ヒュッ…

刃が空気を切り裂く音。ゆっくりと状態を移動させて構え直すと、ぎしりと床板が鳴る。
高杉は見えぬ敵を斬るように真剣を振るった。自邸の道場でひとりきり、真剣を用いての素振り稽古は物心ついた頃から続けている習慣だ。冬だというのに汗が頬を伝う。高杉はそれを拭いもせず切先で見えぬ敵を斬っていった。

ふと集中が途切れる。
道場の無機質な匂いに混じって微かにかたらの匂いがしたからだ。これはかたらの愛用している髪油の匂い。花の香り、それをさらに甘く匂わせているのはかたら自身だろう。
高杉は刀を鞘に収め、道場の入り口に視線を向けた。

「かたら、いつからそこにいた?」
「えっと…ちょっと前、かな」

いつの間に気配を消せるようになったのか。否、ただ自分が稽古に集中しすぎていただけかもしれない。匂いさえなければもっと気づくのが遅れただろう。
高杉が近づくとかたらは床に置いてあった手拭を取って両手で差し出した。

「ん、すまねェ……ってオイ、銀時はどうした?」
「置いてきちゃった」
「…黙って出てきたって?ククッ、今頃反抗期かよ」
「別に反抗期じゃないですぅー。…で、晋助にお届け物です。小太郎から…」

懐から書状を取って手渡すと、高杉はすぐさま書面を広げて内容に目を通した。かたらは何が書いてあるのか気になって覗こうとするも、背の低さであきらめるしかない。
高杉はしばらく険しい顔付きで書面を睨み、最後にチッと舌を打った。それにかたらがビクッと反応するのを見てニヤリと笑う。

「こりゃあ返書だ」
「返書?」
「ヅラの知り合いが江戸近辺に偵察に行っててなァ、戦の状況を事細かく調べて報告してくれてんだ」
「状況……」
「天人は江戸だけじゃ飽き足らず、あちこち土地の占領に乗り出しているそうだ。占領軍と攘夷軍が衝突しては死者がごまんと出る。どこも兵が不足してんだとよ」

かたらの顔色がすうっと青くなっていく。構わず高杉は続けた。

「でよ、攘夷軍っつっても部隊が山ほどあるだろ?その中から信頼できる、まともな大将がいる部隊を紹介してもらってたんだが…この返書には了承を得たと書いてある。まァ、俺たちゃとりあえず、そこに入れてもらうことに決まったってワケだ…」
「………っ」

高杉は言葉を詰まらせいてるかたらの頭をポンとたたいた。そして道場の隅まで行って不要なものを取り置くと、竹刀二本を手にして戻る。

「いっちょ景気付けにどうだ?最近、お前の相手してねェし、邪魔な奴がいて迂闊に手も出せなかったからよォ」
「わ、わたしなんかじゃ景気付けにならないよっ」
「お前が勝ったら、銀時の面倒は俺が見てやってもいいぜェ?」
「勝てるわけ…」

高杉は半ば無理矢理に竹刀を押しつけた。

「ハンデはくれてやる。そのかわり俺が勝ったら何でも言うこときけよ?」
「なっ何でもは無理だよっ?」
「うるせェ、ごちゃごちゃ言ってねーで構えろや…」

急に高杉が真面目な表情を見せるので、かたらの心臓はドキリと跳ねあがった。
ああそうか、もしかしたら、これが最後の手合わせになるかもしれないのだ。いくら無事に帰ってくることを信じていようとも、未来など誰もわからない。
かたらは着ていた羽織を脱ぎ捨てて、竹刀を構えた。



バシッ!

乾いた音をたてて、かたらの攻撃は払われた。拍子で手首に痛みが走り、指先から竹刀が落ちる。

「はあっ、…はぁ……っ」

本気で打ち込んでも、まだまだ歯が立たない。しかも相手は片腕だけというハンデ。
かたらは息も絶え絶えにその場にしゃがみ込んでしまった。

「かたら。…松陽先生の言うとおり、お前には素質がある。だがなァ、それを生かすも殺すもお前次第。今後の身の振り方で決まるモンだ…」
「晋助、……わたし…もっと強くなりたいよ…っ」

皆がいない間ひとりでも生きていけるように、身も心も今よりもっと強くならなければならない。俯きながらもかたらの言葉には意気があった。

「だったら、精進あるのみ。…俺が戻ったときに、また勝負してやらァ」
「うん…次はハンデなしで勝負できるくらい、強くなってるから」

言いながら顔を上げると、片膝をついている高杉の顔があまりにも近くて驚いた。

「かたら…目ェ閉じろ」
「な…っ!」
「別に取って食いやしねェよ。いいから早くしろ」

急かされてかたらは目を閉じる。何をされるのか内心ハラハラしてると、頬に大きな手の感触がして思わずピクリとなってしまった。

「……銀時のこたァ俺とヅラに任せとけよ。あいつが無茶しねェように見張っといてやる」
「…小太郎も同じこと言ってた」
「ククッ…だろうな。…まァ、そういうこった。心配いらねェよ」
「…何だか…晋助のほうが無茶しそうで心配かも…」

言われて高杉はかたらの頬をつまむ。

「い、いたっ…ちょっ何するの?」
「お前のほっぺた、やわらかくて美味そうだなァオイ」
「やっ、美味しくないよっ…ねぇ晋助、もう目開けていい?」
「………」

少しの間があって、どうかしたのかとかたらは不安になる。

「開けてもいいぜ…」

その声がやけに近く感じて、目を開けた瞬間見たものは…

「……っ」

熱を孕んだ獣の瞳。その妖しさに射抜かれて抵抗すらできず、かたらは唇を奪われた。

「んっ……んふぅ…っ」

一度、二度とやさしく繰り返されて三度目には深く吸われて意識がふわりとする。
いつもの口付けを思い出すと自然と下半身が疼く。そんな淫らな体にしたのは誰?かたらの目尻から涙がこぼれるのを見て高杉は我に返った。

「すまねェ……かたら…っ」

高杉はかたらを強く強く抱きしめる。その腕が僅かに震えていた。

「晋助……謝らなくて…いいんだよ」

かたらは腕を回して答えた。

「ごめんね……わたし、何もしてあげられないけど…」

死なないで。
儚く消えてしまいそうな声は、高杉の胸に確かに届いた。



「ヅラぁ、おめー何なの?バカなの!?」
「ヅラじゃない、バカじゃない桂だ」

案の定、銀時はかたらを探しに桂の屋敷まで来ていた。

「かたらひとりで晋助んとこに行かせるたぁどーいう料簡だぁ?おいコラ、俺のかたらに何かされたらどーすんだよっ!」
「貴様のかたらじゃない俺のかたら…あっ間違えた、みんなのかたらであろうが!」
「………っ」

桂は胸倉を掴んでいる銀時の腕を払うと、襦袢の乱れを直した。

「兎にも角にも落ち着け、銀時。晋助がかたらに手を出すわけがなかろう、心配はいらん」
「いんや、あのむっつり狼ヤローはわからねーぞ。俺ぁかたらを連れ戻しに行く!」
「待て!」

すかさず身を翻す銀時の肩を掴んで止める。

「んだよ…っ!」

銀時は振り向いて驚いた。あまりにも桂が真剣な眼差しだったからだ。

「銀時、頼む。……別れの挨拶くらいさせてやってくれ」





夕日に照らされて歩く帰り道。銀時もかたらも互いに喋ろうとせず、無言のまま歩いていく。

銀時はちらりと横目でかたらを盗み見る。
かたらの目元が赤いのを見れば泣いたことは明白で、その涙を拭ったのが高杉だと考えるだけで不愉快にもなる。しかし高杉の気持ちもわかるから、はらわたが煮えくり返るようで煮え切らない状態だ。

『別れの挨拶くらいさせてやってくれ』

桂の言葉のせいで心がざわつく。

かたらを想っているのは自分だけじゃない。
かたらが心配してるのは自分だけじゃない。
いくら将来の約束を誓った自分が特別だとしても、それは他の者より一歩抜きん出ているだけかもしれないのだ。

思考すればするほど、悔しくて、もどかしくなる。これから離ればなれになるのに今更焦ってしまうのは何故なのか。
頭の中はぐるぐると靄が渦巻いて、もうどうにかなりそうだ。軽く耳鳴りがするのは脳内警報。足りない、全然足りない。
何が足りない?何が必要で、何をすれば心満たされる?

「………」

ああ、簡単なことだ。
銀時はふと思い立ち止まった。

「銀兄?……どうしたの…?」

ただ、本能に従えばいい。

「何でもねーよ」

銀時は微笑んだ。


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