やるべき処置は全て施し三日が過ぎた。
まだ少女の意識は戻らないが、それも仕方のないことで、昏睡状態から目覚める目覚めないは本人の生命力に任せるしかない。
重体の原因は腹部の血管損傷による出血性ショックで迅速な緊急手術を要し、輸血においては丁度佐伯が血液研究を行っていたおかげで保存していたものを使わせてもらった。幸い初期治療に必要なものが診療所に揃っており何とか凌ぎ、足りないものは後から佐伯が町を往復し補給してくれた。今は回復に必要な輸液、感染症を防ぐため抗菌薬の点滴を打っている。

これで少女が助かれば、少女の生命力が強いだけでなく運が良かったのだと思う。刃物で刺されたと思しき左脇腹は臓器損傷を免れ、おそらく流されたときに強打したのだろう頭部は頭皮外傷に止まり今のところ脳に損傷は見られない。その他に右足関節骨折、これも靭帯が無事だったため術後の訓練次第で元の状態に戻る筈で、体中の打撲も軽度で済んでいた。
つまり、意識が戻り後遺症さえ出なければ少女は以前と同じように動けるだろう。

「…先生、この子は天人の残党狩りに遭ったのかもしれません」

病室にて少女を見守る葉月の隣で佐伯が言った。

「残党狩り…ですか?」
「はい、町に戻ったときに聞いたんです。山中で攘夷浪士が数名殺されたとか…それがどうも…この子を見つけた日の出来事らしくて…」
「…では、この少女は攘夷浪士の仲間だったと……こんな子供までも…」

葉月は眉間に皺を寄せた。少女が攘夷派に属していることよりも、天人の仕打ちに対して憤りを覚える。やっと終結した攘夷戦争はただ天人を付け上がらせ、のさばらせているように思う。

「天人の奴ら容赦ないそうで…これじゃまだ役人に捕まったほうがマシってなモンですよ。先生、この子が助かったら…どうします?」
「…もちろん役人には渡さない。それにどうするかは本人が決めること……だから、傷が癒えるまで匿うことにします」

これも何かの縁だろう、そう思って佐伯を見れば…彼も同じ気持ちだったようだ。

「葉月先生、おれも手伝いますから…!」





十日後、ようやく少女が目を覚ました…といっても反応が弱く意識が混濁しているのか声も出ない状態で、しばらく様子を見ることにした。
そして半月後…

「おはよう、今日の天気は曇りだよ。湿度が高いから…そのうち雨になるだろうね」
「………あ…め……」

葉月が何気なく語りかけた台詞に、初めて少女が返事をくれた。

「!!……やあ、やっと目が覚めたね…初めまして、でいいかな?私の名前は葉月、葉月陽治……今、君を治療している医師だ。よかったら君の名前を…教えてくれないか?」

少女は視線だけでなく少し顔をこちらに向け、ゆっくりと唇を動かした。

「……かたら………」

少女の名は彼女が身に付けていたお守り袋の刺繍文字と一致する…名前とその声を聞き、葉月はほっと胸を撫で下ろした。

「かたらさん、だね。…よかった、意識を取り戻してくれて…本当によかった…!」

これで本格的な回復治療に取り掛かることができる…意識さえ戻れば希望が見えてくる。

「…ここ、は……」
「ここは町から少し離れた山村の診療所だ。何故君がここにいるかは…この近くの川で、倒れている君を私が見つけたからだよ」
「………」
「自分の身に何があったのか…覚えているかい?君の家族や、仲間のこと…」
「………わから…ない…」

事故後の一時的な記憶障害はよくあることで、そのうち思い出すのを待つしかないだろう。

「そうか…でも焦る必要はないからね。ゆっくり思い出せばいい…ゆっくりと、ね。大丈夫、記憶は君の中にちゃんとあるんだ」
「…っ……わたし……いかなくちゃ……かえら…なきゃ……」
「どこへ帰りたい?」
「っ…どこ……わからない……」

少女の目尻に涙が浮かぶ。それは思い出せない歯痒さか、それとも…思い出せない誰かを想う切なさか…

「…君には帰りたい場所があるんだね。心配しなくても元気になれば帰れるよ…必ず帰れるから、今はしっかり休んで傷を癒すことに専念してほしい」
「………はい……」





一ヶ月が過ぎても、少女…かたらの記憶は戻らなかった。身体は順調に回復しており脳波に異常も見られない…何か精神的な原因があるとして事故の話には触れず当たり障りのない会話をすると、かたらに医学知識があることが分かった。

「医学書なら山ほどある…どれでも自由に読んでもらって構わないよ。手が届かない本は私が取るから遠慮なく言ってほしい。まだ無理をしては駄目だからね」
「はい…ありがとうございます…」

書斎にある複数の本棚にはびっしりと医学書が詰まっている。かたらが松葉杖に寄りかかりながら本を選び終えると、葉月はそれを受け取って窓際にある机の上に置いた。それから椅子を引き、かたらに座るよう促す。

「身体が辛ければ病室で読んでもいいんだよ」
「…いえ、少し…ここで読みたいです…」
「それじゃ、窓を開けておくから……っと、危ない」

開けた拍子に窓枠に飾った一輪挿しの花瓶が落ち、慌てて受け止めた。花は造花だが花瓶は瀬戸物、思い出の品だから割れたら困ると葉月は机の隅に置き直した。

「この花は…私の妻が好きだった花なんだ。冬春の季節だけでなく夏にも秋にも見たいと言って、妻が自作したものでね…この花瓶も妻が選んだものだから…私にとっては大切な遺品なんだ」

ずっと昔に家族を亡くしたことはかたらに話してある…けれど、かたらは目を見開き唇を震わせて言った。

「…もう一度……愛してほしい……」

その言葉には聞き覚えがあった。

「…わたしの愛に応えて……わたしのもとへ帰って……」

亡き妻が好きだった花…黄水仙の花言葉だった。

「ああ……わたし、この花を…知ってる……この花の、花言葉を……っ…」

かたらの頬を一筋の涙が伝っていく。彼女にとっても黄水仙は思い入れのある花なのだろうか…

「君も…この花を好きだったのかもしれないね」
「……わかりません…わたしが好きだったのか…それとも、他の誰かが好きだったのかも…しれません……」
「この花が君の記憶を呼び覚ます切っ掛けになるかもしれない…君さえよかったら、この花を病室の机に飾るといいだろう」

それから病室で医学書を読みながら、時々黄水仙の造花を手に取って見つめるかたらの姿を毎日目撃することとなったが、そう簡単に記憶は戻らないようで…依然落ち込むかたらを励ますために葉月は医学の手解きをすることにした。

かたらは熱心に話を聞き、週末に訪れた佐伯はかたらの生徒振りを見て焼き餅を焼いた。先生の一番弟子はこのおれだ!かたらちゃんは二番弟子…つまりおれの妹弟子だから、おれのほうが偉い!などと、いい年をした大男が小柄な少女に対して拗ねるものだから可笑しくて仕方なかった。そんな佐伯の天真爛漫さに釣られてか、かたらも次第に笑顔を見せるようになった。
もしもこの先記憶が戻らなかったとしても、かたらには元気になってもらいたい…そう思っていた矢先…

それは突然に起こった。


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