「よかった、かたらさん…目が覚めて本当によかった…!」

朝礼を終え我先にとかたらの部屋へ向かった山崎はいつものように縁側に座るかたらを見て、涙で顔を歪ませた。

「おはようございます、山崎さん」

いつものように微笑むかたらに安堵して膝を突く。そして、かたらが手に持つ黄水仙の造花に気づいた。

「っ、ごめん…俺のせいで…このまま目が覚めなかったらどうしようって…」
「山崎さんのせいじゃないです。この花と、花言葉のおかげで私は記憶を取り戻せたんです。山崎さんが花言葉を教えてくれたから…暗示が解けたんですよ。だから、謝る必要はありません」
「っ…かたらさん…!」
「あなたのおかげで私は私を取り戻せた……山崎さん、ありがとう。いつも私を気遣ってくれて…本当に感謝しています」

姿勢を正し、かたらは山崎に頭を下げた。その律儀で丁寧な動作にどこか違和感を覚え、山崎は何とも言いようのない焦りと不安に襲われる。

「そんな…かたらさん、俺は…」
「やーっと目が覚めやがったかィ、眠り姫」

急に割り込んできた背後の声に振り向けば、そこに沖田隊長の姿があった。

「かたらちゃん、体は大丈夫!?無理しないで今はゆっくり休んでいいからね!!」

沖田だけでなく局長の近藤も、他の隊士たちまでもわらわらと集まって狭い廊下を埋め尽くしている。

「沖田隊長、近藤局長…皆さんも……ご心配をおかけしました、私はもう大丈夫です!」

ほらこの通り、と満面の笑みを浮かべるかたらに隊士たちもほっと一安心。早く元気になって下さい、また一緒に稽古しましょう、手合わせお願いします、と口々に励ましの言葉をかけていく。
かたらはハッとして、こんな光景を見たことがあると思い出した。攘夷時代、銀時を庇って負傷し、治療に専念していたときのこと…回復運動も兼ねて寺院の境内を散歩すると沢山の仲間が声をかけてくれた。今、この時と同じように…

「皆さん…ありがとう…!!」

記憶喪失でも、元攘夷浪士でも、幕府から重追放された一族の生き残りでも、きっとどんな境遇であろうと関係ないのだろう。真選組の皆は仲間として受け入れてくれた。認めてくれた。一度結んでしまったら簡単に解けない止め結びのような固い絆がここにあって、このまま築いた関係がずっと続いていくのではないか…そんな風に思えた。

「オイてめーら、いつまでも油売ってねーでさっさと持ち場につきやがれ!仕事だ仕事!仕事しろ!!」

鬼の副長の怒声に隊士たちが文句を言いつつ去ると、辺りは再び朝の静寂に包まれた。残った者は土方、近藤、沖田の三人だ。

「かたらちゃん、記憶が戻ったなら……君はもう自由になるべきだ」
「!…局長……」
「とっつぁんがさ、記憶が戻ったら本人の好きなようにさせてやれって言ってた……そりゃそうだよね、かたらちゃんだって年頃の娘さんだ。いつまでもこんな男臭いところにいるべきじゃない、君には帰る場所があるんだから……ホラ、君を待ってる奴がいるでしょ?」

ニッと笑う近藤の少し寂しげな瞳。束縛を解き、そっと背中を押す台詞。かたらが迷わぬように、真っ直ぐ帰れるように…

「ったく、近藤さんは人が良すぎまさァ…葉月、別にここにいたって構わねーぜィ。今更紅一点が抜けたら野郎共の士気がだだ下がりになっちまう…それにあっちよりこっちのほうが俸給安定してんの確実だし、ボーナスも出るし〜」
「よしなさい総悟、俺だって引き止めたい気持ちはある。けど、これはかたらちゃんが決めることだ」

近藤の真面目な顔付きに一瞬息が詰まってかたらの唇が震えた。

「っ…私は……」
「何も今急かすことねーだろ、近藤さん。まだ葉月は調子が悪ィんだ、今後のことはゆっくり考えさせてやってくれ」

土方が柱に寄りかかったままに言う。

「…そうだな、トシの言う通りだ。かたらちゃん、気持ちが決まったら報告に来てくれ。どんな決断だろうと俺は…俺だけじゃない真選組一同、君を応援するから」
「局長……ありがとうございます…!!」

誰もが抱く別れの予感…それでも繋がっていたいと口に出せない願いがある。近藤たちも、かたらも、同じ思いだった。





「どこに行く?葉月」

背後からの声…かたらは振り向けずに固まった。午後を過ぎた頃、屯所を抜け出すつもりで身支度を整え自室を後にして、建物の裏手に回り白壁を越えようとしたところで副長に見つかった。

「どこに行くかって訊いてんだ」
「っ………」
「別に咎めようとは思っちゃいねェ…ただ、…心配なだけだ」

今一人にさせる訳にはいかないと、土方はかたらの背に歩み寄る。

「…行かせてください、副長……どうしても行かなければならない場所が…あるんです」
「アイツのところなら俺が送って…」
「違います、私の義父が…葉月陽治が遺した診療所に…行きたいんです」
「!……そうか…」

その場所に行く理由は分からないし、尋ねるつもりもない…ただ、かたらの傍にいたかった。離れたくなかった。

「…なら俺も一緒に行く。お前を一人にはさせねェ」

土方は素直に願望を口にした。何れ来る別れなら少しでも長く一緒にいたいと、そんな本音を心底に押し込める。そして、ここでかたらを見送って二度と戻らなかったらと、そんな不安もあった。

「でも、……っ…」
「まだ約束は解消してねェ筈だ。俺にはお前を見守る権利ってモンがある」
「それは……副長命令ですか…?」

一つに結われた夕色の髪が小さく揺れた。女袴の後姿はいつもの隊服と違い、どこか儚げな風情を醸し出している。

「ああ、そうだ」
「…ならとても…逆らえませんね」
「お前はまだ副長補佐だろ?」
「…そうでした、すっかり忘れていました」

言って振り向いたかたらの口元は笑みの形だ。

「オイ、無理して笑うな…お前はお前のありのままでいい…お互い今まで散々恥ずかしい姿見せ合ってきた仲だ、今更俺の前で繕う必要もねーよ」
「…副長はやっぱり優しいですね……優しすぎるんです…」
「甘やかすなって、また言うか?それともお節介だ、放っておけとでも?」

かたらは目を伏せ「いえ…」と答えた。

「ひとりになりたいと、そう思うのに…ひとりになりたくないとも思う…それはきっと受け入れがたい事実を思い出してしまったから……副長、私と一緒に来てもらえますか」





辿り着いた場所、目の前に広がる風景…診療所の裏手にあったのは墓だった。竹林を背に墓石が数基と塔婆が立ち、少し離れた隅に一つだけ小さな地蔵が祀られていた。その地蔵尊こそがかたらの言う受け入れがたい事実を示す…土方はここに来て初めてかたら本人の口から全てを聞いた。

「あんなに記憶を取り戻したいと強く願っていたのに…思い出さなければよかったって、そう思う私がいるんです…」

この場所に我が子が眠ることも知らずに、何も知らないままに生きてきたことに、思い出したこれから先の未来さえ虚無感に包まれているようだった。

「…思い出さなけりゃこうして供養にも来れなかっただろ」

木洩れ陽がやわらかな夕色に変化していく。墓前に添えた菊花も、跪くかたらの背中も…この裏庭一帯だけでなく世界が夕色に染まりつつある。

「そう…ですね……私のせいで亡くしてしまった小さな命だから…」
「…お前のせいじゃねェ」
「それでも、自分を責めずにはいられないんです…」
「なら義父を恨めよ…お前を看病してた奴も同罪だ、それにお前の記憶を封じた張本人だろ?」
「そんな…義父を恨む気持ちは一切ありません」
「だったら、義父を許すってんなら自分も許してやれよ。そもそも自分を許せねェ奴が、本心から他人を許せる訳がねェ」
「………」
「自分を責めたって何も変わりゃしねーよ…過去は変えられねェ……だからこそ前を見なきゃならねェ、どんなに辛かろうが立ち上がって前に進まなきゃならねェ」
「…そうですね…いつまでも目を逸らしてたら前に進めないですよね……だって、私にはやることが…やりたいことが沢山あるんです…!」

言いながらかたらは立ち上がった。己を奮い立たせるように、未来を見据えるように…けれど一抹の不安はどうやっても拭えない。

「でも私……銀兄にどんな顔をして会えばいいんだろう…」
「どんな顔だっていいだろ…そのままの、ありのままの姿でいい…何があったか話したくなけりゃ話さなくたっていい……だがな、アイツしかお前の気持ちは分からねェ筈だ。…アイツならどんなお前も受け止めてくれんだろ、四の五の言わずに飛び込んでいきゃあいい」

カチッと銜え煙草に火を点けて土方は思い切り吸い込んだ。胸に燻る切なさと共に紫煙を吐き出すと、かたらがこちらを見ているのに気づく。かたらは何やら言いたそうに、でも言おうか迷っている風な困り顔だった。その目元が笑ってるから悪いことじゃないとは思う。

「…何だ?何か言いたいことでもあるか?」
「いえ、…副長はやっぱり優しいなあって…」
「別に優しかねーよ、こっちは言いたいこと言っただけだ」
「なら私も言いたいことを言いますね…どうか言わせてください……副長、いつもわt…っ…??」

思わずかたらの口を塞いでしまった。もちろん唇を唇で…じゃなくて手のひらで、だ。

「礼なら言うな、今は聞きたくねェ…分かったな?」
「んん、んーんn」
「っと悪ィ、鼻も塞いでた」
「…っ……副長の手、ものすごく煙草臭い…!!」
「……うるせェ、悪かったな」

礼なんかされたら、それが別れの挨拶になりそうで怖かった。

「副長、もう帰りましょう…遅くなると皆が心配します」
「……そうだな」

まだ離れたくないと足掻くのか…否、何か言い知れぬ不安心があるのだ。

「葉月、明日は俺が送ってく」
「……はい」


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