久遠の一瞬


花見の翌夜。
仕事も終わり、かたらは風呂場に向かうべく自室を出た。

「葉月かたら、落とし前つけてもらおーかィ」

襖障子を開けて目の前に立ち塞がっていたのは沖田総悟だった。かたらは別段驚きもせず、小首を傾げる。

「落とし前…ですか?」
「お前は俺が酔っ払って何も覚えちゃいねェと踏んでるみてーだが、こちとらしっかり記憶してんでィ」

寝技をかけ、気絶させたことを言っているのだ。

「わたしもしっかり覚えています。原因は沖田隊長の…」
「御託はいーからついて来な」

沖田はかたらから風呂道具やら着替えが入ったカゴを奪って歩き出した。



パチリと道場の明かりが点いて、渡されたのは竹刀。

「夜稽古でもつけてくれるんですか?」
「俺と勝負しろィ」
「…手合わせ、ですか…沖田隊長とは初めてになりますね」

かたらは隊服のジャケットとベストを脱いでいく。

「お前がそこらの隊士より強ェーのは知ってる…そーいや、土方さんとはヤッたのかィ?」
「いえ、まだ…」

スカーフを解き、ニーソックスも脱ぐ。道場では裸足が基本である。先に手合わせだと言ってくれれば、稽古着の袴に着替えたのに…
もちろん、沖田はしっかりちゃっかりと稽古着を身につけている。それに対して、かたらはブラウスとプリーツスカートというあられもない格好になってしまった。

「んじゃ、俺が初物を頂戴しまさァ」
「それでは、わたしも…」

沖田が竹刀を中段に構えた。かたらも同じく中段に構える。真剣勝負かどうかは訊かなくても、その場の空気を読めばいい。

し…ん

道場内が静まり返る。
空気の揺れ、自分の呼吸、相手の呼吸。研ぎ澄まされた感覚が体を支配していく。
すうっと竹刀の切先が動いた。ふたり同時に…

バシィッ!

構えが変わった瞬間には交わっていた。
剣に重みはなくとも、素早く鋭い攻撃が続き、先に切先を入れたのは沖田だった。

ドシィッ

沖田の繰り出した突きがかたらの脇腹に当たり掠める。

「ひとつ取りィ」
「……っ」

かたらは間合いを取ると見せかけ、下段から斜めに払い上げた。

シュンッ

沖田が避けたところを踏み込んで、次は払い下ろす。
それも避けられた。

かたらは嬉しさに胸を躍らせた。それなりに本気で打ち込んでいるのに、相手はまだ余裕を見せている。
これは夢中にならざるおえない。

「…やけに楽しそうじゃねーかィ」
「楽しいですよ…すごくっ」

バシッ!

かたらにとって何かに夢中になれることは救いでもあった。自分の存在が、ただそれだけのために生きているような錯覚を引き起こしてくれるからだ。
忘れてしまった過去も、夢見ただろう未来も関係ない。今という久遠の一瞬に生を感じて…

そんな一瞬が少しでも長く続いてほしい。願っても、人間の持久力には限界があった。



「俺の勝ちィ、っと。……さーて、どう料理してくれよーか」
「あの、…沖田隊長…重いし、…暑苦しいんですけど…」

沖田に組み敷かれているかたら。最後に重い一撃を受け、そのまま押し倒されてしまった。これでは花見のときと同じ状態である。

「なー…もしかして、お前って欲求不満?」
「え…?」
「スゲー色っぽい顔してんだけど…」
「ち、違いますよ…っ、久しぶりに激しく動いたんで…息があがっちゃって…」

まだ呼吸が整わない。けして、性的欲求不満からくるハァハァではない。

「人工呼吸でもしてやろーかィ?」
「結構ですっ…それより、負けたら何かしなきゃいけない約束なんて…してないですよ?」
「なーに言ってやがんでィ…負けたら相手の言うことを聞く。理の当然ってやつでさァ」
「知ってます?それ、パワーハラスメントって言うんです」
「知らねーのかィ?こりゃあ、ジャイアニズムって言うんでィ」

『………』

しばらくの沈黙を破り、沖田の手が動いた。そっと手のひらでかたらの頬に触れ…唇を…

「そこまでだ、総悟」

言い放つ声…道場の戸口に立っていたのは土方十四郎だった。風呂上りだろう着流し姿である。

「チッ…邪魔が入りやがった」

沖田は大人しくかたらから身を引いて、ふたり揃って立ち上がり服の乱れを直す。

「葉月、さっさと風呂へ行け。札ァかけっぱなしになってんだ…他の隊士の迷惑になんだろーが」

土方の言う『札』とは、屯所の風呂をかたらが利用するときのみ、入り口にかかげる札のことだ。つまり、『かたら使用中』の知らせであって、この札を出したら三十分で湯浴みを済ませなければならない。

「はいっ、申し訳ありません。…それでは、失礼させていただきます」

かたらは脱いだ上着やらをカゴにのせ、土方の助け船に感謝しつつ、一礼して道場を出ていった。



「どうだった?」

沖田とふたりきりになって土方が尋ねる。

「何がですかィ?」
「……葉月の腕前」

そこそこ強い隊士をいとも簡単に倒す強さは知っている。剣術訓練の手合いで見ているからだ。訊きたいのは真選組内で一、二を争う腕前を持つ一番隊隊長・沖田総悟の所感である。

「…気になるなら土方さんも手合わせしてやったらどーですかィ?あいつ、きっと喜びますぜ」
「喜ぶ?」
「誰だって自分より強い相手がいりゃ心踊るモンでさァ。でも…あいつは…刀を交えるのが好きってワケじゃあなさそーですぜ…」
「……?」
「ただ…無我夢中になりてェだけなのかも知りやせん」
「………」
「ま、土方さんも手合わせすりゃあ分かりまさァ」

バシンッ

沖田は黙然とする土方の腰をたたいて道場を後にした。





かたらが風呂場から戻ると、自室前の縁側柱に寄りかかり、煙草をふかしている土方がいた。

「土方副長、先程はありがとうございました」

礼に対して土方は小さく頷く。それから…

「…オイ…なんだその…、お前はもうちっと…アレだ、アレ…貞操を守れねーのか?」

なんだか奥歯に物が挟まったような口振りである。

「貞操……そんな言い方をされると、まるで副長とわたしが夫婦みたいじゃないですか」
「は?べつにンなこと言ってねーよ、俺ァただ…」
「ただ……なんです?」
「………っ」

土方が口ごもるので、かたらはずいっと近づいて瞳をぶつけた。

「あの…副長…ちょっといいですか?…動かないで下さい」

かたらは腕を伸ばし、土方の腰に手を回す。

「なっ、何を…」
「……替えの下着がないと思ったら、こんなところにありました」
「っ!?」

かたらが手に取った物は白くてふわっとした布のかたまり…どう見ても女性用パンツである。もちろんかたらの私物で、それが土方の腰帯に挟んであったわけで…

「沖田隊長の仕業ですね」
「!…あのときか…っ」

道場での別れ際、腰をたたいたのはパンツを仕込むためだったのだ。

「あんのガキィ…、一体どーいうつもりで…っ!」
「副長、大丈夫ですよ?使用済みじゃないので安心してください。ちゃんと洗濯してあるし、キレイですっ」

ぐっとパンツを握りしめるかたら。

「…イヤ問題そこじゃねェ」

段々とかたらの天然ボケが心配になってきて、土方は溜息とともに紫煙を吐き出した。


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