骨なしと骨しかないの | ナノ
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タカコさん

 真っ暗な眼窩が私を見下ろす。
 この時、私は切に感じていた。口裂け女以上に危険視すべき相手が、すぐ隣にいたことを。普段のテンションで誤魔化されてはいたが、神戸涅槃こそが最も恐ろしい化け物なのだと。
 私の手の中で、くしゃり、と音がした。
 見てみれば、それは双子池の祠を封じていた、祖母のお札だった。
「……」
 そのお札を、私は、神戸涅槃に向けて貼り付ける。

「いだだだ痛いいたたた匿名殿ちょっと!」

 拙者、貴殿を助けたのに! とか何とか悲鳴を上げながら、目の前の骸骨が身悶える身悶える。まるでリアクション芸人。シュルシュルと二メートル強の大きさに戻った彼からお札を剥がす。彼があまりに身悶えたものだから、その拍子にびりりと破れてしまった。
「酷くない? 匿名殿、命の恩人にそれって、人として駄目でござらん?」
 ああ、良かった。
 人間に襲いかかる習性はあるけれど、涅槃さんは涅槃さんなのだ。
 恐ろしい化け物であることには変わりはないけれど、彼はいつもの彼だ。
「既読スルー? 匿名殿、話聞いてる?」
 若干涙声になってきた涅槃さんに一言謝ろうと口を開きかけたその時だった。

「希望(のぞみ)さぁん!」

 甲高い声が、こちらに向けてかけられたのは。
 声がした方を向く。町内会長の奥さん……タカコさんがそこにいた。町内に突然現れた巨大な骸骨の化け物に、住人の皆さんがざわついている中、タカコさんだけは晴れやかな笑顔で手を振っていた。
「嬉しいわ!」
 彼女はそう叫んで、こちらへ走って来たのだった。
「……え」
「そこのお化けが、赤いコートの女の人を食べちゃったの、私見たわよ!」
 タカコさんは興奮気味に話す。鼻息が非常に荒かった。
「よく分からなかったけど、赤いコートの人、人間でしょう?」
「いや、あの」
「人に襲いかかるような怪物! 怖くて仕方ないわ!」
 怖くて仕方ないと言う割に、ためらいもなく私たちに近づいて来た人である。
「でもね、私、希望さんがそのお化けにお札を貼って、小さくしたところを見たのよ! きっと拝み屋さんの力で弱らせたのね!」
「……おっと」
 ややこしい場面を見られてしまった。あの場にいた人間は私一人だけ。しかしそんな説明、彼女が信じるだろうか。
 目を輝かせたタカコさんが、私の手を両手で握った。
「町中で心配してたの。希望さんが拝み屋さんを継いでくれるのかどうかって。でも、これなら大丈夫そうね! 良かったわ!」
 私は何も言っていないのに、町内会長の奥さんである彼女は勝手な妄想を口にして、一人ではしゃいでいる。
 やめろ。やめてくれ。そうやって、過剰な期待を押し付けないでくれ。
 妖怪には襲われ、人からは拝み屋を継ぐと喜ばれ、これを面倒と言わずして何が面倒だというのだ。

「さすがは栄さんのお孫さんだわ!」

 タカコさんの一言で、私の背筋は凍りついた。
 人間からも、妖怪からも、祖母にそっくりだと言われてきた私にとって。
 祖母の孫という事実が、どれだけ残酷で七面倒くさかったか。
「ね! 希望(のぞみ)匿名(とくな)さんっ!」
 その名前で私を呼ぶな。
 匿名(とくめい)なんて名前で私を呼ぶな。
 気づけば足早に、帰路についていた。

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