『夕霧太夫?』
「そう、夕霧太夫……昔ね、私がいた楼閣とは別のところで太夫を務めていた人なんだけど…もう十年近く前、晴太が生まれる前の話になるわね…夕霧太夫は……」
皆の視線が集まる中、日輪は複雑な表情を浮かべた。
「彼女は…自ら命を絶ってしまったのよ…」
そして幾ばくかの哀しみを込めて言う。
「…その十年前自殺した遊女に、かたらがそっくりだってェのか?」
「そっくりもそっくり、本人かと思っちゃうくらい似てるのよ、本当に!」
「マジアルか…でも、世の中には自分と似たヤツが三人いるって言われてるネ」
「だけど…そんなにそっくりなら、かたらさんと何か関係あるんじゃ…」
「バカ言うな新八、かたらは江戸生まれでも江戸育ちでもねーぞ?」
銀時は言ってみて確信が持てないことに気づく。かたらの本当の家族…殺された両親がどう生きてきたのかも知らないのだ。
「遊女だって地方出身が多いって聞きますよ?」
「…まさか、その遊女がかたらの血縁者とか…イヤ、ありえねーだろ」
「ありえないなんてことはありえないアル」
「日輪さん、もっと詳しく聞かせてもらえませんか?夕霧太夫のこと…」
「ええ、いいわよ」
日輪は遠い記憶を見つめ、静かに語りだす。
「彼女は私より五つか六つ年上で…私が新造の頃には太夫の地位についていたわ。体が弱いらしくてね、彼女の花魁道中はめったに見られなかったけど、よく覚えてる…彼女の美しく可憐で儚げな姿を…生まれは江戸で…将軍直属の家臣、旗本良家の娘だったとか…」
「旗本!?将軍の直臣って言ったら大名レベルじゃないですか!どうしてそんな人が吉原に…」
「天人襲来以降、幕府内でも諍いがあってさ、権力を巡り身内を貶めたり、攘夷論に転じた反逆者が出たり…まぁ昔からあることなんだけど、何らかの理由で切り捨てられ葬られた家臣がいたのさ、それで…」
言葉を止めて、日輪は晴太に目を向ける。
「…晴太、ちょっと席を外してもらえるかい?」
「ええええっ、今更ァ!?オイラ大人しく聞いてるし大丈夫だよっ?」
「大人の話になるから、向こうに行ってておくれ」
「え、…うん…分かった…」
晴太はしょぼんと項垂れて、勝手許に引っ込んでいく。
「絶対、裏で聞いてるネ…絶対、聞き耳立ててるヨ…」
「話続けるわね…それで、反逆と見做された一族は断罪される」
「え…まさか一族郎党皆殺しとかじゃないですよね?戦国時代じゃあるまいし…」
「無きにしも非ず、ね。そして…その中に若い娘がいれば……どうなるか分かるわよね?」
各々のご想像に任せてみる。
「まあ…分かりますけどね、何となく…」
「アレだろ、奴隷みたいな扱い受けんだろ?性的な意味で」
「マジでか、性的な意味アルか…!」
「ちょっと、その言い方やめてくださいよ」
「否定はしないけど、大体そんな感じに性的な意味よ」
「ちょっ、日輪さんまでっ…」
「うるせーぞ新八、具体的に言ってねェんだからいーだろ?話進めてくれ」
日輪は仕切り直して続きを話す。
「特に、容姿の整った娘がここ吉原遊郭へ売られてきたの…ここへ来たほうがまだ扱いが良かったと聞いたわ…」
「それじゃ夕霧太夫も…」
「そう、彼女は吉原が地下に移ってからずっと…楼閣の展望台から飛び降りるまで…ここにいたのよ」
『………』
夕霧太夫の暗澹たる幕引きに言葉が出ない。少しの沈黙…それを破ったのは月詠だった。
「日輪、思い出しんした。夕霧とはあの…『夕霧の涙雨』の夕霧じゃな?わっちは夕霧を直に見たことはないが、その物語だけは知っているぞ」
「まぁ、遊女の間では有名な話だったものね」
「何ですか?『夕霧の涙雨』って…」
「夕霧太夫の悲しい恋物語…それが『夕霧の涙雨』って題名で語られているのよ」
ここで銀時がフッと鼻息をもらす。
「女は好きだよなァ、そーいうハナシ。つーかタイトルからして同情誘ってんだろ」
「銀ちゃんは黙ってるヨロシ。早く、早く続き話してヨ!」
急かす神楽に日輪は微笑む。神楽も年頃の女の子…きっと恋物語が好きなんだろうと思った。が、実際には泥沼と化した昼ドラのような話を期待している神楽である。
「太夫ともなれば、たくさんの上客を抱えるだろ…将軍に仕えていた元旗本良家の娘だから、良くも悪くも注目を集める。客のほとんどが幕府の上官で…大枚はたいて彼女に同情する者、大枚はたいて彼女を嘲りに来る者がいた…」
「悪趣味な客もいたアルな」
「アレ…太夫って客を選べるんですよね?」
「普通はね…でも、彼女は選べる立場じゃなかった…科せられた責務ってやつさ。か弱い身に一族の罪を背負い、吉原で生き死んでいく運命…ここから逃れられないことは百も承知だった。つらかっただろうね…」
日輪自身も鳳仙に囚われていた身で、全部とは言わないが…つらさは分かるつもりだ。自分だけでなく、吉原に囚われていた遊女ならば皆、彼女の気持ちを斟酌することができるだろう。
「それでも、彼女が耐えてこれたのには理由があったのさ。たったひとつの希望が…愛しい人と交わした約束が…彼女を生に繋ぎ止めていたんだ」
「好きな男がいたアルか」
「そう、彼女の幼馴染…元許婚だった青年が身内にばれないように、隠れて会いに来てたんだよ。吉原が地下遊郭になってから身請けは禁じられていただろ…だから、ふたりは約束を交わしたのさ…いつかここから抜け出そう…ふたりで遠くまで逃げよう…と」
「駆け落ちってか…まー結局ダメだったんだろ?自殺しちまったってことはよ」
茶々を入れる銀時に、スッと日輪が小指を立ててみせた。
「七夕の日、夜明けの晩にあなたを迎えに来ます。青年はそう言って、彼女と指切りげんまんを交わした…」
遊女の約束事といえば『指切り』が定番だった。
「もういいってェ、先が読めてんだからぁー結局、男が迎えに来なかったんだろー?」
「そう…約束の日、青年は彼女を迎えに来なかった…」
「だからもういいっての、分かってるからよ。夕霧は男に裏切られたショックで自殺したんだろ?」
「裏切られたとは思ってないわ…ただ、待ち続ける気力がなかったのね」
「何でアンタに夕霧の気持ちが分かんだよ!どーせこんなモン作り話だろ?嘘くせェ」
「そりゃあ少しは脚色してるかもしれないけど、嘘じゃないわよ。夕霧太夫に付いていた新造の話なんだから」
銀時のせいで子供たちがジト目になっていたので、日輪は銀時にかまわず話を進めることにした。
「それでね、彼女はついに客も取れなくなるほど弱り果て、楼閣の展望台に佇んでいたのさ…すると、…涙も枯れ果てた頃に、上から雫が落ちてきたんだよ」
「え…それって雨ですか?でも吉原には天井が…」
「もちろん天井が閉まっているから雨なんか降るはずもない…けど降ったんだよ、雨が…」
「雨漏りでもしてたアルか?」
日輪は神楽の言葉に「正解」と頷く。
「そう…天井に破損箇所があって、そこから地上の雨が流れ落ちてきたんだ。地上では梅雨明け前の大雨だったらしくてね、それで彼女のいる楼閣付近だけに雨が降り注いだ訳さ。彼女の境遇を知る者は皆、この雨を『夕霧の涙雨』と呼んだ…そしていつしか、その雨に誘われるように…彼女は展望台から身を投げてしまった…」
その光景を想像すると、何ともやるせない気持ちになってしまう。
「以上が、『夕霧の涙雨』っていう花魁の悲恋話さ。…で、何か質問あるかしら?」
ハイ!と神楽が手を上げる。
「何で男は迎えに来なかったアルか?」
「さあね、何か事情があったんだろう…死んだとか、殺されたとか、色々噂が立っていたけどね」
「それじゃ、その男性は今もまだ生きてるかもしれない、ってことですよね?」
「その辺りは謎のままさ、私にも分からない…」
「オイおめーら、もういーだろ。どう考えても、かたらにゃ関係ねェ話じゃねーか、ただ夕霧に顔が似てるってだけだろ」
時間の無駄とでも言いたげに、銀時がぼやく。
「日輪さん、その夕霧太夫がいた店はまだあるんですよね?」
「建物はあるわよ」
ぼやく銀時を無視して新八は会話を進める。かたらと同じ顔を持つ夕霧太夫に興味が湧いてしまったのだ。
「経営者はまだ同じ人ですか?」
「確か…夕霧太夫が亡くなって、一年も経たないうちに楼閣の経営者は病死したって聞いたわね。今は別の主人が経営してるはずよ」
「そうですか……銀さん、今から行ってみませんか?」
「あん?そりゃかたらを捜すから吉原をぐるっと一回りする予定だけどよ、別にそこに行ったって夕霧はいねーぞ?新八」
「分かってますよ、亡くなってるんだから。というか、いたら怖いです」
「いや、いるぞ」
突然、口を挟んできた月詠が不可解なことを言う。
「え…今何て?」
「だから夕霧がいると言っとるんじゃ」
「オイオイ、コイツ頭だいじょーぶ?死んだ人間がいるワケねーだろが」
「そうじゃな…すまぬ、言い方を間違えた。正確には『いる』じゃなくて『出る』じゃった」
「出るって…オイ、まさかスタンドじゃねーだろうな…?」
「まさか…夕霧太夫の幽霊でも出るってんですか…?」
月詠は煙管の紫煙をくゆらせて、ゆっくりと首を縦に振った。
「わっちは目にしたことはないが、前に百華の者が見たと言っておったな。展望台に立つ遊女の姿が薄っすらと…」
「オイやめろっ、やめてくれェ…!」
銀時が頭を抱えて縮こまる。心霊現象は是が非でも認めたくない。
「かわいそうアルな…夕霧は成仏してないネ」
「死んでもまだ、吉原に囚われているのかな…」
子供たちの素直な同情に、日輪が憂いを帯びた顔で嘆息をつく。
「愛した男をずっと…待ち続けているのかもしれないね」
「オイいい加減にしろよ、てめーら!悲恋話っつーかもう怪談話になってんじゃねーか!頼むからやめてくれ、俺そーいうの苦手だからっ!」
「あら、銀さんオバケ怖いの?何だ、可愛いところもあるじゃない。でもね、よくある怪談話こそ悲しい恋物語なのよ」
「俺ァどっちの話も聞きたくねーよ!」
ガバッと銀時が立ち上がる。ここで時間を潰している場合じゃない。
「新八、神楽、かたら捜しに行くぞ!」
言って店先に出ると、弱々しい雨粒が肌に触れた。隣に新八と神楽が並ぶ。
「今降るこの雨も…『夕霧の涙雨』ってやつですかね」
「きっとそうアル」
「うるせー、もう忘れろ夕霧のことは…今はかたらのことだけを考えろ、いいな?」
「分かってます」
「もちろんネ」
「よし、わっちも行くとしよう」
更に月詠が隣に出る。
「丁度午後の見回りに出るところじゃ…ぬしの妹のことを仲間に話さねばならん」
「月詠さん、お願いしますね」
「ぬしらは先に行きなんし、後で夕霧のいた店に案内してやろう」
「ツッキーありがとネ!」
「礼には及ばぬ。それと銀時、迂闊な行動は控えたほうがいい…犯人に感づかれたら逃げられるぞ」
もし万が一、かたらがここ吉原のどこかに囚われていたら…と想定しての話だ。
「んなモン言われなくても分かってんよ」
「悪いが聞き込みもすべて百華に任せてもらう。ぬしらはひっそり散歩でもしててくれ」
もちろんただの散歩でなく、目視で偵察、捜索しろ…という意味である。
「チ…仕方ねェ、郷に入っては郷に従えってか。まーよろしく頼むわ、ツッキー」
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