そして冬、初雪が降り始めた頃…

初雪は、松陽先生の訃報を知った日のことを思い出す。
信じられなくて、実感が湧かなくて、もう二度と会えないと思うと寂しくて、悲しい。苦しいのに、涙も出てこなかった…
それは今も同じで…


『……一番つらい時って、無意識に我慢しちゃうんだよ。…感情がどこか遠くに行ってしまうの…』


頭の中に焼きついている、かたらの言葉。声、匂い、抱きしめた感触と、その情景。


『一番つらい時に泣いておかないと…後でもっとつらくなる時がくるかもしれない。
ずっと悲しみを引きずって生きていくことになるかもしれない……だから、泣いて…銀兄』


小さな胸に顔を埋めてしがみつき、涙を預けたあの日。いつだって、何だって、互いに受け止め合って、生きてきた…

「…受け止めてくれるお前がいねェんじゃ…泣くに泣けねーよ……泣けねーんだ…」

独り言は白息となって消える。
見知らぬ土地の、誰が眠るかもわからない墓石の裏に座って、静寂に目を閉じた。寒さも感じないくらいに感覚が麻痺している。
こんな結末になるなら、ふたり繋がって身も心も幸せなときに心中でもしていればよかったと、そんな馬鹿な後悔を何度も繰り返してきた。


『このまま消えてしまいたい……幸せすぎて苦しいから…もう死んでもいい…』


そう言っていた、かたらの気持ちが痛いほど分かる。けど今更分かったところで、どうにもならない…

もしここで、俺が朽ち果てたとして……お前はどう思うだろうか?
死にたいなんぞと抜かしたら、…きっと怒るに違いない。





しんしんと降り積もる、雪に紛れて人の気配を感じた。
横目で見れば、向こうからバーさんが歩いてくる。こんな雪の日に墓参りとは、随分と律儀な人物だ。多分、今日が誰かの命日なのかもしれない。家族か友達か、バーさんにとって大切な誰かの…

ザッ、ザッ、ザザッ…

バーさんの足音が、背凭れにしている墓石の表側で止まった。

偶然でも何でもかまわない。甘い匂いに嗅覚をくすぐられて、生の実感が湧きあがる。

「……オイ、ババア…それまんじゅうか……食べていい?…腹ァ減って死にそうなんだ…」
「…こりゃ私の旦那のもんだ…旦那にききな」

この墓にはバーさんの旦那が眠っているらしい。
無遠慮に供物皿を取ってまんじゅうを頬張る。粗方食べつくした頃、バーさんが尋ねてきた。

「何て言ってた?…私の旦那」
「しらねェ…死人が口ィきくかよ」

自分で言って得心がいく。これから自分がどう生きようと、かたらは何も言えないし、何も思うことができないんだと…

「バチあたりな奴だね…たたられてもしらんよ」
「死人は口もきかねーし、団子も食わねェ…だから勝手に約束してきた」

バーさんの旦那だって、何を思っているのか分からない。けど…

「この恩は忘れねェ…アンタのバーさん老い先短い命だろーが、この先は…」

ひとつだけなら分かる気がする。長年連れ添った夫婦なら…愛情があるなら…

「アンタの代わりに俺が護ってやるってよ」

きっと現世に残した者を心配しているはずだ…
そう勝手に解釈して、新たな約束を交わす。これは再び自分を動かすための始まり…ここから一歩ずつ進んでいくための…





かたら…
お前との約束は、たとえ果たすことが叶わなくなっても、約束のまま胸に秘めておく。俺の人生最後まで、不器用でも立派に生き抜いて、いつかお前に会いに行く。
それまで待ってくれるなら、お前が俺を待っていてくれるなら…
それこそが俺にとって…



本当のシアワセになるだろう


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