地下牢から湊屋と優男が去り、十数分経った頃…重い扉を開けて何者かが中に忍び込んだ。その気配に気づいたのは藤十郎である。
静かに通路を歩み、鉄格子の前に立ったその男…否、まだ小さな男の子。かたらのお守り袋を首に下げた、あの少年だった。

「また会ったね、おにーちゃん」

丁度、銀時は自由になった手で、両足の荒縄を解き終えたところだ。

「なぁにが、また会ったね、だバカヤロー…てめーのおかげでかたらを見つけたってのに、このザマだ。オイここ開けろ、今すぐにっ!」

鉄格子の隙間に腕を突っ込んで、少年の胸倉をつかもうとするもヒョイッと避けられた。

「…おねーちゃんのことはあきらめなよ」
「んだと…!てめっ…」
「それに僕、牢の鍵もってないから」
「鍵なんざなくていい、そこの台に置いてある斧がありゃ充分だ…そいつを持って来い」

少し離れた作業台の棚には斧が置いてあった。他にも何に使うのか怪しげな道具ばかり揃っているが、あまり想像はしたくない。

「おにーちゃん、人にモノを頼むときはお願いしなきゃダメだと思うけど?」
「……頼むからっ、…助けてください!お願いしますっ!!」
「土下座は?」
「っ、………これでいいだろ!!」

ギリリと奥歯を噛みながら、銀時は三和土の床に頭をつけた。今は四の五の言ってる場合じゃない。早くここを出て、湊屋の餌食になる前にかたらを助けたいのだ。
だが、しかし……

「そんなことしてもムダだけどね」

と言われれば、誰だって頭に来る。

「てめっ、ふざけんじゃねーぞ!クソガキがァァ!さっさと持って来いっつってんだバカヤロォォォ!!ここから出せェェェェ!!」

怒りのままに、ガタガタと鉄格子を揺さぶって暴れる。そんな銀時を見ても、少年はにこりと冷めた微笑みを浮かべるだけだった。

〔銀時殿、落ち着いてくれ!頼みの綱はこの子供…宗次郎だけなのだ…!〕

「!!」

藤十郎の言葉に、銀時はピタリと動きを止める。

〔この子供の母親も遊女として働いていた。何の病気かは分からぬが数年前、危篤の状態で穴に捨てられたのだ。最期まで子供の名を呼び、息を引き取ったことを私は知っている〕

「………っ」

ゾッとする話だが、それ以上に怒りが湧いてくる。ぞんざいな扱いは吉原では当たり前なのかもしれない。けれど、そんなもの鳳仙が存在していた頃の話だ。
今は遊女にも自由がある。新しい法に護られている。吉原のすべてがそう変わるべきなのだ。故に、この『みなとや』はただの犯罪集団でしかない。叩けば埃どころか、あらゆる悪事が露見するだろう。

「…おにーちゃん、どーしたの?あきらめちゃった?」

笑顔を崩さずに少年が訊いてくる。
銀時は憂いを含んだ眼差しを向け、静かに言った。

「お前の名前は宗次郎……だろ?」
「!…どうして僕の名前、知ってるの?…誰かに聞いた?」
「ああ、昔ここで殺された奴に教えてもらった……お前の母ちゃんがあっちの穴で眠ってることもな」
「!!………」

ゆっくりと少年の表情が変わっていく。作られた微笑みの仮面が剥がれ、暗く、影を落としていった。

「おにーちゃん、幽霊と会話できるの…?」
「…話したくもねーけど見えちまうんだよ。こういう曰く付きの場所は特にな……ったく、嫌な体質だぜ」
「僕のお母さん……ここにいる?」

少年…宗次郎は一歩、二歩と鉄格子に近づき銀時を見上げた。

〔穴の中にいるだろう…しかし、その亡魂が個体で残っているかは分からない…先程申したように、中にいる亡魂の大半は怨霊のかたまりと化しているからだ〕

「…穴ん中にいるけど、他の怨霊に取り込まれてるかもしんねーってよ」
「………」

宗次郎の瞳に悲哀の色が浮かぶ。

〔銀時殿…宗次郎は時々ここへ来ては母を想い、哀しみに浸っているのだろう〕

「…お前、時々ここに来てるんだってな」
「だって、ここはお母さんのお墓だから…」
「母ちゃんが恋しいか」
「………」
「俺にゃ物心つく前から母親…つーか両親がいなかったからよく分かんねーけどよ…いたらいたで特別な存在だったと思う…善悪どんな親だろうと、家族ってェのは唯一無二の存在だからな」

銀時は落ち着きを保ちつつ話しかけた。内心、かたらを救うために早く地下牢を出たいと焦りはあるが…ここで宗次郎の心情に上手く付け入らなければ勝機はない。

「僕…お母さんのこと、あまり覚えてないんだ…今よりずっと小さい頃に死んじゃったから…でも、何があったのか…今は真実を知ってるよ」
「!……」

その真実とは如何なるものか、銀時と藤十郎は黙って宗次郎の話に耳を傾けた。

「僕のお母さんもね、他のおねーちゃんたちと同じように攫われて、ここで働くことになって…一緒にいた僕は処分される予定だったけど…ババさまが僕を気に入って孫にしてくれたんだ。ババは僕を可愛がってくれたし、時々お母さんに会わせてくれた…
もちろん、お母さんは薬を打たれてたから、ちゃんとした会話なんてできなかったけど…会うと僕の名前を呼んで抱きしめてくれた……たったそれだけでも僕は幸せだったんだ」

少年特有のまだ少し高い声が、明暗の空間に反響していく。

「それからしばらくして…お母さんは病気で死んだ、って聞かされた。その頃は死んだって言われてもよく理解できなかった…けど、成長すれば誰だって分かるようになる。仕事を手伝っているうちに、僕はたくさんの事を知ったから…
僕の大仕事が『人攫い』…地上に出て、標的に決まった女の人や女の子に声をかけて路地裏に誘い出すんだ。それが僕の役目で…そのあとは大人たちの仕事だった」

子供を使えば相手に警戒心を抱かせずに誘い込める…かたらもそれに引っかかったのだろう。

「ガキに人攫いの片棒を担がせるたァ、不道徳な大人もいたモンだなオイ…」
「仕方ないよ、それが僕の仕事だから……かたらっておねーちゃんも僕に騙されたからここにいる」

宗次郎は首に吊るしたかたらのお守りをそっと握りしめた。

「ここに来たら服従薬を打たれるんだ…天人から仕入れてる薬で、この店のために特別に調合してる物だって言ってた…」

銀時はその小さな手が小刻みに震えているのに気づく。

「女の人はその薬を何度も…繰り返し打ち続けて…人形みたいになっちゃうんだ…」

震えは罪悪感を抱く心の動揺…宗次郎は自分がやってきたことを理解しているのだろう。

「薬漬けになるとね、たまにショック症状を起こす人がいて…そうなるともう助からない。そして…死んだらあの穴に捨てられるんだ……僕のお母さんと同じように…」
「!…お前……」

〔現楼主に代わり、のちに亡くなった遊女たちは薬物によって死んだ者が多いのか…〕

母親は病死ではなく殺されたに過ぎない。病死だったとしても、まだ息のある状態で穴に捨てられた…それは殺されたに等しい。

「僕はもう、何もかもどうでもよくなったんだ…旦那さまを憎んだって、お母さんは戻って来ない…良いことをしたって、悪いことをしたって、お母さんは褒めても叱ってもくれない…だから、…こんな汚れた世界なんて、僕なんて…どうなったってかまわないんだ…」

宗次郎は悲痛な面持ちで本心を吐露する。そこに、希望など微塵もなかった。
母を亡くした喪失感、生きていく不安感、悪漢に囲まれた子供の孤独感…宗次郎の思いは複雑だった。悪行と知りながら、仕方ないと自身に言い聞かせ、罪を重ね続けたのだろう。

銀時はふと松陽を思い出す。
あのとき先生に出逢わなければ、自分だってどうなっていたか分からない…

「オイ、知ってっか?そーいうの自暴自棄って言うんだぜ。将来の夢はサッカー選手です!とか夢見る年頃だってェのに…自分がどーでもいいとか悲しすぎるわ」
「……」
「お前の母ちゃんはなァ…穴ん中に捨てられたとき、まだ生きてたんだ…息を引き取る最期まで、お前の名前を何度も何度も呼んでたんだとよ」
「!…お母さんが…?」
「そんな母ちゃんが何を願って死んでいったか、お前に分かるか?死んだとはいえ、ちったァ母ちゃんの気持ちも考えてみろ」
「っ……」
「母ちゃんはお前を愛してた…それは分かるだろ?」

宗次郎は首を縦に振る。
幼い頃に母親からもらった愛情を覚えているなら…どうか理解してほしい。

「…母ちゃんがお前の不幸を望んでると思うか?違うだろ?お前の幸せを願ってるに決まってんだ…家族っつーのはそういうモンなんだよ」
「僕の…幸せ……」
「仕方がない?どーでもいい?ガキでも金玉ついた男だろーが。んな甘っちょろいコト言ってあきらめてんじゃねェ…ちったァ自分の幸せを考えろ、今からでも!」

絶望から抜け出してほしい。

「…今更…自分の幸せなんて…考えられないよ…っ」
「だったら人の幸せを考えてやれ…間違ったら悔い改めりゃいいんだ…罪だと思うなら罪を償え。今、お前には救える命があるんだ…」
「でもっ、救えなかった人は戻って来ないよ?…みんな、ここで死ぬんだ…僕のせいで死んじゃうんだよ…!」

今まで閉ざしていた感情が涙となって宗次郎の頬を伝う。思わず自然に…銀時は鉄格子から手を出して、その頭を撫でていた。

「宗次郎、泣くな…お前のせいじゃねーよ」
「…僕のせいだよっ…僕が騙して連れてきたから…っ」
「違う、お前のせいじゃねェ…お前じゃなくても誰かが女を攫ってた…お前じゃなくても成り行きは同じだった」
「…おにーちゃんだって、僕を見つけたから捕まった…僕のせいで殺される」
「俺は死なねェ…あいにく妹を助け出すまで、死ぬワケにはいかねーんだ…」
「妹……?」
「かたらは俺の妹だ」
「!!」

今一度、銀時は跪き頭を垂れた。

「宗次郎、頼む…ここから俺を出してくれ…お前にできなかったことを俺がやってやる」
「…おにーちゃん…何をするの…?」

訊かれて、にこりと口角を上げる。いつもの不敵な笑みと違い、やさしい微笑みで宗次郎に告げた…

「俺が終わらせてやる……真っ黒に汚れた世界を」


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