出会いひんやりと、額が冷たい。気持ちいい。
この感覚は熱を出したときに母親がしてくれるアレと同じだった。
「…お、かあ…さん…?」
重い瞼を持ち上げると、何やら白いカタマリが見えた。
「おれ、お前のかーちゃんじゃねぇし」
白い毛玉が喋った。
「……だ、れ…?」
目は霞んだままで、よく見えない。
「誰って…おれは」
「銀時、彼女の様子はどう?」
白い毛玉の後ろから大人の男の声がした。
「あ、松陽先生!こいつ、目ぇ覚めたけどおかしいんだ」
「おかしい?…ああ、もしかして目がよく見えない、ぼんやりと霞んでいますか?」
尋ねられたと思い、小さく頷いた。
「目に雑菌が入ったんでしょう。洗い流せば治りますよ。銀時、桶の水を新しいものに替えてきて下さい。私は目薬を取ってきます」
「はーい」
トタトタ、バタバタ、足音が遠くなって、また戻ってきた。
「ほら、身体起こせよ」
肩をつかまれて上体を起こすと、膝の上に桶を乗せられた。
「……?」
「これに顔突っ込んで目ぇパチパチさせんだよ」
ああ、そういうことか、と理解して桶の縁をつかんで顔を水面につけた。すごく気持ちいい、というか水浴びをしたい気分になる。
「ぷは…っ!」
顔を上げると、布で水滴を拭われた。そこでやっとお互いの瞳がぶつかって、見つめ合った。数回瞬きを繰り返せば、それははっきりとした輪郭をまとって現れた。
目の前にいるのは、自分より少し年上だろう男の子。白い髪に赤い瞳。それは容易に白うさぎを連想させた。
「…どうだ?ちゃんとおれが見えるか?」
「うん…見える…」
じっと見続けていると、男の子は困ったように視線を逸らした。
「あんまり見てんじゃねーよ。穴が開くだろーが」
「穴……?」
「…あー…んなことより、お前、名前は?」
「…かたら…」
「かたら?変わった名前してんな。…おれの名前は」
「ぎん、とき?」
確か、男の声はそう呼んでいたはず…
「……うんそう。おれは銀時だ」
男の子、銀時はなぜか仏頂面をしながら答えた。
「かたら。良い名前じゃないですか」
「うおっ!」
銀時がびっくりして後ろを振り返るので、かたらもつられて視線を上げた。
そこには、一瞬女の人かと見間違えるほどの容姿端麗な男が立っていた。男は淡い栗色の長い髪を揺らして、にっこりと微笑んでいる。
その顔が近づいてきて、かたらは思わず身を引いた。意図せず身体が震えだす。
「…余程、怖い思いをしたんでしょうね。安心しなさい、ここには君を傷つける者はいませんよ」
「……」
「私の名前は吉田、松陽と言います」
「…よしだ、…しょうよう」
「はい。ここは私の屋敷です。離れで塾を開いているから、先生、と呼ばれてますがね」
大丈夫、この人は怖くない。乱暴な浪人とこの人とでは、天と地ほど違う。
「松陽先生が倒れてたお前を助けてくれたんだぞ」
銀時が感謝しろと言わんばかりに顎を杓った。
「…あの…ありがとう、ございます」
「いいんですよ。人として当然のことをしたまでです。…さて、目は大丈夫なようですね。お腹空いてますか?それとも先に湯浴みにしますか?まだ身体を起こすのが辛いなら、もう少し休むのもいいでしょうが・・・」
「先生、先にこいつ洗ったほうがいいって!だってクサ」
「はい!じゃあ銀時、風呂場まで案内してあげなさい。その間に私は着替えを調達してきます。あ、お湯の温度に気をつけて、火の始末もちゃんとするように」
「あっ!先生ずりーよ!何でおれが…」
松陽は銀時の文句も聞かず行ってしまった。
気まずい沈黙。
それを打ち破るべく銀時は大きな溜息をついてから、かたらに向き合った。ぶっきらぼうに右手を前に差し出して。
「ん」
「……?」
「いいからつかまれよ。また倒れちまうかもしんねーだろ」
かたらはおずおずと、差し出された手に自分の手を重ねた。
汚れた着物を脱いで、浴槽の前に座り込む。
銀時に言われたとおりに、桶で湯を汲み髪と身体を洗った。ぬか袋で肌をこすれば驚くほどに綺麗になり、本来の白さを取り戻した。一体どれだけ煤汚れていたのだろう、桶の湯が黒く濁っている。
ばしゃり、と頭からかけ湯をして浴槽に浸かれば、戸の向こうから声がかかった。
「湯加減はどーだ?熱くねーか?」
「うん…」
「そーか。…ま、ゆっくり浸かってろ」
「うん」
ちゃぽん。
ゆらゆらと波紋が広がるのをじっと見つめた。温かくて心地良い、体中のあらゆる器官が喜んでいるようだった。
「…う…うぅ…っ」
嗚咽が響き、いつの間にか自分が泣いていることに気づく。涙は止めようとしても止まらず、堪えようとすればするほど溢れてきた。
「何だお前…風呂に入れて泣くほどうれしいのか?」
「!!」
顔を上げれば、横に銀時がいた。
「よっぽど風呂に入ってなかった、つーか入りたかったんだな」
見当違いな言葉にかたらは困った。
「ちがっ…う、ううっ」
「…オイ、泣くかしゃべるかどっちかにしろ」
「うっ……あの、ね…すっごく、あったかくて…」
「やっぱウレシイんじゃねーか。風呂に入れて」
「うううー」
伝えたいことが伝わらなくて、更に泣けてきた。
「……おれもさ、今よりもっと小せー頃に拾われたんだ。松陽先生によ」
「!」
「んで、お前と同じよーに汚れてて風呂に入れてもらった」
「……」
「すっげー気持ちよかった。あったかくて」
「……」
「身体はもちろん、…心もあったかくなったな…あんときは」
そう言って、銀時は自分の胸に手を当てて、ニィッと笑った。
「お前もそんな感じ、だろ?」
「!…うんっ…同じ…っ!」
「だよな!」
こくこくと、かたらは頷いた。自然と満面の笑みを浮かべる。
「!…お前、笑うと可愛いーじゃねぇか」
「え?」
「あ、いや!何でもねーよ!おれ、着替えもらってくっから、お前もうちょい浸かってろな!」
心なしか頬を染めて、くるりと背を向け去っていった銀時。かたらは銀時が出ていった入り口の戸をぼんやり見つめていた。
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