吉原の花街…かつて夜王がいた大楼閣とは反対の位置に『みなとや』という店があった。小さな楼閣は煌びやかでありながら、どことなくひっそりとした佇まいである。
そんな楼閣の展望台にふたりの男女が立っていた。店の主、湊屋と…夕色の髪を結い上げた花魁、かたらの姿だ。

「夕霧、ここから見る景色は素晴らしかろう?」
「………」

『夕霧』と呼ばれ、かたらは虚ろな瞳を遠くへ向けた。頭がぼんやりとして…思考がまとまらない…だから、声も出なかった。

「正面に大楼閣が見えるだろう?…今は楼主無き抜け殻…吉原一の花魁もおらん。私の店もそうだったよ…先代が死に、店を受け継いだ頃にはもう…恋焦がれたあの人はいなかった」
「………」
「しかし、私は取り戻したのだ…あの人を…夕霧と同じ血を受け継ぐお前を…」

湊屋はかたらの手を取り、そっと握る。

「お前の姿形は夕霧そのもの…願わくば、夕霧の魂がお前に宿れば良いが……所詮、無理な話ぞ」

ポツ…ポツ…と、雨粒が空から落ちて湊屋は頭上を仰ぎ見た。夜王亡き今、太陽を、空を遮る天井は開かれている。

「これが本当の…『夕霧の涙雨』…かもしれんな…もし昔と同じくお前を迎えに来る男がいたのならば…私は先代と同じ事をするだろう。…でも、お前はあの人と同じ事をしてはならんぞ?ここを飛び降りてはならん、絶対に…」

かたらはじっと動かない。その目に何を映しているのだろうか…僅かに瞳が潤んでいた。

「…悲しいか?何、悲しむ必要なぞ無い。…さあ夕霧、向こうへ戻ろう…雨に濡れては風邪をひく」
「………」

かたらは低迷する意識の中にいた。
ただ、黙って時が過ぎるのを待つ…否、時が止まっているようにも思えた…まるで夢の中に浮かんでいるようだった。けれど、小さな雨粒が頬に触れる感覚…見知らぬ男に手を握られている現実を、頭のどこかで理解していた。何も拒まずに、拒めずに、ただ流されるだけ…それを望んでいるような気さえした…

「悲しみが消えぬなら、ババに薬を打ってもらうと良いだろう。余計な感情は要らぬ…少しの微笑みがあれば、私はそれで充分だ」

湊屋はかたらの頬に手を添える。

「夕霧、…私に微笑んではくれまいか?」
「………」

淡い口紅をさす艶やかな唇が、ゆっくりと笑みの形を作っていく。

「それで良い…お前には微笑んでいてほしい…」





傘を目深に差し、万事屋三人は花街の通りを歩いていた。途中で月詠が合流、自警団・百華にかたら捜索の指示を出したとのことだ。

「あれを見なんし、あれが夕霧太夫のいた楼閣じゃ…店の名は『みなとや』という」

月詠が煙管で指し示した先を遠巻きに眺める。鳳仙のいた大楼閣と比べれば小さいが、作りはそこらの建物より金がかかっていると察しがつく。

「あの展望台から飛び降りたんですね…」
「夕霧のオバケはいないアルな。銀ちゃん、オバケ見えるアルか?」
「みっ、見えるワケねーだろっ!見えてたまるかァァァ!」

一番、霊感が強いと思われる銀時でも見えないらしい。

「あの、月詠さん…あそこって今は何やってるお店なんですか?」

具体的には訊きづらい…けれど新八は尋ねてみた。

「昔と変わらぬ遊女屋じゃ。今風で言う、ソープとヘルスを兼ね備えた店といったところじゃろう…」
「ツッキー、ソープとヘルスの違いが分からんアル」
「ん?ああ、それはじゃな…」
「オイお前、ガキにナニ教えよーとしてる?…それと神楽、ガキは知らんでよろしい。つーか…よくよく考えりゃ、この街にガキがうろついてること自体おかしいよなァ…絶対目に付くし…」

銀時は新八と神楽をじっと見据えて「うーむ」と悩む。

「…ま、ここは男の俺に任せてもらうしかねーな」
「え、それじゃ僕たちはどうやってかたらさんを捜せばいいんですか?」
「そーアル!銀ちゃんばっかりずるいヨ、私も男装するネ!」
「バーカ、男装してもガキはガキ、店の女を見ることもできねーよ」

子供に張見世をのぞかせる訳にもいかないだろう。

「つーことで俺は今から、アッチのほうの遊び人銀さんになるわ。かたらを捜すためには仕方ねェ…おめーらは地上の真選組の捜索状況や情報を確認しつつ、こっち吉原での情報を待つように!」
「要するに待機してろ、ってことですか?」

新八も神楽も不服そうに銀時を見ている。

「そーいうこった。情報が入り次第すぐ動けるよーにしとけよ?」
「うー…分かったアル」
「銀さんからの情報、期待して待ってますからね」
「おうよ」

とりあえずは社長の意を酌み、子供組は大人しく情報整理の任につくことになった。



夕刻を過ぎて雨が止んだ。
銀時は夜の吉原をふらりふらりと歩いていく。服装も変え、黒地に赤の花紋が入った着流し姿、如何にも遊び人という風体である。
あちこちの店に立ち寄り、張見世(格子つきの部屋)に並ぶ遊女たちを確認しながら、かたらを捜す。正直、こんなところにかたらがいるとは思っていない。考えたくもない。が、万が一ということも…ある。

銀時は一通り、店の遊女を見て回った。しかし今の時間帯、売れっ子は仕事中のようだ。次に偵察するときは夕刻前にしようと思い、通りを折り返していく。

ふと途中で銀時は足を止めた。心なしかその顔が強張る。実はまだ確認が済んでない店が一つあるのだ。今、その店の近くまで来ていた。
それは『みなとや』という店で…決して、幽霊が怖いから後回しにしたんじゃない…と、自分に言い訳しても無意味であった。

「さっさと見て帰りゃーいいんだ。どうせ、オバケなんていねーし……」

あの夕霧太夫が身を投げたという展望台を、少し離れた場所からチラリと見て、すぐに視線を逸らす。ホラ見ろ、オバケも何もいねーだろ?と自分に言い聞かせ、銀時は通りに出た。
店先には客引きの店員が二人…遊女のいる張見世は大きな暖簾で仕切られていて見えなかった。もしかしたら見物料を取る店なのかもしれない。

「可愛い子いるぅー?」

銀時は店員の一人に声をかけてみた。

「お客様、この『みなとや』へは初めてでいらっしゃいますか?」
「初めてだけど…何?なんかあるワケ?」
「ここは一風変わった店でして、どんな方でも入れるという訳ではございません」
「あぁ、スタンダードなプレイじゃないワケね。んじゃ、ここはどんなプレイができんの?」

一風変わった店なら他にもあった。所謂マニアックな域で、変態プレイが楽しめるところだ。

「この店は通称『人形屋』と呼ばれておりまして、その名のとおり人形のように美しい遊び女がございます」
「フーン、こけし人形みたいな?」
「いえいえ何をおっしゃいます、姫人形ですよ。ささ、こちらへどうぞ。是非お客様の目でお確かめになって下さい」
「…見物料取らない?」
「ええ、見るのはタダでございます」

赤い仕切り布の内側に招かれる。張見世には数人の遊女が座っていた。

「おうおう、こりゃまた別嬪ばかり揃っていやがらァ」
「今の時間、遊び女の半数は出ておりますが、皆等しく美人でございますよ」

格子向こうの遊女が銀時を見つめ、微笑みを浮べている。
確かに姫人形のように美しいが、違和感があった。とろんとした瞳は虚ろ…何というか生気が感じられない。まるで心までも人形だと思わせるような…

「つーかホント、人形みてェなんだけど…」
「驚かれましたか?この娘たちは人形を演じているのです」
「…あーアレか、生身のダッチワイフってワケか」
「せめてラブドールとおっしゃって下さい。生身の女性で人形遊びができるのは当店だけでございますよ」

『人形屋』などと別名が付いている理由が分かった。

「なるほどねェ…」
「当店は主に人形愛の方にご贔屓頂いております。特に口下手で寡黙な殿方には大変人気でございます」
「人形ってことはつまりィ、何でもしていいワケ?好きにイタズラしちゃっていいワケ?」
「利用規約がありますが…遊び女を傷つけず丁寧に扱って頂ければ、大抵の行為(こと)はできます。もちろん命じて頂ければ、ご奉仕も致しますよ」
「ほほう…」

頭の中のイメージは、昔かたらによくやった『寝込みを襲う』である。言わずもがな性的な意味で。ぐっすり寝ているかたらにイタズラして、その反応を見るのが楽しかった…と、懐かしく思っている場合じゃない。

「お客様、今宵はどうなされます?遊んで行かれますか?」

店員が横から銀時の顔をうかがっている。こうやって店の遊女を眺めたところで、かたらに繋がる情報は入らない。

「…わりィーな、今日はやめとくわ」
「それは残念でございます。また、いつでも見にいらして下さいませ」

深々と頭を下げる店員の脇を通り抜け、店先に出る。

「夕霧太夫みてェな一級品がいりゃあ…よかったんだけど」

去り際に呟きながら、銀時は店を後にした。



しばらく歩いた頃、尾行に気づく。銀時は人目を避けるよう路地裏に入った。

「オイオイ、ストーカーですかコノヤロー」

足を止め、振り向かずに問う。

「…私はただ、怪しい者を付けているだけだ」

返ってきた声から推測するに、まだ若い男だろう。

「ハッ…俺が怪しいってんなら、てめーも怪しいだろ」
「この辺りでは見ない顔……お前は何者だ?」
「何者って、ただの遊び人ですが?何か問題でも?」
「………」

沈黙したと思ったら、先に仕掛けられた。

ガッ…!

銀時は木刀で男の刃を返し、距離を取る。相手の素早い抜刀に反応できなければ、バッサリ斬られていたところだ。

「チッ…危ねェヤツだな、てめーこそ何モンだっつーの」

暗がりの中、目を凝らす。男の背丈、体格は銀時より少しだけ小さいくらいだ。横分けの前髪、後ろ髪は束ねられており、顔立ちは優男に見える。

「………」

優男がスッと刀を構え直した。次の攻撃が来ると思い、身構えた瞬間、ふたりの間にクナイの雨が降り注ぐ。

「双方、退きなんし!」

屋根から月詠が飛び降りてきて、銀時を庇うべく手前に立つ。

「おまっ…危ねーだろがっ!」
「!…百華の月詠殿か」

優男は月詠のことを知っているらしい。

「この男は鳳仙を倒した強豪ぞ、ぬしの叶う相手ではありんせん」
「夜王を倒した男…この者が?」
「そうじゃ」

どうやら同じ吉原の住人のようである。

「オイちょっと待て、コイツお前の知り合い?」
「知り合いというか、『みなとや』の用心棒をしておる男じゃ」
「あー用心棒さんね。で、その用心棒さんが俺に何の御用ですか?」

銀時はジロリと優男に視線を向けた。ただ張見世で遊女を眺めていただけなのだ。別に悪い事はしてない。

「…先程述べたとおり、怪しい者を付けたまでだ」
「ぬし、確かにこの男は白髪頭でチリッチリで怪しく見えるじゃろうが、わっちの仲間じゃ。騒ぎを起こされては困りんす」
「オイ髪の毛関係ねーだろ、人の頭をチン毛みたく言うんじゃねェ」

月詠の言葉に、優男は大人しく刃を鞘に収めた。

「…百華の頭が言うのなら、この場を退こう」

言って踵を返し、通りに消えていく。
やけにあっさり帰ったので半ば拍子抜けしてしまう。銀時はふうっと息をつき、木刀を帯に差した。

「……ぬし、何をしたんじゃ?」
「はァ?何言ってんだ、俺ァ何もしてねーよ」
「本当か?普通、何もなしに用心棒が後を付けることはないじゃろ…」
「だから何もしてねーっての。怪しいから尾行したんだろ」
「確かに、そう言っておったが…」
「まー気にすんな、とにかく一旦戻って情報整理だ」

どうも『みなとや』という店はいけ好かない。あの用心棒とやらもキナ臭い。叩けば埃が出そうだと、銀時は思った。
しかし今はそれよりも、かたらを捜し出すことが第一である。


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