徳利に少しだけ残っていた酒を注いで飲み干す。
幾ら飲んでも泥酔まで至らないのは幸か不幸か、高杉は溜息を吐いた。酒を飲んだって、得られるものは漠然とした気分の高揚だけ。それは戦前の景気付けとは間逆で、静かで大人しいものだ。

ただひとつだけ、今、はっきりしている感情があるとすれば…

「もうっ、銀兄って大きい子供なんだから。私、時々お母さんみたいな気分になっちゃうよ」

この領域に入ってきた少女に対しての想いだろう。

「母性ってやつだ、仕方あるめーよ…」
「そうなんだよね、母性本能をくすぐられるとダメというか、弱いというか…」

相変わらず色気の欠けらも無い会話。その上、別の男の話である。

「クク…ダメな男ほど可愛いってなァ」
「……そっか、ダメな男だからかぁー…」

かたらは敷いた布団を整えて、サッと高杉に視線を向けた。その小さな唇が何かを言おうとしたが、口をつぐんでしまう。

「……どうした?」
「な、なんでもない…っ」

言って視線を逸らすかたら。

「…何だ?言ってみろ…別に何言われたって怒りゃしねーよ」

気になる、というよりはもっとかたらと話していたかった。

「あ…あのね、逆に……いい男だと母性本能をくすぐられないんだな、って思って…なるほど、って思っちゃっただけなの…っ」
「……お前は俺のこと、いい男だと思ってんのか……ククク」

思いのほか笑いが込み上げてきて、高杉はクックッと堪える。

「な、なんで笑うの?そんなにおかしい…?」
「フッ…お前の言う、いい男、ってェのは何だ?俺ァそれが詳しく訊きてーよ」
「っ………私、もう寝るっ」

立ち上がろうとするかたらの腕を引きとめる。

「…教えちゃくれねェのか…?」
「!……っ」

高杉は掴む手に力を込めた。
本気で振り払おうと思えばできる筈なのに、かたらはそうしない。小さく身じろぎするだけだった。つくづく、心底、甘いやつだ、と思う。

「…行くな…傍にいろ…」
「あっ…!」

こうやって、いとも簡単に組み敷ける。

「かたら……」
「…晋助…酔ってるんだよね…?」
「さあな…どうだか…」

かたらは高杉の表情を探る。
さらりと垂れ下がる前髪の隙間から見える瞳。熱いまなざし。

「やっぱり、…酔ってる…ね」
「クク…酔っちゃいねーよ…俺ァ酒に酔ってんじゃねェ…」

夕色の髪を撫でていく。やさしく、愛おしく、指先に絡ませて、もてあそぶ。
かたらのはその眼光に囚われたまま目を逸らせない。

「………っ」

愛欲の炎。それが欲する男の眼だと、知っていた。

「…お前は心を許した奴にゃとことん貞操がないときやがる。…銀時が心配すんのも無理はねェ…」

指先は髪から頬へ移り、やわらかい唇をなぞる。

「っ……」
「かたら……そう簡単に人を信用するなよ」
「……晋助の…ことも…?」
「そうだ、隙あらばお前を食う。…隙なんぞなくてもお前を食っちまうかもなァ」
「だっ…だめ…っ」
「それに、……今が好機ってやつだ…」

高杉はすっと目を細めて唇を近づけた。
紫黒の髪がかたらの頬をくすぐって、吐息が交わる。

「その目……よもや、まだ俺を信じてるとでも言うつもりか?」

かたらは潤んだ瞳で、じっと高杉を見つめている。

『私は晋助を信じてるから』

ふと思い出したのは、高杉の想いを拒んだ台詞だった。

「いい加減気づけよ……お前が信じてる俺は、俺じゃねェってことに…」

唇が重なる寸前、かたらは少しだけ顔を逸らした。しかし、顎を掴まれ口付けを強いられる。

「んっ……ふ、ぅ…っ」

それは浅い口付けで、やさしいものだった。ゆっくりと角度を変えて、数回繰り返され、やがて唇が離れていく。
互いに見つめ合う。切なさに襲われ、胸が締めつけられる。

「…お前は俺を突き放さねェ……何故だ?」
「っ………」
「お前は…俺の気持ちを知ってるくせに…てめェの気持ちはわからねーのか…?」

高杉のなかで沸々と込み上げてくる感情は、愛しさと憎しみ、静かなる怒りだ。

「…お前は……俺のことを…」

昔からずっと、どこかで感じていた。それは決して自惚れではない、第六感の直観的なものだろう。
互いに惹かれ合っているのではないか、否、惹かれ合っていると強く感じていた。今でもそう確信している。

「ちがう…っ、違うの…晋助…わ、私は……」
「……何が違う?」
「私は………っ」

それを認めるか認めないか以前に、ある存在が邪魔だっただけだ。
昔も、今も…

「銀時に操を立ててェなら抵抗してみろ……しねェなら、合意とみなしてお前を抱く…」
「!」

高杉は有無を言わさず、再び口付けを落とす。唇の隙間に舌を割り入れ、口腔内を蹂躙しながら、手はかたらの胸元をまさぐる。

「ふ、ぁっ…だめ、ぇ…っ」
「…口じゃねェ…体張って抵抗しろや…」
「ん、っ……しん、すけ…っ」
「…そんな非力な抵抗で…止められると思ってんのかァ」

四肢を押さえられてしまえば、そう容易に動けない。
小柄なかたらの体躯を封じるなど造作もないこと。捕らわれたら負け、油断した者が弱者、それは至極当たり前のことだ。

「晋助…っ、私…私は、晋助のこと……好き…だよ…」
「…それで、…何が違うんだ?」

我ながら馬鹿げた質問だと、高杉は心のなかで自嘲する。
かたらの言う、好きとやらは自分と銀時では意味が違う。それを訊いたところでどうなるとも思わなかった。

「晋助のこと……尊敬…してる、から…」
「…尊敬の目で俺を見てた、と…?」

かたらは小さく頷いた。

「尊敬と…憧れ……もし自分が男だったら…晋助みたいになりたいって思ってた…」
「……」
「それで…男装したときも、晋助を目標に…してたんだよ…」

尊敬と憧れ、そこに恋心があろうとなかろうと、銀時を選んだのはかたらの意思。今更、足掻いたとて変わりはしない。
だからこそ悔しくて、すべてを奪いたいと心が欲するのだろう。

「…私は晋助が好き……でも、それ以上に銀兄が好きなの……銀兄には私が」
「必要、だと?」
「そう…だといいけど、本当に必要としているのは私…本当に執着心が強いのは私のほう、…だと思う…」

その執着ゆえに、かたらは今ここにいる。
なまじ知っているどころか、十二分にもわかっている、かたらの銀時への想い。

高杉はフッと吐息を漏らした。

「かたら、…お前を奪おうと思えばいつでも奪えた……俺が何故そうしなかったかわかるか?」
「……」
「欲望に従って、奪って、壊して、…それが許されるとは思っちゃいねーよ…」

かたらを傷つけまいと、心に壁をつくったのは自分。感情を押し込めたのは自分自身。

「ただ、いつ鎖が千切れるかわからねェ…檻を破るかわからねェ…この先、お前を傷つけちまうかもしれねェってことだ…」

自分を追い詰めているのは、他でもない自分自身。かたらのせいじゃない。未練と執着を捨てきれない己のせいだった。

「いいか…気をつけろ……俺に隙を見せるなよ…」

深く触れれば傷つける、そんなことはわかっている。いつか、本能のままに…かたらを求める日が来るかもしれない。

「特に…ふたりきりになったときはな…」

今はまだ、己の忍耐心を信じられる。そうやって昂る感情を押さえ込むしかなかった。檻の中で舌舐めずりする獣、それに怯えながら檻の外で見張る者、そのどちらも己なのだ。

「…晋助……」

かたらの瞳の色が変わって、何かを訴えているように見えた。

「あきらめが悪いってェ言いてーのかァ?我ながら女々しいと思っちゃいるが、こればっかりはなァ…どうにも…」

言いながら唇を近づける。
今度こそ、かたらはしっかりと顔を逸らした。

「しっ、晋助は私がいなくたって大丈夫でしょ?わ、私じゃなくたって代わりはいるし、もっと…釣り合いのとれる、相応しい人が…」
「オイ…お前それ、本気で言ってんのか?勝手に決めつけやがって…俺のはなァ、そんな甘っちょろいモンじゃねーんだ」
「ん、ぅ…っ」

唇の端をちろりと舐めてやれば、ピクンとかたらが震える。

「…わからねーなら今ここで…その体に刻みつけてやってもいいぜ……そしたら銀時は黙っちゃいねーだろうなァ…」
「っ……」

ぎゅっと目を瞑るかたらの胸に、高杉は顔をうずめた。肌蹴て露出しているふくらみ、やわらかい素肌を鼻先と唇でくすぐって、ククッと笑いをこぼす。

「……冗談だ、何もしやしねーよ…」
「やっ…胸、…さわってる…っ」
「…減るモンじゃねーし、こんぐれェ大目に見ろや…」
「む、ぅ……」

拘束を解いても、高杉はかたらの胸元から離れない。
耳を寄せ、心音を聞いていた。トクン、トクン、心地良い律動に目を閉じる。

「…お前は…俺にとっては毒だ……解毒不可能の、な…」
「ど、毒…?」
「…俺の心を侵す毒……」

言葉が途切れ、そのまま沈黙が続いた。
かたらは首だけ起こして、高杉を覗き込む。といっても頭しか見えず表情は窺いしれない。

「しん、すけ……?」
「………寝る…おやすみ…」
「ねる?」

この状態で?と困惑するも、微笑んでしまう。胸のふくらみに頬を寄せている姿は、まるで赤子のようだった。

「ふふ、前後撤回するね……ちょっとだけ、母性本能くすぐられちゃったみたい…」

かたらは紫黒の髪をやさしく撫でて「おやすみ」と囁いた。
朝になれば、忘れているだろうか、覚えているだろうか。どちらにせよ、変わらないだろう。

笑顔をみせれば、きっと笑みを返してくれる。いつものように片方の口角を吊り上げて…


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