「一応、手加減はしました…よ?」
「手加減…だと?…嘘をつけ…ものすごく…痛いぞ…っ」
「そりゃアレだ、ヅラの金玉が軟弱なだけだろ」
「銀ちゃんの玉だって弱いアル」
「そこ、強い人なんていないと思うけどね…」
起き上がれない桂を和室に運び、押入れから出した座布団を枕代わりに寝かせておく。
「くっ…もし男性機能不全になったらどーする…責任取って婿にしてもらわねば、割りに合わんぞ…!」
「そんなに心配なら、今すぐ診察しましょうか?触診になりますけど」
指をワキワキ動かしながら、かたらはにっこりと笑顔を見せる。
「え…診察?…触診…?」
「はい。触診で、ずれてしまった睾丸を陰嚢に戻します。定位置に戻せば気持ち悪さも和らぐはずです」
「なっなな何を言って…女子がそのような言葉を口に…っ」
別に卑猥でも何でもなく、正式な名称である。
戸惑いつつ疑問を浮かべる桂。先ほど、かたらとの経緯を話す上で、銀時は細かい説明を省いていた。
「ヅラ、かたらは医師免許を持ってんだ…」
「!…そう、なのか…?」
「はい、わたしの命の恩人…義父が幕府の医官だったんです。それで、わたしも医術を学び資格を取りました」
「かたら…お前…」
医師になりたい、それがかたらの夢だったはずだ…実現できる資格を持ちながら何故、真選組に身を置いている…?
「どうします?触診しますか?…それでは、みなさん外に出ててください」
「だっ大丈夫!大丈夫だっ、男子たるものこれしきの痛み、耐えねばならぬ…っ!」
「オイオイ、何赤くなってんだァ?せっかくオメーの愛しいかたらちゃんが診てくれるって言ってんのによォ」
ニヤリと笑う銀時。桂が男女関係に疎く、純情すぎる男だと知っているからこそ、からかえるのだ。
「そ、そんなことっ、できる訳なかろう…!かたらっ!?診なくてよいのだぞっ」
抗議も聞かず、かたらは桂の左腕に触れた。
「…かたら……?」
「ごめんなさい…昨夜の傷を見せてください。わたしが付けた傷ですから…せめてもの罪滅ぼしに…」
かたらは手提げ鞄から救急箱を取り出して、手際良く処置を施していく。
左手の切創はかたらの一振りに抜刀が間に合わなかったせいで付いた傷…最初の応急手当が的確だったこともあり、裂傷は思ったより酷くなかった。かたらはホッと胸をなで下ろす。
「…次は頬の傷を見せてください」
左手の処置を終え、左頬に貼ってある止血テープに手を伸ばそうとした途端、桂が起き上がった。
「いや、この傷は大事無い…診なくて大丈夫だ…」
「だめです。血が滲んでますよ?だから取り替えさせてください…ね?」
「う、うむ……分かった、頼む…」
傍から見れば、患者と看護婦のようである。和室の隅でふたりを見守る万事屋三人はヒソヒソと会話していた。
「新八くん、ちょっとナース服買ってきて…ピンクのやつな」
「コスプレさせる気ですか?…そりゃ、確かに似合いそうだけれども…」
「銀ちゃん、かたらはナースじゃないヨ…先生は白衣アル」
「白衣の下はミニスカ…それも捨てがたい」
「…銀さん、妄想を口に出さないでください」
ぺたり…と、新しいテープを貼って完了。
何故か桂が固まったまま動かないので、かたらは少し乱れたその黒髪に手櫛を入れ整えていった。
「きれいな髪ですね…うらやましいです…」
「…一応、手入れはしている…」
指先で梳かす度に、ふわっと良い香りが微かに漂ってくる。清楚で上品な香り…鈴蘭の匂いだろうか…昨夜、刀を交えたときも、確かにこの匂いだった…
「わたし…この匂いを知ってる……すごく懐かしくて、やさしい…そんな感じがします…」
『!?』
隅っこに座る三人は驚きに目をみはった。
「かたら…思い出したのか…?」
桂は僅かな希望をかけて訊く。
「この匂いだけ…確かに覚えています…」
こうやって、かたらが断言すること自体めずらしい…というか、初めてかもしれない。
「匂いだけ…か」
「ごめんなさい…それ以外は何も…思い出せません…」
「…なに、謝る必要はない。この匂いは俺が使っている髪油の匂い…昔も今も同じものを愛用している。それを思い出してくれただけでも…俺は嬉しいぞ?」
桂は昔と同じように、かたらの頭をやさしく撫でた。かたらの髪は昔と違い何の香りもしない…それが少し悲しかった…
「かたら…俺も銀時と同じ考えだ。お前の記憶が自然に戻ってくる日を待とう」
「…はい」
「その日まで、俺とお前は敵同士だ。俺は攘夷志士で…」
「わたしは真選組です。…だから、次に会ったときは敵同士ですね?」
「そう、俺たちは敵同士…ということだ」
穏やかでない台詞を穏やかに言って、ふたりは微笑み合う。
「敵同士のフリ、上手く演じてくださいね?」
「フン、お前もな…」
かたらと桂の両名が去った後、万事屋の空気はどんよりだった。
「あいつら…俺を差し置いて…ふたりの世界つくりやがって……」
銀時はソファにうつ伏せになり、ずっとふてくされていた。
「…銀さん、いい加減にしてくださいよ。いつまでヘコんでるんですか」
「そうアル、ヅラに嫉妬しても意味ないネ」
「……ヅラもかたらもムカツク…」
「そんなこと言ったって仕方ないでしょ?桂さんの匂いを覚えてて、それを思い出しただけでも進歩ですよ。そういえば…」
床をモップで拭いていた新八が手を止めて言う。
「匂いは記憶と深く結びついているって、前にテレビで見たことがあります」
「何アルか?それ」
「ホラ、人間には視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感があるでしょ。それぞれの感覚はそれぞれの情報伝達経路を通って脳に伝わっていくんだけど、嗅覚だけは特殊で…記憶と感情を司る大脳に直接、情報が伝わって処理されるんだって。だから直結してる分、匂いは他の感覚よりも深く記憶に刻まれるし、匂い一つで過去の記憶を引き出すこともできるんだってさ。動物と同じで、人間の嗅覚は五感の中で一番本能的で鋭いらしいからね」
結局どの感覚も、最終的に記憶と感情を司る大脳辺縁系に到達する。その中で、大脳に密接に結びついている嗅覚は視覚よりも根強く記憶に残り、忘れにくいと解析されている。
「…匂いが記憶を呼び覚ます、かもしれないってことアルか?」
「そう、神楽ちゃんだってそーいう経験あるはずだよ。例えば僕の場合…夕暮れ時、家に帰る途中でさ、どこからか夕食の匂いが漂ってくるでしょ。その匂いを嗅ぐと小さい頃を思い出しちゃうんだよね…母上が作る料理の匂いに似てるなぁって」
「それ!私もあるアル!雨の日が続いてカビ臭くなると、ふと故郷を思い出してしまうネ」
少しだけ切なくなってしまう新八と神楽。心に思い浮かぶ情景は幼い頃…そこにある家族の姿。
「今まで気にしなかったけど、匂いで過去を思い出すことって結構あるよね…」
「そーアルな…私、おなか空いてきたヨ……」
沈黙…どんよりから抜け出せない。そこへ負のオーラを出す張本人がギギッと顔を横に向けてきた。
「つーかよォ…ヅラの匂いを覚えてるくせに、何で俺のフェロモンは覚えてねーんだよ、かたらのやつぅ…」
「あー…男の体臭ってあまり個性がないじゃないですか。だからですよ、きっと」
「銀ちゃんのフェロモンなんて加齢臭アル」
「……やめて傷つくから」
「やっぱり…好きな匂いとか、独特な匂いじゃないと強く記憶に残らないんじゃないですかね」
「それだったら、銀ちゃんの足の臭い嗅がせればいいネ。くさくて香ばしいから絶対思い出すアル」
「……香ばしいって何」
匂いが記憶想起のきっかけになるかもしれない…しかし、かたらに足の臭いを嗅がせる訳にもいかなかった。
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