け入れてもらえるか分からない。けれど、また子は涙目になりながらも必死に訴えた。

「…わたしが記憶喪失だということ、知っていますか?」
「噂には聞いていたっス…やっぱり本当に…過去の記憶がないんスか…?」
「ええ、未だ思い出せません…でも自分が昔、攘夷志士だったことは聞いています。あなたが私に会わせたい人とは……高杉晋助、でしょうか?」
「!……その通りっス…私ら鬼兵隊の総督です」
「…そうですか……」

かたらは少し目を伏せた後、顔を上げて微笑んだ。

「わかりました、会いに行きます」
「ほ、本当っスか…?」
「あなたは危険を冒してまで真選組であるわたしに会いに来てくれた…なら、わたしも同様に行動しなければフェアじゃないでしょう?」
「っ…夜叉姫…ありがとうございます…!!」

感激のあまり、また子はかたらの手を取って喜んだ。

「あの、ちょっと恥ずかしいので、その愛称で呼ぶのやめてもらえませんか?呼び名はかたらで結構ですよ」
「かたら様…!」
「様付けもちょっと…せめて、さん付けに…」
「かたら…さん?」
「はい、そんな感じでお願いします。ところで、まだあなたの名前を訊いていませんでした。教えてもらえますか?」
「名も名乗らずに失礼しましたっ、私は来島また子っス!また子ちゃんって呼んでもらえたら嬉しいっス!」

ハッとして頭を下げたまた子の肩に手を乗せ、顔を上げるように促してかたらはにっこりと笑った。

「また子ちゃん」
「ああああもう堪らないっス!姐さんって呼んでもいいですかァァァ!!」

何だかイケナイ世界に目覚めそうなまた子であった。





「葉月、…オイ葉月……どうした?昼飯食って眠くなっちまったか?」
「…いえ、そういうわけじゃ……確かに食べ過ぎてちょっと眠いかも…しれません」

屯所に戻り、土方とかたらは午後の仕事に取り掛かっていた。主に真選組が関わった事件の書類作成で、監察の報告書をチェックしてまとめたり、やらかした誰かの代わりに始末書や謝罪文を書いたり、捕らえた罪人の素性から過去に関わった事件があるかどうか資料や記録を見て照らし合わせたり、その他諸々と処理しなければならなかった。

「だったら眠気覚ましに資料室に行ってきてくれ…必要な資料の番号はここに書いてある」
「了解しました、すぐに取ってきます」

メモ用紙と資料室の鍵を受け取って席を立つと、土方に引き止められた。

「急ぎのモンじゃねーからゆっくりでいい…何なら少し休んで来い」
「そんな…沖田隊長じゃないんですから昼寝なんてしませんよ」
「昼寝でも何でもいい、お前の好きにしろ…そういやこの前、何か調べてただろ?確か…攘夷浪士の事件詳録だったか?」
「!………」
「別に咎めてるわけじゃねェ、気になるなら好きなだけ閲覧すりゃあいい。自分の過去に繋がる何かを探してんだろ?屯所内の範囲で済むなら構わねーよ」

土方の勘違いにかたらは内心ホッとした。実際には鬼兵隊について調べていたのだ。

「…それって全然自由じゃないです」
「お前を護るためだ、あきらめろ。文句なら資料室の本、全部読んでから言ってくれ」
「ふふ、わかりました…では行ってきます」

今夜、高杉晋助に会う。
そのことがかたらの心を占めて仕事に身が入らなかった。土方の言葉に甘え、ひとり資料室にこもって思案に暮れる。

「紅い弾丸」来島また子の意を受け約束を結んだはいいが、自分自身まだ気持ちの整理がついていなかった。桂には決して会うなと釘を刺されている。今の高杉に会って傷つくのはお前だと、そう言われている。それでも会うつもりなら、何があっても起こっても自己責任ということだ。

高杉晋助

会いたいかと問われれば、会いたいのだと思う。会うなと言われれば、会いたくなる気もする。ただ、会って話すというよりは一目だけでもいいからその姿を見てみたいのかもしれない。高杉を見て、自分の心が何を思うのか…それを知りたい。何かを思い出す可能性だってある…それを確かめたい。

かたらは大きく深呼吸して迷いを振り払い、高杉に会う覚悟を決めた。
もし高杉が昔の恋人だったとしても、今の自分には銀時がいる。だから、過去と決別して何のしがらみもない状態で銀時を選びたかった。銀時と共にこれからの未来を生きていくために…





深夜十一時、かたらは女子袴に着替えると誰の目にも留まらぬよう細心の注意を払って屯所を抜け出した。土方や真選組の皆に対し、後ろめたい気持ちはあったが自分の決意には逆らえなかった。

「夜叉姫…いえ、かたら姐さん…本当に来てくれたんスね…!」
「こんばんは、また子ちゃん」

心に余裕を持つためにまずは挨拶から。昼間のギャル姿と違う出で立ちで現れたまた子は律儀に頭を下げた。おそらく普段着ている衣装だと思うが、へそ出しにミニスカで派手さは変わらず、むしろ露出度が増えた分セクシーなギャルになっていた。

「早速で申し訳ないんスけど、これに乗ってください」

用意された車に乗り込めば例のごとく目を布で覆われた。もちろん目的地を知られないための目隠しである。少し車を走らせた頃、また子が内実を打ち明けてきた。

「かたら姐さん、実は……晋助様は姐さんが来ることを知りません…言ってしまえばこれは部下が勝手に仕組んだドッキリみたいなもので、もしかしたら晋助様は快く思わないかもしれない…それでも…それでも会ってもらえますか…?」
「心配しなくても大丈夫、会いたいと思っているのはわたしのほうです。それでもし、わたしに何かあってもあなたが気に病む必要はないし、どんな結果になっても全てはわたしの責任です」
「姐さん…私のワガママに付き合わせちゃって本当にすみません…ごめんなさい…」
「また子ちゃん、謝らないで……きっと大丈夫、良くも悪くも何とかなる…わたしが何とかするから、ね」

仕組まれた対面は企画した者も、それに乗った者も、緊張を隠せずにいる。どうなるかは一か八かの賭けみたいなものだ。

「ここからは拙者が案内するでござる」

目的地の近くに着いたのか、車から降りてすぐに男の声がした。目隠しでその姿は見えない。

「また子、ぬしは戻って待つといい。今回の企ては拙者一人が単独で行ったことにする」
「!…そんなの…晋助様が信じるわけないっス…!」
「いいから、ぬしは黙って素知らぬ振りをすればいい…結果は後で必ず伝えるでござるよ」
「……先輩がそこまで言うなら分かったっス…万斉先輩、姐さんを頼みます」

そっと、かたらの手を握ってまた子は言った。

「かたら姐さん、私を疑わずに付いて来てくれたこと、すごく嬉しかったっス…また会えたらもっと嬉しいんスけどね……じゃあ私はここで失礼します」
「またきっと会えるよ、また子ちゃん…またね」

またを連発しているが至って真面目なので誰も突っ込まなかった。この場に変人謀略家がいれば「また子だけに」とボケを重ねてくるに違いない。
また子が立ち去ると男が近くに寄ってきた。また子に万斉と呼ばれていたこの男が、かの有名な「人斬り万斉」なのだろう。

「夜叉姫、お初にお目に掛かる…拙者は河上万斉と申す者でござる」
「まったく見えませんが…こちらこそはじめまして、葉月かたらと申します」
「暫し待たれよ、約束の場は目前に見えている。ここから船に乗って向かう故、貴殿の手を借りても宜しいか?」
「…はい」

万斉はかたらの手を取って池畔の桟橋から小船に乗り、目的地へ向かった。
かたらは目の代わりにと聴覚を研ぎ澄ます…船頭の漕ぐ櫂(かい)の音、跳ねる水音、波は緩やかで水面は静かに揺れている。水の匂いは無臭、ここは海ではなく湖…けれど、江戸にダム湖はあるものの市街から遠く離れた山奥にある。車は長距離を移動したわけではない…ならば、ここは湖というより池と呼ぶものだろう。
江戸にはいくつかの池が点在して、その広さも大小様々である。池の形状が分かれば場所を特定することは容易い。かたらに密告するつもりがなくても、鬼兵隊は疑うかもしれない。最悪、捕まって戻れなくなる可能性もあるのだ。

芸妓の弾く三味線だろうか、その旋律が風に乗って聞こえてくると船は暫くして岸に着いた。かたらは万斉に手を引かれるままに船を下り建物へと入る。

「夜叉姫、貴殿は鬼兵隊では有名でござった。噂は古参の者から聞いているでござる」
「そう…ですか……」
「記憶喪失では何を言っても分からぬか…いやはや、これは失礼致した」
「…お気になさらずに、記憶喪失に関して今は不自由を感じていません。過去は過去、今現在が大切だと気づきましたから」
「賢明な見解でござる…しかし、過去とは己が生きてきた証…自己形成のルーツ…今現在が大切ならば何故、貴殿は晋助に会おうと決意したでござるか?」

歩みが止まり、目隠しが外される。かたらは閉じていた目蓋を上げた。そこで初めて万斉の姿を、互いの顔を目の当たりにするが、万斉の眼はサングラスに覆われその気持ちを酌むことさえできなかった。

「それは……高杉晋助に会って、自分が何を感じるのか…知りたいからです」

万斉はかたらの台詞に何かを感じ取ったのか、それとも心を見透かしたのか、フム…と頷いた。

「要するに、過去に触れてみたいということか……結局のところ、過去を過去として切り捨てることもままならぬようだ」
「!………」

かたらの目色が揺れたのを万斉は見逃さなかった。

「貴殿は実に哀しい音を出す…否、音というよりは歌声…例えるなら、過去という檻に囚われ、失くした記憶を求めて鳴く小鳥のようでござる…しかし、その歌声はこの世の誰よりも何よりも美しい」
「??」
「晋助はこの先の座敷で待っている。拙者の代わりに来たと言えば察するでござろう…貴殿にこれを貸しておく」

万斉は背中に背負った三味線をかたらに渡した。

「貴殿は弾けるか?」
「…少しかじった程度なので…とても…」

下手と言う前にバチまで渡され、かたらは困惑した。

「何事にもノリとリズムが重要でござる」

言って万斉は踵を返す。「さてはて、どうなることやら」と他人事めいた呟きを残し去っていった。


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