煙管を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。静寂な海、夜明け前の瑠璃色にそっと紫煙を燻らせ、高杉は船首の縁に凭れていた。視線の先には水平線、空と海が繋がるところ…程なくして辺りは次第に白んでいく。もうすぐ日が昇る…どれほど遠くともその存在は確かなもので、手を伸ばしても決して掴むことはできない。朝も夕も美しい色彩を造る太陽に憧れを抱くのか、何を感じるか、誰を想うのかさえ…どうでもいいことだ。何も考える必要はない…

「!………」

だが、この眼が捉えたものは…

「朝日…いや、夕日と譬えるべきか……」

そう、夕日色の髪の女だった。買い出しの船が無事に戻ったのはいいが、どうやら一悶着あったらしい…高杉は煙管の灰を落として懐へ仕舞った。

対する夕日色の髪の女…かたらは高杉を見てぞくりと体を震わせた。本人を目の当たりにして何かが沸き立つような、表現し難い感情が抑えきれずに心の奥底から放たれる。それは怒りにも似た…

「…少しの間、お借りします」

言ってかたらは武市の腰から刀を抜き、高杉目掛けて走り出した。

「え?ちょっ…かたら姐さんんんんっ!?」
「ほらご覧なさい!やはり彼女は最初から晋助殿の命を狙っていたのです!!」
「そんな…そんなワケ…っ…」

キィン…!!振り上げたかたらの刃を高杉の刀が弾き返す。そのまま数度火花を散らして互いの刃が交わり止まった。

「死にに来たか…それとも俺の首を取りに来たか」
「昔の約束…忘れたの?再会したときには手合わせを…」
「!…お前…」

高杉の右目が見開かれ、かたらは一旦間合いを取って離れた。

「思い出したよ……何もかも…」

大切な思い出も、辛い出来事も…もう二度と、忘れたままでいたかったとは思わない。記憶のすべてを心に刻んで未来へと生きるために。

「私は生きてる…記憶はここに生きてる……私はあなたのまぼろしなんかじゃない、ましてや亡霊でもない…私は今ここに存在している…それを証明したかった」
「クク…其れ程まで俺の戯言を根に持っていたか」

かたらは視線を逸らさずに刀を構えた。

「高杉晋助、私にはあなたのほうこそ亡霊に見える…いえ、まるで死神のよう…」
「死神か…そう呼ばれるのも存外悪かねェ…」

ふたり引き寄せられるように刀を振るい、再び摩擦音が鳴り響く。また子と武市はそれを傍観することしかできなかった。

「武市先輩、何なんスかコレ…まさか本気で斬り合ってるワケじゃないっスよねコレェ…っ!?」
「本気かどうかと訊かれましても…私の目には夜叉姫が真剣に勝負を挑んでいるようにしか見えません。対して晋助殿は……心做しか楽しそうに見えなくもない」
「でも…っ…」
「また子さん、心配せずともすぐに終わりますよ。晋助殿の剣術に敵う者などおりません」
「っ……」

また子が心配しているのはかたらである。かたらのどことなく思い詰めたような瞳が儚さを醸し出す…どうかこの再会が悪いほうへ向かわぬようにと祈るばかりだ。
ふたりの戦いをハラハラと見守るまた子と武市…その背後に音も気配もなく、ある男が立っていた。

「フーン…あの女、結構強いんだ」

男が声を発して、その存在にやっと気づく。

「なっ!?…何でアンタがここにいるんスかァァァ!?」

腕に抱えた麻袋から林檎を取り出して頬張る男…鬼兵隊と同盟を結ぶ宇宙海賊春雨・第七師団団長の神威である。

「何でって…ムグ…小腹が減って目が覚めたら丁度買い出し船が帰ってきたところでさ…ングッ…食料もらってたらアンタらが甲板に行くのが見えて…暇だったからつい…んん、やっぱり地球産の果物は格別だね」

呑気な笑顔にサーモンピンクの長髪を後ろで三つ編みにしているが前髪は寝癖がついた状態だ。

「これは神威殿、申し訳ありませんがご覧の通り今は取り込み中でして…」
「気にしないでいいよ。俺も最初から見てるし、シンスケの邪魔はしない…でもさ、あの女…誰?もしかしてシンスケの…」
「アンタには関係ないっス!内輪に首突っ込まないでもらいたいっス!!」
「また子さん、客人に対して失礼な物言いはいけませんよ。神威殿、彼女は晋助殿の幼馴染だということは確かですが、それ以上の事柄は憶測になってしまうため差し控えさせていただきたい」

また子は横目で武市と神威をにらんで視線を戻す。いくら大事な客人といえど暇だからと会合を終えても居座り、本船の食料庫をすっからかんにした奴を丁重に持て成す気にはなれない。それに得体の知れぬ胡散臭い笑顔が仮面のようで苦手だった。

「そっか、シンスケの幼馴染なんだ…ってコトはあのサムライ…白夜叉だっけ?とも知り合いなの??」
「知り合いも何も…彼女は白夜叉の妹分だそうで、故に夜叉姫などと愛称で呼ばれています」
「夜叉姫、ね…」

神威はぺろりと口周りを舐めて続けた。

「何ていうか、勿体無い勝負だよね。ほんの僅かだけど動きにズレがある。ま、それも仕方ないか…あの刀は自分の得物じゃないし、本来の力が出せなくても…それでも、あのしなやかな体と技のセンスがあるからシンスケと渡り合えるワケだし、地球人の女にしては資質に恵まれてるんじゃないかな」
「攘夷戦争時代、晋助殿と共に死線を潜り抜けてきた女性ですからねェ…それなりに強い筈ですが、まだまだ晋助殿の足元にも及びま…」

ザッと幾らかの紫黒の髪が切り離され宙に舞う。かたらの切先が高杉の首を掠めたのだ。

「オイ…何、ムキになってんだ」

言って刃を払い除けても、かたらの攻撃は止まらない。

「っ、あなたが失礼だからでしょ…!」
「失礼はどっちだか」
「うるさいっ…私を止めたいなら本気を見せたら?」

かたらは本気で戦っていた。それこそ高杉を殺すつもりで、そんな意気込みがなければ遣り切れなかった。敵わないと知りながら勝負を挑んでいる、そんな弱気な自分に負けたくなかった。
かたらの気持ちを見抜いてか、高杉はフッと鼻で笑う。

「それもそうだ…生憎、俺も暇じゃあねェ」
「っ…!!」

急に重くなった攻撃に刀が鈍い悲鳴を上げた。相手の刃がまるで命を刈り取る死神の鎌のように見え、恐怖を招く。かたらは必死に食い止めるがそれも長くは続かなかった。高杉は体勢を崩した隙を見逃さず、切先をかたらの心臓目掛けて突き出した。

「っ、ぐ…っ!!」

その衝撃でかたらの体が数メートル先に飛ぶ。

「ああっ、そんな……っかたら姐さん……姐さんんんん…っ!!」

倒れたかたらにまた子は声を荒げて駆け出す。まさか高杉がそこまで…かたらの命を奪うとは思わなかった。

「そんな心配することないのに」

のんびりと言う神威に、武市はぴくりとも動かないかたらに視線を向けた。この目には確かに心臓を一突きしたようにしか見えなかったが…

「あの女、すんでのところで防いだね。ホラよく見てよ、アンタの刀が真っ二つに折れてるだろ?」
「…どうやらそのようですねェ…それにしても晋助殿は夜叉姫を殺すつもりだったのでしょうか」
「さあ?案外、あの女が防ぐのを見越してたのかもしれないよ」

駆け寄ったまた子がかたらを抱き起こすと、かたらは苦しげに咳き込んだ。

「姐さん!生きててよかった…っ……大丈夫っスか?どこか切れてるんじゃ…」
「っ、だい…じょうぶ……それより…」

高杉の足元が視界に入っても、かたらは顔を上げることができなかった。そんな状態のかたらを支えつつ、また子は高杉の顔色を見る。

「目障りだ…こいつを何処かに閉じ込めておけ」
「!…晋助様、どこに…」
「何処でもいい、好きにしろ」

そう言い放ち高杉が去っていく。その背中を見つめてかたらはそっと囁いた。

「…晋助……」

心の奥で何かが蠢いている…無自覚に抑え込まれた感情、それが何なのか…かたらはまだ気づかない。きっとそう、気づいたときには何もかも手遅れになるのだろう。


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