太陽が陰り、景色は曇天に包まれた。
かたらと藤咲は松陽の屋敷を離れ、その地を見渡せる裏山の中腹に隠れていた。

「!……嘘、だろ…?」

先程からじっと小型望遠鏡を覗いていた藤咲が愕然と声を漏らす。何事かとかたらも屋敷に目を向けたが、肉眼で人物の姿を確認することはできなかった。
藤咲は望遠鏡を放してかたらに手渡す。

「見てみろ…」

言われてかたらは望遠鏡を覗き込む。少し視点が彷徨った後、数人の天人をとらえた。

「一人だけ図体のでかい奴がいるだろ?」
「…はい」

大深の三度笠に肩から足元まですっぽりと覆う外衣。只者ではないと思わせる佇まい。その天人は部下に何か指示を出している様子だった。

「そいつは天導衆だ。…幕府を裏で操っている奴らの一人。普段表立って出ない奴がここまで来た…それがどういうことか分かるか?」

かたらは望遠鏡を下ろして首を横に振る。

「松陽を…松陽が遺したものを危惧しているのさ。……あいつが著述した書物も、指導した門下生らも、あいつに関わったものすべてを…」
「恐れているんですね……だから、抹消しなければ気が済まない…」

曇天の空に黒い煙が昇っていく。
その煙が次第に大きくなるにつれ、辺りが夕焼け色に照らされた。雲に覆われた太陽の代わりに黄赤の炎をあげているのは先生の屋敷。
先生と銀時、桂と高杉、塾生の皆と過ごした大切な場所が燃えている。それを黙って見ていることしかできない自分を責めても何の意味もない。かたらは声を殺して静かに涙を流した。

「……さて、これからのことを決める」

最期まで見届けたい気持ちがあるのに、それすら叶わないと知らされる。かたらは視線を藤咲に向けた。

「お前さんの希望を聴こう。…これからどう生きていきたいのか…自分の心に訊いてみな」
「……強くなりたい…自分の身は自分で護れるように、強くなりたいです……それから、大切な人を護れるくらい、もっと強くなりたい…」

まるで正義感の強い少年のような志。
純粋でまっすぐな瞳は、三年前の少女とは見違えるほど強い意志を持って煌めいている。どうやら過去に背負った陰影に打ち勝ったらしい。
藤咲は僅かに微笑んだ。

「お願いします…っ、わたしも…わたしも一緒に連れて行ってくださいっ!」
「俺に付いてくるってことは、攘夷に参加する意思があると取っていいんだな?」
「はいっ」
「…お前さんはまだ子供で、しかも女だ」
「わたし、男になりますっ!わたしのことは男だと思ってください!」

そんな可愛らしい顔をしていて男になるとは何の説得力もないが、心意気はあるようだ。

「…俺の弟子になりたいか?」
「!…はいっ…わたしを藤咲さんの弟子にしてくださいっ」

かたらは跪いて頭を下げた。
子供だって、いつまでも子供でいるわけじゃない。女だって、強くなれる可能性はいくらでもある。藤咲は懇願するかたらを見つめながら思う。
松陽の元に集まる者は皆、何かしらの素質がある。それを見抜いて導くのが師たる所以だが、かたらに関しては基礎はあってもまだまだ発展途上のようだった。それに、このまま独りでくすぶっているには惜しい逸材でもある。
自分のために、大切な者のために、強くなりたいという志が本当ならば、手を貸すのも悪くないだろう。なによりも、かたらは松陽の忘れ形見だ。亡き親友の後を引き継ぐのも悪くない。
じっと動かぬ沈黙を藤咲は切り上げた。

「実は、そうくると思ってた。……言っておくが、俺は松陽と違って甘くないからな。泣くなよ、かたら」
「!…はいっ」

差し出された藤咲の手に、かたらは手を伸ばす。

「これで俺は師匠、お前は弟子だ」

ここに師弟関係が結ばれた。



***



ふたりは夜のうちにできるだけ村を離れて、人知れぬ山中の小屋で仮眠を取った。



翌日の早朝。
かたらはひとり、渓流の縁に立つ。
腰まで伸びた夕色の髪を丁寧に櫛で梳かしてから、一纏めにして左手に持つと、右手で腰帯に差した刀を抜いた。

「………」

ときに決意を形に表すことも必要だと思った。
かたらは髪束に刃を当てて、ゆっくりと刀を引いていく。それを数回繰り返して、身体の一部が切り離された。
自分では好きになれなかった夕焼け色の髪。
銀時が、皆が好きだと言ってくれたから大事に思えるようになって、毎日髪油で手入れして、手櫛で触りたがる銀時のために伸ばしてきた。
だけど、今回だけは自分のために。
左手を広げると髪束が風に乗って、するりと指先から離れていった。それらは空に舞い、川に流れ消えていく。

「銀兄……わたし、生き抜いてみせるよ…」

そう呟くと、ひらりひらりと山桜の花びらが舞い落ちてきた。
ふとある情景が思い浮ぶが、かたらはそれを振り払う。もう囚われる必要がなかった。



思い出に縋るのは別に悪いことじゃない。それが糧になるときもあるからだ。
ただ、いつまでも過去ばかり見ていては先に進めない。
過去を想うのではなく、遠い未来を想うのでもない。生きている今を意識しなければ時間の無駄になってしまう。

だから、自分の今を見つめ、考え、行動する。

そして、大切な人の今を想う。


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