凶悪と凶悪
トラウマだった河童と落ち武者が一気に片付くなんて、思ってもみなかった。とは言っても、トラウマは未だにトラウマだけれど。
「この調子で解決していけば、匿名殿が危険な目に遭うこともござらんな」
能天気に涅槃さんが言う。設定だけで言えば一番危険な妖怪の癖に。
そして涅槃さんは、おや、と立ち止まった。彼の視線は私たちのはるか後方に向けられていて、私も思わず振り向いた。
「どちら様?」
骸骨の彼が尋ねる相手は、真っ赤なコートに身を包んだ、長身の女性だ。
手には裁ちバサミ。口元は大きなマスクで隠されている。
私は頭が真っ白になった。
子供の頃を思い出す。
帰宅の途中に出会ったその人は、私の顔を掴み、口を開けさせて、開いた裁ちバサミをゆっくりと突っ込んで、こう尋ねるのだ。
「私……綺麗?」
トラウマその三。口裂け女。その目はしっかり私の方を向いていた。
後ずさろうとするも、足が動かない。過去の恐怖に縛られて、体に力が入らない。頭の中で鳴る警鐘。蘇る恐怖。どうしよう、という言葉しか浮かばない。
「お主、何奴?」
私の隣で声がした。
口裂け女はマスクを外し、端まで大きく裂けた口を見せながら近づいてくる。
私の顔を掴んだ。
力が込められる。口が、無理やり開かれる。
「おい、お前何をしている! そいつは栄じゃない! 離せ!」
善次郎さんの声が遠く聞こえていた。
裁ちバサミが、ゆっくり、私の口の中に入れられていく。
「あの時、答えを聞けなかったから、もう一度聞くわ。私、綺麗?」
彼女の狙いは祖母ではない。都市伝説、口裂け女の狙いは、昔からずっと。
ああ、死んだな。絶望的な状態で、ぼんやりとただ、そう思っていた。
がしゃん、と足音が響いて。
「既読スルーはエグいではござらんか」
白骨の腕が、赤いコートの女を殴り飛ばすまでは。
ハサミが勢いよく引き抜かれる。その瞬間、口の端が切れてしまった。しかしそれで良かった。痛みと、血の味。私が意識を覚醒するのに充分だった。
「涅槃さんっ!」
「拙者そういう、大人げないこと嫌い」
吹っ飛んでいった口裂け女がゆらりと起き上がるのを見て、白骨の彼は私を背に隠す。善次郎さんが毛を逆立てて威嚇している。
死を覚悟した反動でバクバクと脈打つ心臓と、身体中から一気に吹き出してきた汗が、私をこの場に繋ぎ止めていた。
「私……綺麗?」
同じ文言を、彼女は続ける。
「お主、人だな?」
口裂け女に、涅槃さんがそう返した。
「人間をベースに作られた怪物……すなわちお主は、生きている人間」
涅槃さんが言っていることの意味が分からない。
赤いコートの女は勢いよく走り出していた。ハサミを構えて。目標は、私だ。
涅槃さんが立ち向かうように走り出し、ぐんっ、と体に力を入れたのが見て取れた。ニットのワンピースもサルエルパンツも、彼の巨大化についていくことはできずに破れていく。
「あ……え……」
ハサミを持った女が立ち止まるも、遅かった。
「がしゃどくろに生まれたからには人間殺したくない? みたいな」
茶化したような口調の彼を思い出す。
がしゃどくろは口裂け女に掴みかかり、問答無用で、彼女を食らった。
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