決起のとき


講義室の側にある桜の樹。
今年の春も相変わらず満開に咲き誇っている。

ひらりひらりと薄紅の、舞い散る花の切なさよ。

かたらは独り、感傷に浸る。
少し暖かくなった風が頬を撫でて夕色の髪を揺らしていく。目を閉じれば脳裏によみがえるのは去年の今頃。大好きで大切な人たちに囲まれて、笑っていた自分。
寂しさに、孤独に押し潰されそうになるときは、ただ思い出せばいい。それだけで、ぬくもりを感じられるから。



***



銀時たちが攘夷のために旅立って早ひと月半。
かたらは桂家と高杉家の援助を受けながら生活していたが、いつまでも甘えている訳にもいかず、どうにか自力ですべてをまかなえないかと考えていた。
できれば将来のために貯蓄したい。となれば出稼ぎにどこへ行こうか。
松陽先生の遺してくれた屋敷を離れることはできないから、通える範囲で探さなければならないだろう。本音を言えば、桂の実父が開いている診療所に見習いとして入りたいが、迷惑をかけるのが怖くて言い出せないままだった。

かたらが悩みつつも食料の買出しから家に戻ると、玄関の前に男の後ろ姿が見えた。
泥棒…!?
咄嗟に身構えると、その物音に男が振り向いた。

「…かたらちゃん!」
「!?」

名前を呼ばれて身体が硬直。しかも、ちゃん付けである。

「かたらちゃん、大きくなったなあ…」

男はかたらに近づいてしみじみと感嘆の溜息をついた。
まじまじと見つめられて目が逸らせない。かたらは目の前の男を思い出そうと必死に記憶を辿る。

「…憶えてないだろ?三年前に一度会ったきりだし」
「!……松陽先生の……お友達の……」

如何せん肝心の名前が出てこなくてムズムズする。それに名前を忘れるなんて失礼ではないか。

「…………あの、すみません……わたし…っ」
「あはは、無理しなくていい。松陽の友達って思い出してもらっただけで嬉しいよ。…で、俺の名前は藤咲弦之助だ」
「藤咲、さん……あの、どうぞ中へお入り下さい」
「すまない、お邪魔させて頂こう」

藤咲弦之助。
股旅衣装の三度笠に道中合羽、それを取り外すと黒い短髪と服の上からでも筋肉質だとわかる肢体が現れた。
背は松陽先生よりも少し高いだろう。肌はやや浅黒く、目鼻立ちもくっきりと男らしい。年頃の娘ならば男の色香に高揚するだろうが、かたらには無効だった。

「どうぞ…」

そっとお茶とお茶請けを差し出すと、藤咲は遠慮なく湯のみ茶碗を口に運んだ。ずずっとひと口飲んで受け皿に戻す。

「…かたらちゃんは何歳になった?」
「十三になりました」
「三年前はまだ十歳だったのか…子供の成長は早いもんだなあ…」

子供のかたらから見れば、目の前の大人は三年前も今も然程変わらない。

「あの、三年前…河原で…」
「あ、思い出した?そうそう、松陽と河原で待ち合わせしてて、そこでかたらちゃんを紹介されたオジサンが俺だ」
「はい、憶えています」

あのときは挨拶もそこそこに先生の後ろに隠れていたし、二人の邪魔にならないように離れて水辺で遊んでいたから、本当に一面識でしかない。

「松陽の奴、カワイイ娘を自慢したくて一緒に連れてきたんだよな。まあ、親バカになるのもわかるけど…」
「………」

かたらは喜んでいいのか悲しんでいいのか複雑な心境になって俯いた。

「実はここへ来る前に、松陽の門下生を尋ねて歩いたんだが…、どうやら仲間内で攘夷に参加してる者が多いようだな」
「…はい、二月下旬に…旅立ちました」
「銀時も、か」
「………」

返事も頷きもないかたらを見れば、寂しさや案ずる気持ちに囚われているのがわかる。
藤咲はがさごそと荷物の麻袋から取り出した物をかたらの手前に置いた。それはかたらの髪と同じ夕焼け色の袋に包まれている。見た目からして短刀が入っているのだとわかった。

「?……これは…」
「松陽の遺品だ。…こいつは生前に預かっていて…、かたらちゃんに渡すように頼まれていたものだ」
「先生が…わたしに…」

かたらはそっと手に取って、刀袋の紐を解き中身を確認する。
遺品とはやはり短刀だった。所謂、懐に忍ばせる護り刀、護身武器である。白木で作られた鞘は滑らかに美しく、刃長は五寸(約15cm)程しかない。明らかに女性向けのようだ。

「松陽曰く嫁入り道具だそうだ。…ちなみにその懐刀には名前がある」
「名前…?」
「名を夕霧。…お前さんを想って付けた名前だろう」
「…夕霧…」

呟きながら亡き人に想いを馳せる。
紅葉の季節、夕方にかかる霧が幻想的で好きだと言っていた先生。そのとおりに刀袋には山の夕日を背景に赤いもみじの葉の模様が織り込まれている。

「……あいつは最後まで…自分の信念を貫き通して死んでいった…」

藤咲も同じように亡き親友を想い浮かべていた。

「…穏便に戦を終わらせようなんて、そう簡単に事が進む訳がない。松陽はわかってて幕府に乗り込んだのさ…人間同士、人の心、国を憂う想いがあれば分かり合えると、あいつはそう信じたんだ。…実際、獄中で幕府内部の人間を数人丸め込んじまったらしいからな。…しかし、話が分かる奴がいたって天人様には逆らえない」

出る杭は打たれ、芽は摘まれる。

「もう遅い、何もかもが手遅れだ…なんて諦めて降伏するほど利口じゃないんだ、攘夷志士って奴は。…どんなに天人に侵蝕されても、それでもまだ国を取り戻せると信じたい…信じてる馬鹿な奴らが今も戦い続けてる。…まあ、俺もその馬鹿の一人なんだけどな」

苦笑する藤咲が先生に重なって見えて、かたらの胸は締めつけられる。

「…もっと早くに訪ねるつもりだったが、如何せん俺も立派に幕府に追われる身だ。ここまで来るのに随分と時間がかかったよ。…結局、銀時や門下生らとすれ違ってしまったが、あいつの弟子ならきっと上手くやるだろう」
「あの、藤咲さん……もしかして、門下生を迎えに来たんですか…?」
「違う違う、俺は攘夷参加を強制しに来た訳じゃない。あ、いや参加する者は連れて行くつもりだったから違わないか…」
「皆…先生の死がきっかけで参加を決意したんです」

かたらの言葉に藤咲はふっと哀しみを見せた。

「…だろうな。気持ちはわかる…。殺された師匠の復讐か、それとも亡き師匠の遺志を継ぐか…」
「どちらにしても、それぞれ自分の志に覚悟を決めたんです。だって…それが先生の教えだから…っ」

言いながらかたらは膝上で拳を握りしめる。悔しくて情けない気持ちで一杯だった。
よくよく考えれば、皆自分の信念に基づいて行動しているのだ。ここでひとり待つ自分は怠けず努力していても、皆と比べればちっぽけな信念、ちっぽけな覚悟でしかない。そんな風に思えてきて情けなくなった。
今更になって自分が女であることを悔やんでしまう。

「そうだな…きっかけは何であれ自分のことは自分で決めるものだ」

藤咲はお茶を啜って飲み干すと、まっすぐにかたらを見つめた。

「…では、本題を話そう」


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