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自己愛



 インパクトが足りませんよね、と担当の湖沼(こしょう)さんに言われて突き返された原稿のデータを手に、僕は項垂れていた。
 喫茶店の片隅。前の席には、呼び出されて渋々やってきてくれた塩見さんの姿がある。
「インパクトは君の手腕次第じゃないか」
「そうなんですけど……」
 もっと、こう、派手な怪異はありませんか。読んだ人が震え上がる、盛り上がりに盛り上がり、恐れおののくような。
 弱々しい声で頼み込むと、不健康が人の形をしたらこんな感じだろう、という姿の彼はあっさりと僕に告げる。
「死んでもいいなら」
「死……」
「うん。死にたいなら派手な怪異の元に連れて行って、置き去りにしてやるけど、どうする」
「……が、害がなさそうな怪異でお願いします」
 僕の頼りない期待は、ポッキリと折れた。
 綺麗に折れた。

 じゃあ、こんな話はどうだい。
 塩見さんはホットコーヒーをすすりながら、ウェイターが置いていったフライドポテトをフォークでもてあそび、ちらりと僕のことを見た。
「ストーカーに悩まされている女がいた」
「……え?」
「その女は、自宅の扉に赤いスプレーで愛してると書かれて困ってるって、相談してきた」
「それ、塩見さんの知り合いの話ですか? いいんですか? 勝手に僕に話してしまって」
 フライドポテトをひょい、と口に放り込む彼は、何も答えない。
 ただ、まぶたを閉じた。
「女は、毎日手紙も入ってるんだって見せてきた」
「あ、は、はい」
 僕は思わずメモを取っていた。何故だか記録しておかねばならない気がしたからだ。それが何故なのかはわからなかったが。
「その女の筆跡だった」
「……は?」
 メモを取る手が止まる。
「自宅の監視カメラには、愛してると赤いスプレーで書いている女自身が映っていた」
「……自作自演」
「最初は誰もがそう思った」
「と、言いますと?」
 ストーカー被害に遭っているフリの女性。その女性の悲哀や孤独。そんなものを想像して、また創造しようとしていた僕の前には、コーヒーを飲みきって窓の外を見る塩見雪緒の姿。
 彼はゆっくりと口を開く。
「女は、殺された」
「えっ」
 僕の驚く声は喫茶店の喧騒に掻き消される。どういうことだ。だって、自分で自分に手紙を送っていたのだろう?
 塩見雪緒の、色素の薄い瞳が、僕をじろりと捉えた。
「台所にあった包丁で腹を刺されてね」
「犯人は?」
「女の家には大きな鏡があった」
「……はあ」
「倒れた女を覗き込むように、鏡の中の女自身が立っていた」
「ええ……鏡の中から出てきて、ストーカーしてたってことですか? どうやって?」
「説明がつかないから怪異って言うんだろ」
 あとは君の腕で、もっともらしいことを書き足していけば。
 塩見さんはそれきり、何も話さなかった。