真相


その日はよく晴れていた。
時折風が吹いては淡紅色の花弁が舞う桜の季節、とある町から山中へと入る男がいた。年齢は四十後半、中肉中背。袴に半合羽、髷を結った頭には三度笠、大きな荷を背負い坂道を上っていく。目指す場所は自分が生まれ育った故郷であった。

男の名は葉月陽治。
幕府医官という肩書きがあるものの、仲間内では浮いた存在で肩身が狭い。世襲でなく単なる村医者だった葉月が若くして奥詰医師に任命されたことが気に食わないのか、幕府に召し出されてから妻子も持たず弟子も取らず一家を興す意欲のない男だと呆れたのか…何れにせよ周りに一線を引かれていた。否、正確に言えば一線を引いたのは自らである。

山道を一頻り歩いた頃、ようやく家屋がちらほらと姿を現すが、どの家も廃れて今にも崩れ落ちそうな状態で…それもその筈、この辺りはとうの昔に廃村となっており住民は町へと退去している。この風景を薄暗い時刻に見ればさぞかし怖いことだろう。毎年夏になると若者が肝試しに訪れる、と管理人が言っていた。

そんな山間部の廃村、葉月が向かう先は一番奥にある建物で、昔父親と自分とで営んでいた「葉月診療所」である。比較的外観がきれいなのは診療所の管理を任せている管理人、佐伯のおかげだった。ひび割れていた外壁も補修され、外回りも随分と手入れが行き届いており申し分無い。

「ただいま」

丁度、診療所の玄関口を掃いていた佐伯に声をかけると、彼は大柄な身体に似付かわしくない子供のような笑顔を見せた。とても三十路手前に見えない童顔の持ち主である。

「葉月先生、お帰りなさい!こりゃまたえらい大荷物だ…ささ、こちらに」

背中から荷物を受け取って軽々と抱える…佐伯にかかれば大荷物も小荷物に見えてしまう。

「佐伯君、いつもすまない。今年は壁の修繕までしてくれたんだね、どうもありがとう」
「いえいえ礼には及びませんって、管理費だってもらってるし、こっちも勉強部屋として好き勝手使わせてもらってるし、建物の手入れくらいちゃんとしますって」

佐伯は町の医療施設で勤務医を勤めているが、更なる医学を研究するべく毎週末ここに来てはひとり勉強に明け暮れるそうだ。

「君がいてくれて本当に助かる。よければ後で最近の研究成果を聞かせてくれないか?」
「もちろん!聞いてほしいことが山ほどあります!それに…今回先生が珍しく三ヶ月の長期休暇を取るって手紙で知ってから、俺も職場に無理言って連休取らせてもらってんですよ実は」

佐伯は悪びれる様子もなく歯を見せて笑う。そうくると思った、と葉月は微笑みながら溜息を吐いた。

「ちゃっかりしてるね、君は。真面目なのか不真面目なのか…」
「ひどいなぁ先生、先生が俺を弟子にしてくれなかったせいですよ〜」
「まだ根に持っているんですか?」
「根に持つどころか俺はまだ諦めてませんっ、先生の一番弟子の座を…!」
「またそんなことを…」

もうひとつ溜息を吐きながら半合羽を脱ぐと横からひょいっと奪われた。佐伯の付き人のような振る舞いに、何故か落語家にでもなった気分だ。

「ささ、先生疲れたでしょう。今、お茶を入れます」
「いや先に墓参りに行ってくる…ちょっと報告したいことがあるんだ」
「??」

墓参りといっても診療所の裏庭に墓があり、横手を回ればすぐに着く。竹林に囲まれた裏庭の隅に墓石と塔婆が並び、その目前に座って懐から出した線香の束に火を点けた。

「…ただいま」

そっと呟き、線香を供え手を合わせる。ここに眠るはご先祖様、両親…そして妻と、生まれて死んだ赤子の魂である。

「あと数年したらこっちに戻ろうと思う……奥詰医師を引退することになったんだ。それでも、もうしばらくは御番医師として幕府に仕えるけど…あと数年で必ず戻るから、どうか待っていてほしい」

多く思うことがあっても告げることはこれだけで済む。墓石に向かって語りかければ語りかけるほど、寂しさよりも虚無感に囚われる。仕舞いにはどうやってこの墓へ入ろうかなどと馬鹿なことを考えてしまうから長居はしない。

葉月は立ち上がって竹林の奥へと進んだ。少し歩いた先の崖沿いに湧き水処があり、その冷たく清らかな水で喉を潤し一息つく…そこへひらりと一枚の花弁が舞い、濡れた手の甲にくっついた。顔を上げ辺りを見渡せば、渓流を挟んだ向かいの岸壁に桜の木が生えていた。側面から枝を伸ばした桜木は不恰好でありながら美しい花を爛漫と咲かせている。思わず見蕩れ川のほとりへ近づくと、傍の岩間に白い何かが見えた気がして視線を向けた。

「……!?」

それは人間の手だった。
蒼白い小さな手…子供か女か…どちらにせよ恐らくもう…そんな最悪が脳裏をよぎる中、岩場を回り込んでその姿を確認する。

「!……」

岩と岩の間に挟まっていたのは女だった。夕焼けのように鮮やかな髪色、整った顔立ち…まだ幼さの残る少女がそこに横たわっていた。少女は薄目を開けたままぴくりとも動かない…視認できる外傷は頭部と腹部の出血、川上から流されたならそれだけでは済まないだろう。
葉月は少女の目蓋を指先で押し広げた。瞳孔反射なし、すでに散大しているようだ…呼吸は……

「…!!…っ…」

まだ微かに息があることに驚いた。呼吸も脈も限りなく弱く、瞳孔も開いた危篤状態…今から処置をして助かる見込みは殆どない…けれど医師として手を尽くさねばならなかった。命の可能性を信じて…


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