記憶回帰


『もう一度、愛してほしい』

その言葉が過去へと誘い、くるくると走馬灯のように影絵が回る。物語を巻き戻して、また初めから記憶が刻まれていく…流れていく…それはとても鮮明で、きっともう二度と、あの黒い夢を見ることはないのだろう。





「かたら、あそこの遊郭に近寄ってはなりませんよ」
「?…お母さん、どうしてダメなの?」

山陽地方の港町、高台から母と一緒に町を見下ろしたことがあった。

「一見華やかに見えても牢獄のようなもの…あそこに囚われたら一生、籠の中の鳥…自由も幸せも望めないのです。男は夢を買うけれど、女に何が残りましょう…身も心もすり減らし、絶望して死に逝くだけ……」

あのとき母は遠い目で悲しそうに、悔しそうに、そう言った。
まだ幼い自分は何も分からずに…けれど今なら理解できる。母が女郎屋を憎んでいたのは妹の夕霧を想ってのことだった。江戸の地下遊郭に囚われた妹を助けたくとも助けられない歯痒さ…母は何もできない己すら憎んでいたのかもしれない。





「かたら…父と母は好きか?」
「うん、大好きだよ。お兄ちゃんは?お父さんとお母さん、好きじゃないの?」
「……好きだった。でも…俺の父と母はもういない」

ある少年と出会い過ごしたひととき、その少年の名は天青と言った。

「お兄ちゃん、どうしたの?…元気ないね」
「ああ、気分が悪いんだ……もう…ここには来ない」
「?……お兄ちゃん…どうして?…どうして…」

あのとき遠ざかる背中を追いかけていたなら何かが変わっただろうか。
両親を殺害したのは天青で…殺したくて殺した訳じゃないと今は知っている。天青はただ、逆らいたくても逆らえなかった…己の運命に抗いたくても抗えなかったのだろう。それでも、己で選んだ道には責任が伴うもの…これから先は生きて罪を償っていく筈だと、そう信じている。





「親の為己を犠牲に働く子もいれば、親に身売りされ働く子もいます。山賊や、悪い浪人に攫われて売られる子もいます。…残念ながら、そんな世の中なんです。…でも私は、目の前に救える命があるならば、その命を救いたい……だから、君をここへ連れてきたんですよ」

両親を殺された数日後、浪人に攫われた先の遊郭から逃げ出し、山を越えたところである男に助けられた。

「君さえよかったら、私の…家族になってもらえませんか?」

男の名は吉田松陽。そっと頭を撫でられ、その優しさと温かさに泣いている自分…そして、もうひとり男の子がいた。

「あーあ、また泣いてやがる」
「よかったですね、銀時!妹ができちゃいましたよ!」
「ハァ!?できちゃいましたよ!じゃねーよ先生!おれぁこんな泣き虫いらねーからァァァ!!」

松陽先生と、銀兄と、私が…家族になった瞬間。
それからの日々を目まぐるしく過ごしたのも今思えば、両親を失いぽっかりと空いた心を埋めるのに必死だったからだろう。悲しみという感情に蓋をして忘れてしまおうと、幼いなりに己の精神を守っていたのかもしれない。





「俺、……攘夷に参加することに決めた」

松陽先生の死を知らせる文が届いた翌朝。

「ヅラと晋助と決めた」

銀兄が白息と共に絞り出すように言った。手に握った雪が冷たくて、熱くて…その感覚をよく憶えている。

「覚悟は決めた」
「…覚悟って何?…死ぬ覚悟ってこと…?」
「バーカ、ちげーよ。…覚悟ってのはよ、…生きて必ずここに戻ってくるっつー覚悟」

約束に指切り、銀兄と交わした約束事はたくさんあった。未だ果たされないままの約束は…記憶を取り戻した今、果たすべき約束となった。





「お前をひとり残していくのは忍びないが…」

旅立ちを決めた三人を引き止めることも、付いていくこともできず、ひとり燻る自分を心配してくれた小太郎。

「いいの、わかってる。…わたしは皆の無事を祈って…待ってるから…っ」
「かたら…俺もわかっている。…お前が本当は一緒に行きたいことも、銀時の傍にいたいこともわかっている。…銀時から離れるとは己の半身を引き裂かれる思いであろうな…」

いつだって小太郎の言葉は優しかった。人の気持ちを余すことなく汲み取ってくれる。

「かたら、銀時のことは俺に任せるがいい。あいつが曲がらぬよう、しっかりと見張っておこう」
「……本当?」
「ああ、約束する」

小太郎との約束、それは思い遣りに満ちたもの。その精神は今も変わらずに健在している。それがとても嬉しかった。





「松陽先生の言うとおり、お前には素質がある。だがなァ、それを生かすも殺すもお前次第。今後の身の振り方で決まるモンだ…」

旅立つ前の一試合、晋助の強さにまだ到底辿り着けなかった頃。

「晋助、……わたし…もっと強くなりたいよ…っ」
「だったら、精進あるのみ。…俺が戻ったときに、また勝負してやらァ」
「うん…次はハンデなしで勝負できるくらい、強くなってるから」

晋助との約束、それは励ましと勇気を与えてくれる。

「……銀時のこたァ俺とヅラに任せとけよ。あいつが無茶しねェように見張っといてやる」
「…小太郎も同じこと言ってた」
「ククッ…だろうな。…まァ、そういうこった。心配いらねェよ」

それから唇を奪われ、晋助の想いを初めて受け止めた。

「すまねェ……かたら…っ」
「晋助……謝らなくて…いいんだよ」

受け止めたとき、自分の心底に潜むある想いが溢れそうになった。気づかない振りをして、ずっと隠してきた晋助を恋う心…それを必死に抑え込んだ。

「ごめんね……わたし、何もしてあげられないけど…」

死なないで。
晋助の胸の中で囁けば、一層強く抱き締められて切なかった。互いの想いが少しだけ繋がった瞬間…それは決して繋げてはいけない運命の糸だった…今はそう思っている。





「お前さんの希望を聴こう。…これからどう生きていきたいのか…自分の心に訊いてみな」
「……強くなりたい…自分の身は自分で護れるように、強くなりたいです……それから、大切な人を護れるくらい、もっと強くなりたい…」

皆の帰る場所、松陽先生の屋敷を天導衆の襲撃により失ったとき…その場から助けてくれたのが先生の親友、藤咲弦之助という男だった。

「お願いします…っ、わたしも…わたしも一緒に連れて行ってくださいっ!」
「俺に付いてくるってことは、攘夷に参加する意思があると取っていいんだな?」
「はいっ」
「…お前さんはまだ子供で、しかも女だ」
「わたし、男になりますっ!わたしのことは男だと思ってください!」

この人に付いていかなければ何も変わらないと思った。ひとりでは前進もままならない、何事もひとりで学ぶには限界があるから…だから師と呼べる存在がどうしても必要だった。

「…俺の弟子になりたいか?」
「!…はいっ…わたしを藤咲さんの弟子にしてくださいっ」

強くなりたかった…ただ純粋に強くなりたかった。強くなければ何も望めないと思った。

「実は、そうくると思ってた。……言っておくが、俺は松陽と違って甘くないからな。泣くなよ、かたら」
「!…はいっ」
「これで俺は師匠、お前は弟子だ」

師弟関係が結ばれた後あらゆる修行を積み、時々戦にも参加した。そして月日が流れ…

「なあ…かたら……お前の幸せは…どこにある…」

藤咲師匠との別れはあまりに突然だった。

「幸せ……?」
「お前には…それを求めて……生きてほしい…」

地面に拡がる血溜まりが、もう助からないと告げていた。掴んだその手はまだ温かいのに…

「松陽は…祈っていたよ……いつか皆が…本当の幸いを、手に入れる日が…来るように、と……俺も…同じだ…」
「……っ」
「かたら…生きろ……生きて…幸せに……」

松陽先生も、藤咲師匠も、想いを託し皆の幸せを心から願い、この世から去っていった。

「はいっ…必ず生き抜いて…幸せを掴んで見せますよ……師匠と弟子の約束です…っ」

ふたりの恩師が遺した約束。幸せを望むなら未来は自らの手で切り開かなければならない…そう分かっている。


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