数日後。
銀時はひとり、喫茶店にてかたらを待っていた。小さな店内の一番奥に座り、ブラインド越しに外を眺める。ぼんやりと、視界も思考も覚束ない。
会って話せと言われても、心の準備もままならない状態である。かたらが生きていた喜びと、記憶喪失で忘れられた悲しみと、その他諸々…何とも言えない複雑な心境だった。
とにかく、平常心を以って接しなければならない。ご所望とあらば過去を話すことになるのだ。
銀時は新八の言葉を思い出す…

『自分が恋人だった事実を話すつもりがないなら、せめて告白でも何でもして繋ぎとめてくださいよ?』

恋人だったんです。
そう素直に話したところで気まずくなるだけだ。かといって…僕と付き合ってください。友達から始めましょう…そんなガキ臭い交際をかたらに申し込むなんて…

『僕が思うに、土方さんとかたらさんの婚約はウソだと思うんです。前に沖田さんが否定してたような…』
『本当だったとしても奪えばいいアル!りゃつだく…アレ?りゃ、りゃく…略奪愛アルヨ!銀ちゃんん!』

もちろん、その真偽は確めたい。新八の思惑が当たればそれで良し、外れだったら神楽の言うように…

ちりりん…!

入り口の呼び鈴が鳴り、ハッとして銀時は顔を向けた。
後ろに束ね上げた夕色の髪を揺らし、かたらの視線も銀時をとらえる。瞳が交錯すると、かたらは口元に笑みを作り、銀時の席まで歩み寄ってきた。
午後三時、小休憩に屯所を抜け出したのだろう、かたらの姿は隊服で…

!?

銀時はその隊服姿に一瞬、目を見張ってしまった。
何故に下がスカートなのか?しかも短い。一体誰の趣味でこうなったのか?生足(フトモモ)が眩しすぎる。これが他の男の前に晒されるなんて…と、ムラムラ…悶々している場合ではなかった。

「やっぱり、坂田さんでしたか」
「!」

かたらはこの場所で待つ人物が誰なのかを知らされていないはず…だとしたら予想していたのか、それとも…

「俺のこと…何か思い出したのか…?」

かたらは向かいの席に腰を下ろすと、表情を曇らせる。

「ごめんなさい…何も思い出せないんです。ただ、ここで待ってる人が坂田さんかもしれない…そう思っただけで…」
「……そうか…」
「あの、…ずっと気になっていたんです。あなたのことが…」

え?それ、どーいう意味?…と、心の声で合いの手を入れる。

「わたしを見つめたときの…あなたの瞳が忘れられなくて…」

オイオイ、それって…俺に惚れちゃったの?もしかして一目惚れしちゃったの!?

「考えれば考えるほど……」

うんうん、考えれば?考えるほど??

「あ、あの…ごめんなさい。どんな言葉で言い表せばいいのか…」

かたらは恥ずかしそうに俯いて、小さな唇をきゅっと閉じる。

「………」

記憶を失くしても、変わらないものがあるのだと銀時は知った。
例えば、かたらの持つ雰囲気…霊媒師風に言うとオーラだが、全くもって昔と変わらないと思う。おっとりと品行方正な優等生っぽさはそのままだし、些細な仕草も昔と変わらない。
かたらはかたらのままだと、確認できたような気がして銀時はホッと息をついた。それを見てかたらが小首を傾げるので、思わず笑みを浮かべてしまう。

「?…あの、なにか…?」
「いや、……この間はうちのガキどもが世話になったな…あと、これも…」

銀時は話を切り替えて、懐から出したハンカチをかたらに渡す。花見のときに借りていたものだ。

「新八と神楽から、大体の話は聞いた」
「…坂田さん、あなたとわたしの関係は…」
「ちょっと待て。その前に証明させる必要があんだろ?俺がお前の過去を知る人物であるか否か、確認しねーの?」
「!……」
「少しは俺を疑ったらどーだ?記憶を捏造して、お前をいいように利用するかもしれねーだろ?男なんてみんな、裏で何考えてるか分からねーモンなんだよ」
「……坂田さんはそんな悪い人には見えません」

話の返し方まで昔と同じだった。懐かしさに胸が熱くなる。

「だからって信用するのか?あのな、もっと警戒心を持ちなさい。頼むから」

本来なら、かたらを組み敷いて説教という名の調教を施すところである。触れることすら出来ない今がもどかしくて堪らない。

「ふふ、坂田さんってお兄さんみたいですね。新八くんや神楽ちゃんに慕われるのも分かる気がします」

かたらの言葉に、銀時はふっと目元を緩ませる。

「…一応、お前の兄貴みたいなモンだったからな…俺は…」

思い出してほしい。
そのためなら何だってやる。どんな方法でも、可能性があるなら試したい。この手に掴み、抱いて、体を繋げて、自分の存在を認めさせたい…でも、無理に思い出させようとすれば、それがかたらの重荷、心の負担になってしまうだろう。
下手に手を出して、嫌われたら元も子もないのだ。記憶を取り戻せる確証があるならまだしも、万一戻らなかった場合、関係を作り直すどころではない。
つまり、本人が思い出さなければ意味がない…と、銀時は最終結論を出した。したがって、恋人だった事実は伏せておく。

「とりあえず、お前を知っている証拠を挙げる。俺を信用するのはその後にしろ、な?」
「…はい…」

かたらの目色が変わるのを見て、銀時も同じく真顔を向けた。

「記憶を失くしても、お前には『かたら』って名前が付いてる…当時は名前すら思い出せなかったはずだ」

かたらはゆっくりと頷く。

「何故、『かたら』になったのか?推理するまでもねーよ…お前が身に付けてたお守り袋…そいつに『かたら』って刺繍が施されてるからだ。…そーだろ?」
「!……はい…」
「河川敷で会ったとき、お前は一応『かたら』って名前だと言ってたな…教えてやるよ…『かたら』は…お前の本当の名前だ」
「っ………」

言葉に詰まり、かたらは内ポケットから何かを取り出した。手のひらにのったお守り袋…もう十年近く経っているせいか、かなり色褪せて見えた。そして銀時の言うとおり、裏側には『かたら』という縫い取り…

「忘れちまっただろーが、そのお守りはお前が自分で作ったモンなんだぜ」
「…そう、だったんですか…」

やはり、自分に関することは覚えていないようだ。

「あと、身体的な特徴を挙げるとだな…お前の背中には二本の傷痕がある。それと…腹の辺りにも傷があるはずだ…」

後に挙げた傷は目撃情報によるもので定かではない。けれど、かたらは大きく頷いて微笑みを作った。

「…これで、坂田さんがわたしの過去を知る人物だとわかりました。…あなたを信用します。わたしとの関係は…」
「仲間さ…大切な…」

嘘ではない。間違ってはいない。
兄妹である事実を曖昧にして、恋人という肩書きを取ってしまえば、大切な『仲間』という表現で合っている。

「仲間……わたしも、あなたと同じ攘夷志士だった、ってことですよね…」
「!…俺を調べたのか」
「ええ、少しだけ……お気を悪くされたのなら謝ります」
「謝る必要なんかねーよ…それだけ俺のことが気になってたワケだろ…」
「………」

かたらは口を噤む。何故、気になるのか…その理由を説明できないからだろう。潜在的な記憶、もしくは第六感によるものなら、過去の記憶は眠っているだけだと思われる。

「六年前の攘夷戦争終結後、…お前は天人の残党狩りに遭って死んだ…死んだと思っていた……だから花見で会ったとき、驚いちまって声も出なかった…」
「…様子が変だったのは私のせいでしたか…あの、驚かせてしまってごめんなさい」
「オイ、謝るなっての…ポカンと間抜け面してた俺が恥ずかしいだろーが…まぁー素直に言わせてもらうとだな……お前が生きててくれて…うれしいんだよ、俺は。たとえ…記憶喪失だろうとな…」

それは銀時の本心…銀時の言葉が、かたらの心に刺激を与えていく。

「……わたしはどうすれば…過去を思い出すことができるでしょうか…」

弱々しい口調だった。

「何度も催眠療法を試しました。それでも効果がなくて…鮮明に思い出せる記憶もなくて…自分が何者だったのか…どう生きてきたのか分からなくて…過去を思い出そうとすればするほど、苦しかった…」

忘れられた悲しみ、苦しいのは自分ばかりと銀時は考えていた。忘れてしまった者のつらさを知りもせず…

「だから、考えることをやめたんです。過去をあきらめて生きていけばいい、それで済むと思ってたのに…空しさが募るばかりで…」

かたらは記憶を失ってから、今までのうのうと生きてきた訳じゃない。得体の知れない過去に怯え、未来を見つめることもできなかったのだ…

「きっと、『わたし』という存在は記憶を取り戻さないかぎり…『わたし』にはなれないんです」

まるで半身を失ったかのように、不完全な現在をやり過ごす日々…

「わたしには…忘れてはいけない何かが…大切な何かが…あったはずです…それを思い出したいのに、過去を知りたいと思うのに、…怖いんです…っ」
「怖い…?」
「強く思い出そうとする度に、脳裏で矛盾が生じるんです。思い出してはいけない、と…」
「………」

矛盾…それはどういうことか?銀時にはわからない。
過去を思い出したくない気持ちが、かたらの潜在意識にあるのだろうか。死の恐怖を封じている?とれとも、銀兄との思い出を……後者だったら悲しすぎて泣いてしまう。

「…ごめんなさい、よくわからない話ですよね…」

言って、かたらはにこりと苦笑する。
銀時の素人目で見ても、かたらの記憶喪失はかなり複雑なものだと分かった。それでも、どうにかして解決に導きたい…

「矛盾があろーがなかろーが、過去を知りたきゃ俺が教えてやるよ…」
「!」
「かたら、お前に知る覚悟があるなら答える…お前が強く望むなら…」

共に過ごしてきたすべてを教えれば簡単だが、それで済む問題ではない。人に植え直された記憶で、かたらの心情が整理できるとも思えないし、満足されても困るのだ。
大事なことなので二回…どころか何回でも言いたい。本人が思い出さなければ意味がない…と。

「………」

かたらは俯き、テーブルに視線を向ける。カラン…とアイスティーの氷が音を立てて溶けた。

「やっぱ怖ェか……あのな、無理して知る必要もねーし、焦る必要もねーからな?急いては事を仕損ずるっつーだろ?記憶は逃げねェ…ちゃんとお前の中に眠ってる…まだ冬眠してんだよ、お前は」

相変わらず下手な言葉しか出てこなかったが、かたらは激励として受け取ったようだ。

「冬眠……そうですね、いつかきっと…春が来ますよね…」
「ああ…」

銀時はポンっとかたらの頭を撫でる(脳内妄想)夕色の髪…その感触を思い出し、手のひらが疼いた。

「でもっ、ひとつだけ訊きたいことがあるんです…!」

唐突にかたらが顔を上げるので、銀時の心臓が飛び跳ねた。

「っ……な、何を訊きてーんだ…?」
「わたしには恋人がいましたか?」

!?

ものすごく重要なことをサラリと訊かれ、銀時は言葉に詰まった。銀時にとっては核心を突かれたも同然である。

「…恋人がいたとして、どーすんだ?」

動揺を隠すのに気を取られ、質問を質問で返してしまった。

「………」

かたらはきゅっと口を結ぶ。

「恋人がいたとして、…お前は会いたいと思うか?」

こんな台詞を言いたい訳じゃないのに、勝手に口から滑り落ちてしまう…

「会ったとして、お前はそいつを受け入れることができるか?」
「……」
「できねーだろ?」
「……わかりません」
「できねーんだよ、お前が思い出さねー限りな」
「…会えば思い出すかもしれません。だって…恋人は…特別な存在でしょう?」

ブチッ…銀時の中の何かが切れた。しかし、激昂する前に血の気が引き冷静になる。ただ悲しくて、やるせなかった。

「確かに、…お前には恋人がいた…」

ありのまま、すべてを伝えられたら…どんなにいいだろうか。今、目の前にいる男が恋人という事実。恋人が特別な存在ならば、今すぐ思い出してほしい…

「そいつはなァ…お前の死をきっかけに…どこかへ消えちまったんだ…」
「っ……」
「今はどこで何やってんのかも分からねェ…見当もつかねーよ…」
「そうですか…」

悲しい嘘を吐く。
そして、苦し紛れに真実を…

「…そいつはお前を誰よりも愛してた…何よりも大切にしてた…結婚の約束もしてたんだ…」
「!」
「お前の持ってるお守り、相手も同じモンを持ってる……婚約お守りとか言ってたな」
「婚約お守り…」
「覚悟があるなら、そのお守り袋を開けてみろ。中に入ってる縁結びの護符に相手の名前が書いてある、らしいぜ?ま、古ィーから文字なんぞ消えてるかもしんねーけど」

六年前かたらを失ったとき、銀時は一度だけお守りの中を開けたことがある。そのときでさえ、護符の文字は薄れていたのだ。今ではもう消えているかもしれない。

「…お守りって開けたら御利益が逃げてしまうんですよ?というか、恋人の名前くらい…自力で思い出さなきゃだめですよね…」
「………」
「坂田さん…」

かたらの真剣な眼差しが銀時をとらえる。

「あの、…坂田さんにお願いがあるんです」
「……?」
「わたしが記憶を取り戻すまで…付き合ってほしいんです」
「!」

付き合ってほしい…とは、そっちの意味でもなく、アッチの意味でもない。見守るとか、見届けるの類だろう。

「友達として…わたしと付き合ってくれませんか…?」

残念ながら男女交際の申し込みじゃない。…銀時はフッと息をついた。

「…昔のよしみ、ってやつだ。断りゃしねーさ」
「!…ありがとうございます…っ」
「まーその代わり、……条件がある」

気持ちを切り替えてニヤリと笑って見せる。案の定、かたらは「?」と小首を傾げた。


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