かたらを抱え銀時は展望台に立ち竦む。
外は雨、それなりに降っていた。すぐに着物が濡れてしまうほどだ。しかし、そんな雨も霞むほどに辺りは煙に覆われていた。露台から下を覗いてみれば赤白い炎が渦巻いている。予想以上に大惨事になっていた。

「これじゃ全焼は免れねェ…せめて遊女と客の避難が済んでりゃいいんだがな…」

そこは吉原の自警団・百華の力を信じるしかない。

〔銀時殿、この場も危ない…早く裏手に…!〕

藤十郎の逸る気持ちが伝わってくる。一刻も早く、夕霧との再会を遂げたいはずだ。それは銀時も同じで、早くかたらの精神を戻し、想いを告げて、この胸に抱きしめたいと思っている。

「…なに、感動の再会はもうすぐだぜ」

外廊下を進んで楼閣の裏手へと出る。表側と違って火回りが遅いのか、白煙の隙間から裏庭が見えた。何気に広い敷地面積で、草木もあり、白石に囲まれた池や、離れ座敷らしき建物が薄っすらと確認できる。

「避難はしご、つってたけどドコにあんだよ!見あたらねーぞ!?」

〔そこの柵に箱が付いている、それではないか!?〕

「ん?…コレかっ!?」

どうやら箱の中には折りたたみ式のはしごが収納されているようだ。銀時は一旦かたらを下ろし、避難はしごを作動させるべく止め具の鍵に手をかけた。

ギッ!…ガシャ、ガシャ、ガシャ、ガッ……

「……あの、なんで途中で止まってんのコレ…不良品…?」

〔その…ようだが……〕

「まァ、なんとかするしかねェ…途中まではしご使って、そっから近くの木に飛び移る…で、万一枝がボキッといっちまっても池に飛び込みゃ怪我もしねーだろ…多分…」

問題は負傷した右腕が役に立たないことだ。止血で痛みが薄れているのはいいが、感覚も麻痺している。おまけに先程から後頭部がジンジンと熱い。鈍器で打たれたときの出血は止まっているものの腫れがひどかった。

〔…銀時殿、すまない…私は結局、何の力にも…〕

「バーカ、何言ってんだよ藤十郎…アンタがいなきゃ俺ァここまで来れたか分かんねーよ?俺ひとりの執念じゃあ足りなかったかもしれねェ…アンタの夕霧への執念がなけりゃかたらは救えなかった。夕霧も…」

銀時はしゃがみ込み、柵にもたれて座っているかたらの頬に手を当てた。雨に濡れ、肌にはりつく髪を指先で整えていく…
すると、かたらの唇が微かに動いた。

「……藤十郎……」
「!…夕霧さん、か…?」

伏せていた目を開くかたら…否、夕霧であることは間違いないだろう。陽炎のように揺らめく仄赤い瞳が、この世の人ならざる者だと教えてくれていた。

〔夕霧……夕霧…っ!!〕

「うぐ、っ…藤十郎…落ち着け、っての…っ」

藤十郎の動揺が銀時の魂にダイレクトに伝わって、脳裏に様々な想いが押し寄せる。
それは過去…記憶の断片。
藤十郎と夕霧、幼きふたりの出逢いから結納を交わした日のこと…離れ離れになって再会を果たした日のこと、七夕の晩に必ず迎えに来ると指切りをした日のこと…
銀時の目尻に涙が浮かぶ。藤十郎の過去が自分の過去と重なり、切なさに胸が熱くなる。ずっと果たせなかった約束が、今……

「っ、藤十郎…この体を貸してやる…だから思う存分、夕霧を…」

抱きしめてやれ、という言葉は発せられなかった。スッと銀時の意識が後ろに遠のいていく。





「夕霧……やっと君に会えた…」

重なるふたつの鼓動、触れるふたつの魂。

「藤十郎……やっと…会えましたね…」

互いの肉体は違えど魂は本物で…ふたりの想いはあの日から変わらない。無情に引き裂かれようと、会いたいと願い続けた。

「待たせてすまなかった…いくら許しを請うても足りることはない…」
「許しなど請う必要はないのです…あなたに会えただけで、わたくしは…天にも昇る心地でございます」

寄り添う肉体の、魂のぬくもりを感じる。それだけでもう語らずとも強い絆で結ばれていると信じられる。

「…さあ共に行こう、夕霧…もう私たちを縛り付けるものは何もない…これからはずっと一緒に…」
「ずっと一緒に…いてくださいますか?」

顔を上げた夕霧に、藤十郎は力強く頷き微笑みを向ける。

「子供の頃…七夕の短冊に書いた願い事を憶えているだろう?」
「はい、忘れるわけがございません」

ずっと一緒にいられますように

「その願いが今叶うのだ…私たちはひとつになろう…ふたりでひとつの星に」
「星になり、後世を見守るのですね…」

見つめ合い、手を重ねれば…どちらからともなく小指同士が絡まった。それは永久不変の愛を誓う行為。

「夕霧…もう二度と君を離しはしない…離さない」
「はい、わたくしはあなたと共に……」





ゆっくりと意識が入れ替わり、銀時は我に返った。

「……もう…いいのか?」

〔ああ、充分だ…久しく忘れていたぬくもりを感じることができた…感謝する〕

言って藤十郎はするりと銀時の肉体から身を…魂を引いた。薄煙が漂う中、雨粒に紛れた霊魂が浮かび上がって頭を垂れる。

〔銀時殿、短い間だったが世話になった…ありがとう〕

「確かに短い間だったかもしんねーけど、記憶を共有できた分アンタと俺は戦友っつーか…礼を言わなきゃなんねェのは俺のほうだ……ありがとうな、藤十郎さん」

同じように銀時が頭を下げると、頃合いを見計らって夕霧が口を開いた。

「銀時さま…何とお礼を申し上げてよいのか、わたくしもあなたに深く感謝しております…最後に、かたらの記憶についてお伝えしなければなりませんね」
「!…記憶を取り戻す方法か?」

かたらの記憶喪失…いつまで経っても記憶が回復しない原因は義父のかけた暗示によるもの。

「かたらが正気に戻ったとしても、きっとわたくしのことは覚えていないでしょう…けれど銀時さま、あなたのことや過去のすべてを思い出し、記憶を取り戻す手立てがあるのです」
「っ……」

グッと息を呑む銀時に、夕霧は一拍おいてから言葉を続けた。

「黄色の花…そして合言葉……それが何か、銀時さまはお分かりになりますか?」

分かるも何も明白だった。それはかたらと松陽先生の好きな花を示している…

「…黄色の花は黄水仙、合言葉は黄水仙の花言葉…だろ?」
「その通りにございます…かたらの暗示を解くには目の前に黄水仙の花をかざし、その花言葉を告げればよいのです」
「………んな簡単なコトでいいのかっ!?」

若干拍子抜けするが、自分では到底思いつけないし、教えてもらわなければ一生かたらは記憶喪失のままの可能性が高い。そう考えると恐ろしくなってしまう。

「はい、それで記憶を取り戻すでしょう……銀時さま、最後の最後にお願いがございます…叔母の身なれど何もできぬわたくしの代わりに…いえ、代わりといっては失礼になりますが、かたらのことを…どうかどうか、よろしくお願いいたします…!」

夕霧の切なる願い。
言われるまでもなく、銀時には覚悟がある。だからこそ、これからは今以上に覚悟を固めなければならない。

「夕霧さん、任せてくれ…かたらは俺が必ず護る…必ず…!」

幸せにしてみせる。今度こそ本当の幸せを…

「ありがとうございます、銀時さま……これで安心して旅立つことができます」

夕霧は口元を綻ばせながら目蓋を閉じた。
トスッと、かたらの上体が銀時の胸元に倒れ、同時に夕霧の霊魂が宙に浮かぶ。白煙混じりの夜雨に佇む花魁姿の夕霧、そして隣には藤十郎。双方とても美しく、凛々しく、神々しさすら感じた。まるで天の光がふたりを照らし、導いているかのように。

〔行こう、夕霧…〕

藤十郎が手を差し出す。

〔はい…〕

夕霧は満面に微笑んで、手を繋いだ。
きっと、もう二度と離れることはないだろう。ふたりでひとつの星になるのだから…



夕霧と藤十郎を見送ったあと、銀時は脱力感に襲われ動けずにいた。

「……ずっと一緒にいられますように、か」

やけにその言葉が耳に残っていたから、声に出して言ってみる。

「そういや七夕は来月だよなァ…俺も短冊に書いてみっかなー…」

それにしても、さっきから背中側が熱いような気がする…とか、ボケ〜っと思っていた。疲労なのか、頭の怪我のせいなのか、思考がおかしくなっているらしい…とか、客観的に自分を見ている自分がいる。
が、…ボフアァッ!!と後ろの壁から炎が噴き出たのに驚き、一瞬で目が覚めた。

「ハッ!?…って呑気に休んでる場合じゃねェェェェ!!あああああ゛」

銀時は急いでかたらを担ぎ、避難用はしごに飛び移った。


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