日付が変わる少し前、僅かな物音がした。
かたらは閉じていた目を開き、暗がりの中、その音の先へと視線を向ける。ギシ、ギシ、と板敷を鳴らし近づいてくる誰かは居間に入るなりパチリと室内灯を点けた。突然の眩しさに目がくらみつつ目を凝らすと…

「!?…かたら…お前、何故ここに…っ…??」

そこに桂小太郎がいた。もちろん、ここは桂の隠れ家だから桂が帰ってくるのは至極当然であり、桂からすれば帰宅したら部屋の隅に蹲る女がいてさぞかしホラーだっただろう。

「ごめんね小太郎、勝手に入っちゃって……私、どうしたらいいのか分からなくて…っ…」

桂の姿を見て、ぶわっと涙が溢れ出す。弱音を吐くつもりはなかったが、昔馴染みの顔に安堵したのか急に甘えたくなってしまった。桂はかたらの傍に膝を突き、そっと肩に手を乗せる。

「一体何があった?…と今直ぐにでも訊きたいところだが、少しやつれたお前が心配だ。その顔色からして睡眠不足、食事もまともに取っていないと見える」
「うん……小太郎、お腹空いた…」
「そうか…俺も丁度腹が減っていてな、夜食でも作ろうとここへ寄ったのだ。かたら、暫し待っていろ」

そう言って台所に入ると手際よく調理を済ませ戻ってきた。
桂は盆に載った二つの丼鉢を卓に移しかたらの手前に割り箸を置く。ほわほわと湯気が立ちのぼり出汁のいい香りが嗅覚をくすぐって、かたらは器を覗き込んだ。中身は山菜がたっぷり入ったうどんで、その間違いなく美味しいであろう見た目に、久しぶりに食欲が湧き「いただきます」と遠慮なく箸をつけた。

「うん、美味しい…」
「たまにはうどんもいいだろう…そう思ってな」
「小太郎は蕎麦派だもんね」
「お前はうどん派であったな」

そんな会話に過去を思い出し、かたらは自然と笑った。

「昔、昼食をうどんにするか蕎麦にするかで小太郎と揉めたことがあったよね…多数決で決めようとしたら晋助はどっちでもいい同じ麺類だとか言って選んでくれなくて…銀兄はうどんも蕎麦も年寄り臭い、ラーメンにしろとか言い出すし…それで結局…」
「素麺にした…俺もよく覚えているぞ」
「そうそう、間を取って素麺にしたんだよね…そしたら、晋助と銀兄がうどんと蕎麦の間が素麺なわけないとか文句言って…」

とてもとても懐かしい記憶、過ぎ去った日々が脳裏によみがえる。

「…楽しかったなぁ…あの頃……」
「…そうだな……」

何だかしんみりとして、うどんを啜る音だけが響き続けた。そして粗方食べ終わった頃に桂がハッと驚きの表情を見せた。

「!!…かたら、お前……記憶が戻ったのか…!?」
「うん、色々あって…やっと過去を思い出せた……でもね、記憶が戻ったことはまだ銀兄に話してないよ」
「何故銀時に言わぬのだ?」
「それは……記憶を無くしてた間、本当に色々あってね…まだ気持ちの整理がついてないのもあるし…これから先のこともよく考えたいから…今はまだ銀兄に黙っておこうかなって」

桂は複雑な顔で小さく息を吐く。

「まったく、お前というやつは……銀時を後回しにすると厄介だぞ?」
「それはわかってる…わかってるんだけど、今はまだ銀兄に会いたくないの…合わせる顔がないというか…」
「何か事情があることは分かった…だが今日はここまでにしておこう。寝不足であっては思考も纏まらぬであろうからな」
「…そうだね」
「かたら、風呂を沸かしておいたが…入るか?」
「いいの?」
「ああ、さっぱりしてから寝るといい」
「っ…ありがとう、小太郎!」

食事も風呂もいただき、寝間着も与えられ、客間に布団まで敷いてもらって正に至れり尽くせりだった。もう日付は変わってしまったけれど、幸せな誕生日だったと心から思えた。土方にも、銀時にも、桂にまでも迷惑をかけたのに…それでも皆が優しくて、優しすぎて泣きたくなってくる。

「かたら…」

かたらが涙をごまかそうと布団に潜ったところで、襖の向こうから声がかかった。

「日を跨いでしまったが……誕生日おめでとう。お前の記憶が戻って俺はものすごく嬉しいぞ」
「うん…小太郎、ありがとう…」
「ではまた朝にな」
「…おやすみなさい……」





十月八日、かたらは桂の隠れ家にて朝を迎えた。
洗面台で顔を洗い鏡を見れば昨日より幾分マシな顔色になったものの、まだまだ本調子には程遠い。いつまでも悩んでいては精神衛生上よくないし、ここは気持ちを切り替えるべきだと鏡の中の己に言い聞かせる。先ずは健康管理を徹底すること…よく食べ、よく寝て、鈍った体も調整して…心身新たに、これからの未来に臨めばいいのだ。

「小太郎……長くなるけど私の話、聞いてくれる…?」
「無論、どれほど長かろうと最後まで聞こう。ゆっくりでいい、お前のペースで話すといい」

朝食後、かたらは思い出した全てを包み隠さず桂に話した。
回収班の仲間のこと、天人の攘夷残党狩りに襲われたときの状況。瀕死の状態で崖から川へ落ち、流された先で幕府医官・葉月陽治に命を救われたこと。そのとき自分が銀時の子を妊娠していたこと、そして流産したことも…

記憶喪失の原因が命の恩人であり後に義父となった葉月陽治の暗示療法だったこと。そうとは知らず義父を慕い、同じ医師の道を目指していたこと。見習い医師として幕府要人に付き添い京に滞在していたとき、過激派攘夷浪士の襲撃に遭い義父を亡くしたこと。それから警察庁長官・松平片栗虎に拾われ、最終的に真選組へ行き着いたこと。

真選組に入り、過去の記憶がないまま銀時と再会し、いつの間にか銀時に惹かれ慕うようになったこと。吉原の遊郭に攫われ、自分の過去の一部が明らかになったこと。将軍に仕える旗本の生まれであり、先代将軍・徳川定々の策略によって一族を屠られたこと。両親に連れられ山陽地方の港町に逃れたこと、生き別れた叔母・夕霧のことも話した。

顔が叔母と瓜二つだったために幼い頃から纏わりついた悪漢たち、湊屋との因縁を銀時が断ち切ってくれたこと。救出されてから銀時と付き合うまでに至る己の葛藤や、失った過去を振り切るつもりで昔の恋人だと勘違いしていた高杉晋助に会ったこと。高杉の口から銀時と自分の関係、その真実を聞いたこと。

もう迷わずに、たとえ過去を思い出せなくても銀時に尽くし添い遂げようと決意して、恋人という関係に落ち着いたのがここ数ヶ月。そうこうしているうちに仕事に追われ、幕府要人暗殺という不穏な事態の最中、義父の暗示が解けたこと。記憶が戻り困惑したこと、今いるこの隠れ家に来る前の出来事や自分の心境も正直に話した。

桂は時折相槌を打ち、最後まで真剣に聞いてくれた。こうやって全てを話せる相手がいること自体が幸運で、かたらは桂の存在に感謝する。本当に、昔も今も助けてもらってばかりだ。

「銀時に合わせる顔がないと…お前は言っていたな」
「私にとって銀兄の子を流産したことが…すごくつらかったんだよね…」
「………」
「そうなったのは自分のせいだって、ずっと思ってた……けど、今は違うよ。仕方がなかったんだって、どうにもできないこともあるんだって…そう思えるようになった。…でもね、この事実を銀兄に話す…そう考えただけで怖くなる…」

話したくなけりゃ話さなくたっていい…土方はそう言っていたが、きっと隠すことはできないだろう。

「かたら、銀時がお前を責めると思うか?」
「ううん、銀兄は私を責めない…そうわかってるのに、決心がつかないのは何でだろうね…」

答えは見えているのに、それでも迷い続ける心。

「それはまだ…お前が悔やんでいるからだろう」
「??」
「お前は割り切ったつもりでも、其の実割り切れていない…未だ自分を責め続け、銀時の子を亡くしたことを悔やんでいるのだ……かたら、このままお前はずっとひとりで悔やみ続けるつもりか?」
「!……っ…」

桂の台詞に息を呑む。

「いいか、これはお前ひとりの問題ではないぞ。銀時に話さねば何も解決するまい…悩むなら銀時と共に悩め、悔やむなら共に悔やめ…それが夫婦というものではないか?」

夫婦、その言葉がストンと胸に届いた。釈然としなかった感情が、まるで憑き物が落ちたように消え去って、かたらは顔を歪ませた。

「っ……そうだね…そうだよね、話さなきゃ何も始まらないし…解決できないよね…」
「何もお前ひとりで背負い込むことはないのだぞ」
「うん、ありがとう小太郎……私、小太郎に打ち明けて本当によかった…気持ちが軽くなって、楽になったみたい…!」

嬉しくてつい口元が綻ぶと、桂も同じく微笑んで…何だか昔に戻ったような感覚に包まれた。桂とはよくこうやって微笑みを返し合っていた。

「やっと懐かしい笑顔に会えたな…俺はお前が自然に笑ったときの笑顔が一番好きだ」
「私も同じ、小太郎の笑顔が好き…すっごく可愛くて大好きだよ」
「可愛いなどと…この年でそう言われては威厳も何もないではないか。ならばいっそヒゲでも生やしてみるか…」
「小太郎はヒゲ全然伸びないでしょ、それに絶対似合わないと思う!お母さんは許しません!ダメ!ゼッタイっ!!」

いつまでも可愛い小太郎でいてほしい…そんな願望があってつい力説してしまう。

「どこぞのキャッチフレーズみたく反対するな。どうせ俺にヒゲは生えん…それよりお前はこれからどうするのだ?」
「とりあえずどこか部屋を借りてから…自分のこれからのこと、じっくり考えようかなって思ってる…」

着の身着のまま出てきたようなものだから、部屋を探したら入用なものを買い揃えなければならなかった。一度屯所に戻るのも何だか決まりが悪くて気が引ける。

「とにかく、今日中に部屋を探さなきゃ…」
「かたら…暫くここでのんびり過ごし、英気を養ってはどうだ?この辺りは静かで人気も少ない、思索にふけるには丁度いいだろう。俺やエリザベスが時々顔を出すのが嫌でなかったらの話だがな」
「いいの?私、ここにいても…いい?」
「勿論だ、好きに使うといい」
「っ…ありがとう、小太郎…!」

そんなこんなでかたらは桂の隠れ家に逗留することになった。


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